33 二度目の別れは

 墓の前にピンク色のガーベラを見つけた。

 毎年この日に彼が家族へ贈る花だ。


 八年前の大晦日、彼の家に強盗が入った。

 家族の亡骸を前に犯人と鉢合わせた桃也とうやは、当時バスクだった力を無意識に暴走させて『大晦日の白雪しらゆき』を起こしたのだ。


 仕事が終わったら一度戻ると言った彼が近くに居る事を知って、京子は電話で指定された麓の小さな公園へ急ぐ。

 墓参りの時いつもバスで横を通るが、入るのは初めてだった。年末の早朝で他に人気はなく、京子は入口のすぐ奥に見つけた彼の胸に飛び込む。


「桃也、いつ戻って来たの?」

「昨日の夜。八時くらいかな」

「だったらうちに帰ってくれば良かったのに」


 桃也の匂いをいっぱいに吸い込んだ。

 彼の腕の中に居るのを当たり前だと思っていたのは、いつまでだろう。

 桃也は返事をしないまま京子を力強く抱きしめて、先に答えをくれた。


「別れよう、京子」

「……うん」


 頷いた顔を、彼の胸に埋める。

 ──『キーダーを辞めて結婚しないか』

 彼の目指すものを改めて理解した瞬間、京子の心も決まった。ずっと悩んでいたのが不思議なくらい、に落ちてしまったのだ。

 彼への返事を胸に溜めたまま過ごした一週間は、普段離れている数ヶ月よりも長く感じられた。


「俺はキーダーになって、お前を守ろうって思った。けど、気付くと俺にはそんな余裕全然なくて、今も自分の事しか見えてない」

「キーダーは桃也の夢でしょ? 一生懸命だって分かるよ」


 彼が必死だと分かるから、止める事なんてできなかった。


「そうじゃねぇよ。俺がそれにかこつけて、お前を優先できなかったんだ。昔ウチのオヤジにキーダーは誰をも守るヒーローだって言われた。心のどこかでそんな事ねぇって思ってたのに、そんな都合のいい事言える程、俺は強くなんかなくてさ」

「私は、桃也が自分の納得がいくまで頑張って欲しい。キーダーはたくさんの人を守る仕事だよ? 桃也にある可能性分、一人でも多くの人を救ってあげて」


 込み上げる涙に声がかすれてしまう。


「結婚しようって思ったのは嘘じゃない。けど、キーダーを辞めろって言ったのは、俺の我儘だ。俺もお前にはキーダーで居て欲しいし、今だってずっと俺はお前に憧れてるんだ」

「もう私は桃也に追い付けないよ。桃也、すごく強くなってるもん」

「そんなことねぇよ。俺はお前が居たからここまで来れた。お前を諦めた分、俺は自分のことやり切るから。俺がサードに行けるのも京子のお陰だ。ありがとな」

「私こそ、ありがとね」


 ぎゅっと桃也にしがみ付く。

 これが最後だと胸に言い聞かせて、彼をそっと離れた。


「桃也はもう帰っちゃうの?」

「明日帰るよ。ホテルとってる」

「うちでも良かったのに」

「決心が鈍ったらどうすんだよ。荷物は今度取りに行くから」

「……分かった」


 マンションに残っている彼の荷物なんて殆どない。「送ってあげる」と言うと、彼は「そうか?」と申し訳ない顔をした。


「九州に行くんでしょ? 羽田から?」

「見送りに来てくれんの?」

「泣かなくていい覚悟ができたら行こうかな」

「泣きながら言うなよ」


 桃也は京子の目尻に指を這わせて、涙をそっと拭った。


「期待しないで待ってるから。俺、来月から海外に行くんだぜ」

「海外?」

「仕事だよ。外にも目を向けろってな。暫く戻れねぇけど頑張って来るよ」


 アルガスと同じような施設は海外にも幾つかある。今まで深い交流はしてこなかったが、長官の交代も含めて色々と変わっていくのかもしれない。


「同じキーダーなのに、桃也はすごいね。私、海外になんて行けないよ」

「お前、英語苦手だもんな。俺が話せるから選ばれただけだって」


 軽く笑って、桃也は京子の頭を撫でる。


「京子、いつも墓参りありがとな。みんな喜んでる筈だから」

「うん……」


 彼に別れを告げられたのは二度目だ。

 一度目に「行かないで」とシャツを握り締めた感触は、今も手に残っている。

 今は冬でコートを羽織っているけれど、彼はあの日に似たシャツを中に着ていた。


 背を向けた桃也に、一筋だけ涙を流す。

 二度目の別れは、その背を追い掛けることはできなかった。





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