109 宝の持ち腐れ
「どうぞ」と目の前に置かれたコーヒーカップを見て、京子は思わず「わぁ」とはしゃいでしまう。それはまるでお洒落なカフェで出てくるようなカプチーノで、表面には花のラテアートが描かれていた。
「凄い、これ
「はい、簡単なやつですけどね。前のバイトで良くやってて、久しぶりに描いてみました」
「へぇ。前ってカフェに居たんだ」
「去年くらいに京子とコーヒー豆買いに行ったお店あるでしょ? あそこよ」
そういえば前にそんな事があった。
まだマサを諦めきれない
結局殆ど使わないままキッチンの隅に追いやられてしまったが、今こうして龍之介がたまに淹れてコーヒーを飲んでいるらしい。
「ネットにも良く載ってるし、いっつもお客さんが並んでるお店だよね?」
龍之介の思わぬ経歴に驚くまま一口飲んで、京子は「美味しい」と笑顔になる。友人の所に遊びに来て出てくるレベルの味じゃない。
龍之介も「良かったぁ」と目を細めて、昨日焼いたというクッキーをテーブルの中央へ乗せた。
「京子さん来るって聞いたから、さっき豆とか買ってきて。久しぶりだったんで、ちょっとドキドキしてました」
「ホントに? 嬉しい。クッキーも美味しいし、ありがとう。もうお店開けちゃうんじゃない?」
「いや、まだまだですよ」
照れながら龍之介は
そんな会話に一人だけ涼しい目を向ける朱羽は、『苦いから』という理由でコーヒーを飲まない。愛用のティカップを手に不満気な顔を浮かべている。
「ちょっと朱羽、龍之介くんに紅茶淹れさせるなんて、宝の持ち腐れじゃない?」
「だって紅茶が好きなんだもの」
「なんなら龍之介くん、高校卒業したら本部の食堂で雇ってもらえば? 施設員になりたいって言ってたもんね?」
「え、いいんですか?」
食堂長の
「まずは大学を出てから。アルガスで働くなんて、将来どうなるか分からないもの。何が起きても良いように色々と経験は積んだ方が良いと思うわ」
「……ですよね」
「将来、って。それで朱羽、さっきの話本当なの?」
ラテアートの登場で、すっかり話題が逸れてしまった。
アルガスの事を知りすぎている彼女には、その未来がどう映っているのだろうか。
「私の頭の中は、アルガスの機密事項だらけよ。今更アルガスは私を一般人にはしてくれないわ」
「情報
キーダーには未来を選ぶ権利がある。15歳を過ぎたキーダーは国のために生きなければならないが、いつでも力を消してトールになる事ができるのだ。
「言われた訳じゃないけど、そういう事よ。こんな所でずっと自由にしていられるのも、アルガスが私を繋ぎ止めておく手段よ。辞める気もないから、私にとっては最高の待遇だけど」
朱羽が「それ」と京子のバッグを指差す。
ここに来た本来の理由を忘れ掛けて、京子は持ってきた茶封筒と北陸の土産を彼女に渡した。金沢駅で見掛けて即決した金箔入りの紅茶だ。
「ありがとう。こんなお茶があるのね」
「うん、朱羽には絶対コレだと思って」
「どんよりして帰って来るだろうと思ったけど、そんな余裕あって良かったわ。ホント、
「心配かけてごめん」
「ホントよ」と笑って、朱羽は資料をハラハラと眺めた。
夏にガイア達と戦った時の、報告書の写しだ。
昨日朱羽がアルガスへ行ったのはこの原本を閲覧する理由もあったらしいが、思ったより枚数が多く、美弦がコピーを取ってくれたのだという。
記述者の筆頭には綾斗の名前があるが、あの戦いに関わった全員の名前が直筆で記されている。
「それにしても綾斗くんて強くなったわよね。あの時京子と
「訓練で相手してると、そこまでかなって思うけどなぁ。火事場の馬鹿力みたいなものかな?」
勘の良い朱羽に、ドキリとした衝動を必死で隠す。
昨日綾斗からバーサーカーだと告白されたが、彼女にはまだ内緒だ。
「私はいつも綾斗と居るけど、実際に戦ってるトコってちゃんと見た事ないから何とも言えないけどね」
「今度会った時にでも聞いてみようかしら」
不思議がる朱羽に何も知らないフリをして、京子はそこから話題を逸らす。
「それで、その資料は何に使うの? 今更加筆でもするの?」
「まぁ修正ってところね。あの戦闘の時、キーダーと同じ力を得ようとして
ガイアとの戦闘は後半アルガスのベッドに居た京子だが、そこまでは理解している。
薬の副作用で倒れた銀次は、今も
朱羽はティカップをソーサーに置いて、じっと京子を見つめる。
「けど、あれは本当に失敗作だったのかしら──?」
思いもよらぬ疑問だった。
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