61 二人きりで

「見つけた」


 駅前の広場で掛けられた声は、ホッと安堵あんどを含む。

 10年以上前の懐かしい記憶に、彼の声と笑顔が重なった。


彰人あきひとくん……」

「いつもそう。京子ちゃんの気配は分かりやすいんだよ」


 あの時と同じように差し出された手に戸惑うと、彰人は「まぁいいか」と空のまま手を引いた。

 一次会からの流れで、彼はクラスメイトと次の店に行ったと思っていた。

 京子は伸ばしかけた膝を緩めて、再びベンチに座る。


「感覚の訓練、ちゃんとしてないでしょ?」

「やってはいるつもりなんだけど、つい動く方を優先させちゃって」

「まぁそれでも構わないけど。漏れた気配が敵を引き寄せるって事は頭に入れておいてね」

「うん──」


 正直、気配を出したり消したりする訓練は退屈だった。

 もっと敏感にならねばとは思うのに、ある程度で満足してしまうのは京子の悪い癖だ。それが実戦になった時の後悔へ繋がる。


 「難しい顔してる」と彰人は笑った。


「感覚の訓練は大事だよ? けど京子ちゃんが気配をちゃんと隠しきれてないお陰で、今僕はこうして君の居場所を知ることができた」

「彰人くんはみんなと行かなくて良かったの?」

「僕はカラオケって柄じゃないよ。それより、さっき京子ちゃん烏龍茶飲んでたでしょ。体調でも悪い?」


 見られてたんだと思うと、ちょっと恥ずかしい。


「ううん。結構お酒飲んでたつもりなんだけど、全然酔えなかったから。何か久しぶりだと、みんなと話せないもんだね」


 正直に答えると、彰人は「そっか」と京子の横に腰を下ろした。


「仕方ないよ。距離が離れると、頭がそれに慣れて来ちゃうから。それを一時的に戻すって、結構難しい事だと思う」

「彰人くんは、みんなに溶け込んでたように見えたよ?」

「そう見えるだけだよ。踏み込まない会話なら幾らでもできるから」


 バスクとして能力を隠して生きて来た彰人にとって、それは元々備わっていたスキルなのかもしれない。ポーカーフェイスの彼はいつもみんなの中心で笑っていた。

 それが今、潜入捜査や他人に触れる機会の多い監察員としての仕事に役立っているのだろう。


桃也とうやと結婚するのかなって思ってた」


 空に投げ掛けるように、彰人が呟いた。

 フワッと広がった白い息が、闇と電灯の明かりの合間に溶けていく。


「プロポーズされたんでしょ?」

「知ってたんだ」

「アイツと仲良いからね」


 桃也がそれを彰人に話したのは意外だった。

 この二人はいつからそんな仲になったのだろう。最初会った時はいがみ合っていた気がするが、いつしか名前で呼び合うようになっていた。


「私は、彼の帰りを一人で待ってることができなかった。キーダーを辞める自分も、桃也と結婚することも、私には想像できなかったの」

「そうやって自分が悪いように言わないの。フォローしなかったアイツも悪いんだから」

「……そんなことないよ」

「あるよ。それで、今は誰とも付き合ってないって事だよね?」

「え? うん……」


 突然見せた彼の笑顔は、いつもの穏やかな笑みとは違っていた。

 意味ありげな目つきに戸惑って、「彰人くん?」と尋ねる。


「だったら今日は僕に付き合って。さっき言った事、結構本気だったけど?」


 ──『じゃあ、僕と二人でどっか行こうか?』

 あれは陽菜ひなの言葉に、彼が悪ノリしただけだと思っていた。


「二人きりで、ってこと?」

「うん。良いトコに連れて行ってあげる」


 急な誘いにすぐの返事を決められず、京子は吸い込まれそうな彼の瞳から目を逸らした。




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