96 弾かない理由
家中に響くピアノの音を奏でているのが誰かという質問を投げて、そんな答えが返って来るとは思わなかった。双子の妹のどちらかか母親だろうと予想していたが、
「
彼がピアノを弾くなんて聞いたこともなかった。車では良くピアノ曲が流れているが、聞くのと弾くのとでは大違いだ。
「驚いた?」
「はい。そんな話した事なかったから、てっきり妹さんかと」
「ないない」と笑って、渚央は横に手を振る。
「アイツ等はピアノなんて弾くガラじゃないよ。俺もだけど、スポーツばっか。上にグランドピアノがあってさ、あれを弾くのは綾斗だけなんだ。けど、まさかまたアイツのピアノが聞けるなんて思わなかったな」
「何か訳アリなんですか?」
寂しげに目を細めた彼に、京子はそっと尋ねる。
「まぁね。小さい頃、近所にピアノ教室があってさ。ほら、キーダーは養育費が出るだろ?色々習わせようって言う親の意向で通わされてたんだけど、最初の頃アイツ全然行きたがらなくて大変だったんだ」
「私も習った事あります。あっという間に辞めましたけど」
「京子ちゃんもか。あれだけ高額の養育費も、うまく回らないものだね。それでさ、有名なピアニストが地元に来た時があって、そこに連れて行かれた時からアイツは変わったんだ。やる気満々で毎日弾いてたよ」
「影響されたんですね」
「きっかけ、だね。まだ幼稚園に入った頃の話だよ? その後すぐに彼女が引退しちゃってショック受けてたけど」
「知らなかった……」
綾斗がピアノについて話していた記憶は、どう過去へ
渚央は穏やかな優しいメロディに
「アイツはピアノが好きだったけど、別にプロを目指していた訳じゃない。部活にのめり込んでた俺なんかと違って勉強もちゃんとしてたし、何よりキーダーであることに誇りみたいなのを持っていたからね。15歳になったら東京に行ってアルガスに入るんだって張り切ってたんだよ」
「それって、もしかして……」
「分かる?」
乾ききっていない髪のせいで、肩が少し冷たい。
京子は胸元に垂れた髪をタオルでぎゅっと握り締めて、「はい」と頷いた。
「北陸に行く事になったから」
「うん、そういう事だよ」
渚央の言う『綾斗の目指す目標』は、達成されなかった。
中三の修学旅行で起きた事件が、彼を大きく狂わせてしまったようだ。
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