110 忘れかけていた名前

「けど、あれは本当に失敗作だったのかしら──?」


 銀次ぎんじが前の戦いの時で飲んだ薬は、シェイラが彼に与えたものだ。それを飲めば能力者と同じ力が得られる──キーダーに憧れる銀次は、迷わずそれを口にした。

 けれど僅かにその効果はあったものの、結局彼は力を失い倒れてしまったのだ。


「あんなの成功だなんて思えないよ」

「けど、一瞬でも力を使う事ができたのは確かよ? あの時修司しゅうじくんと戦った彼は、確かにその気配を放っていたわ」

「まぁ……そうなんだけど」


 キーダーの力を欲したいと思う人は多い。だからあの薬がその効果を発揮できるなら、外野がどう言おうと需要はあるはずだ。


「ガイアたち三人にホルスの後ろ盾があったのは事実。あの薬をシェイラに渡したのもホルス。けど、薬は銀次くんの為に作られたものじゃないでしょう?」

「龍之介くんも誘われたって言ってたもんね」


 再びポットを火に掛ける龍之介が、こちらの会話を気にして耳をそば立てている。チラと見た彼と目が合って、京子はクスリと笑顔を送った。


「薬って、飲むべき人が飲まないと効果がないものでしょ? 用量用法ようりょうようほうを守らないとって言うし。正しい飲み方をしないと、銀次くんみたいに悪い影響が出る場合だってあるわ」

「じゃあ、あれは誰が飲むべきだったの?」

「シェイラはあれを治験薬だって言った。ノーマルに飲ませることが、データ収集の一環だとしたら──?」


 ウィル、ガイア、シェイラの三人組は、バスクの力を悪用した窃盗団だ。

 肩書を見れば悪だと言えるが実際はホルスの使いっ走りに過ぎず、彼等はトップが誰なのかも知らないと言っているらしい。


「本当に飲ませたかった相手は……うーん」


 京子には勿体もったいぶる朱羽が何を言いたいのかさっぱり分からない。その不満を訴えるように、京子はムッと小さく頬を膨らませた。


「居るかもしれないって事よ。ホルスはバスクを欲しているけど、その数には限りがある。それをホルスはどう補おうとするのか、本来あれは何のための薬だったのか──そこに真意はあるはずよ」

「真意……か」


 朱羽がどこまで考えているのかは分からないが、彼女は「一つ教えてあげる」と新しい情報をくれた。


「ホルスが薬を作るなら、彼等に手を貸すのは誰かってのはずっと疑問だったのよ」

「簡単に作れるものじゃないもんね」

「けど彰人あきひとくんがずっと調べてくれてて、ある人物が繋がったの」


 この手の捜査は監察かんさつの仕事だ。

 息を呑む京子を前に、朱羽は人差し指を唇の前にそっと立てて思いもよらぬ人物の名前を口にした。


「高橋ようよ。彼が昔、別の名前で製薬会社の研究チームに居たことがあるらしいわ」


 修司がアルガスに来るきっかけとなった、ホルスの上層部・安藤りつの恋人の名前だった。





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