97 黒歴史

 キーダーは15歳になったら親元を離れ、本部で訓練をしながら高校に通う。

 生まれてすぐに銀環ぎんかんを結ばれて、京子も小さい頃からそういうものだと理解していたし、実際に中学の卒業と同時に福島から上京している。

 けれど同じように最初からキーダーだった綾斗あやとは、その歳を待たずに北陸支部へ行ったのだ。


「訓練施設に行く事になったから」

「うん、そういう事だよ。そのせいでアイツはピアノも辞めちゃって、ちょっと荒れたんだ」


 綾斗がピアノを弾かなくなった理由に、京子は「そうだったんですか」と音のする方を見上げた。


 綾斗に初めて会ったのは、彼が高三の秋だ。ようやく本部への異動が決まって、その数日後にヘリでやってきた。あの時の綾斗は今とそう変わらない感じで、思い返しても荒れた過去など匂わせるものは何もなかった気がする。


 彼が北陸支部へ入るきっかけは、中学の修学旅行で誘拐された事だと本人が言っていた。アルガスへ入る以前から力を覚醒させていた彼は、拘束を逃れようと咄嗟とっさに力を使ったらしい。

 けれど『着任アルガスに入る前に能力を使って人を攻撃すること』と『仲間を殺さない事』はキーダーにとって絶対に守らねばならない二大鉄則だ。

 結果、綾斗には北陸の訓練施設に入るというペナルティが課された。


 本人からそれを聞くまで、京子は事件の詳細を知らなかった。『何かあったのかな』と疑問に思う程度だったが、綾斗にとっては屈辱的な過去だったようだ。


「荒れたって、実際どんな感じだったんですか? 不良になったとか?」

「反抗期の酷いやつかな? 偉そうで、やかましくて、人を寄せ付けない空気放ってる癖に女子の事もてあそんだりさ」

「ええっ?」

「ほら、キーダーってモテるんでしょ? 来るもの拒まずだったみたいだよ」

「想像つかない……」


 聞き捨てならない事実を知って、京子は動揺する。

 確かにキーダーがモテると綾斗は言っていたが、まさかそれに乗じて女遊びをしているなんて考えもしていなかった。

 モヤモヤと沸き上がる妄想がエスカレートして、女子をはべらせる彼を想像してしまい、胃がキリと痛む。

 そんな胸の内がはっきりと顔に出て、渚央なおが「あはは」と笑った。


「まぁ、アイツは黒歴史を一生後悔すると良いよ。流石に訓練先の先輩から怒られて辞めたみたいだけど。自暴自棄になったからって、慣れないことするなよって話。その先輩には俺も感謝してるよ。けど今回の帰省って、北陸のキーダーの葬儀だったんだろ?」

「……はい」

「落ち込んでると思うけど、アイツはそういうの顔に出さないからさ。京子ちゃんが側に居てくれて良かったよ」

「そんな……私の方こそ、綾斗が居てくれたから取り乱さずに済んだって言うか」

「なら良かった。実は結構両想いなの?」

「私と綾斗は……先輩と後輩です」


 全然酔っぱらっていなかった少量の酒が回って来たのか、長湯にのぼせてしまったのか、カッと熱くなった顔のまま事実を告げた。


「二人の問題に首突っ込む気はないけど。何とも思ってない先輩を実家になんて泊めないでしょ?」

「どうなんでしょう……」


 もちろん綾斗の気持ちは分かっているけれど、京子自身は何とも思っていない後輩を実家に泊めた事があるのも事実だ。


「アイツは帰省した時も、ピアノに触れることはなかった。こうして弾けるようになったのは、京子ちゃんのお陰だと思う。ありがとね」


 ニコと笑んで、渚央はピアノのある部屋を告げると台所の方へ消えて行った。

 京子は風呂の荷物を抱えたまま、音に引き寄せられるように階段を上がる。


 大きくなっていくピアノの音は、京子が部屋の扉に手を掛けた途端プツリと止んだ。

 気付かれてる──?

 急な無音にピクリと肩を震わせると、扉は向こうから先に開かれる。


「気配乱れすぎ。そんなんじゃ、すぐに見つかっちゃいますよ」

「……だって」


 苦笑する綾斗の後ろに、真っ黒なグランドピアノがあった。





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