32 ピンク色のガーベラ

 始発のバスを乗り継いで目的地が視界に入る頃、町はようやく朝の色に包まれる。


「ちょっと会わない間に、色々あったみたいね」

「そういう朱羽あげはは龍之介とどうなの? 仲良さそうだってみんな噂してるよ?」

「彼はアルバイト。期待した所で何もないわよ」

「そうなの? 私は──」


 諦めたように口を開く京子に、朱羽が後ろの席からシートを掴んだ。

 バスの乗客は二人だけで、京子はここ最近の出来事を彼女に話す。胸に溜まった想いは少し軽くなった気がした。


 今日はあの日から八年目の大晦日だ。

 桃也とうやに『仕事が終わったら帰る』と言われたまま一週間が過ぎて、音沙汰はない。

 去年も一昨年もその前も、この日に丘を登る相手は朱羽だった。今年もいつものように連絡をくれて、断る理由もなく待ち合わせをした。


「桃也、いつ帰ってくるのかな」


 一度決めた気持ちが有耶無耶うやむやになってしまう前に、きちんと返事をしたいと思う。


「何かあれば教えてあげたいけど、私も観察やサードの仕事までは把握できないのよ」

「分かってるよ。けど今日は特別な日だから、ちょっと期待しちゃう」


 『大晦日の白雪しらゆき』が起きたこの日に、桃也が毎年ここを訪れていたのかどうかは分からない。結局彼には遠慮したまま、そんな話も気軽にできる関係にはなれなかった。


「私、桃也が好きだよ」

惚気のろけてる?」

「うん。惚気てる」


 バスのアナウンスが鳴って停留所を降りると、空気の冷たさに白い息が湧き上がる。

 いつもの花屋には、いつものようにカサブランカが用意されていて、京子はそれを受け取った。朱羽も定番の青い花束をオーダーする。


「ねぇ京子」

 

 店を出た所で、朱羽がふと足を止めた。


「桃也くんを引き留める事は、全然悪い事じゃないと思うわよ。けど京子が決めた事なら、それがどんな答えであれ一番だと思うから」

「そう思う?」

「えぇ。私が今の事務所に行くって言った時、京子は反対したけど止めはしなかったでしょ? やってみたらって言ってくれたの、あれ結構刺さったんだから」

「そんな事もあったね」

 

 もう八年も前の話だ。何となく記憶にはあるが、はっきりとは覚えていない。


「私も京子を応援してる」

「ありがとう、朱羽」


 彼女からのはなむけの言葉だ。

 墓へ向けて歩き出したところで、京子は灰色の視界の奥に華やかなピンク色を見つけて「えっ」と声を震わせた。

 その色が何を示すのか直感的に理解できて、京子は走り出す。


「ちょっと、京子?」


 桃也の家族が眠る墓の前まで走って、京子はその色を前に膝を地面へと落とした。墓石の前にガーベラの花束が供えられていたのだ。


「桃也だ」


 ピンク色のガーベラは、墓に眠る桃也の姉が好きだった花だ。

 マサに呼ばれて東京を離れた彼が、始発のバスで来た京子よりも前にここを訪れていたというのか。タクシーを使ったとしても、昨日は既に近くに居たのかもしれない。


 京子は辺りを見回して、彼の気配を探った。


「感じないよね?」

「えぇ。けど、監察員の彼ならそんなの残さないでしょ? まだ近くに居るんじゃないかしら」


 能力者の気配はないが、それが冬の夜を越した花束には見えなかった。


「私、桃也に会わなきゃ」


 京子ははやる気持ちを抑えながら、カサブランカの花束をガーベラの横に添えて手を合わせる。


「桃也を守って下さい」


 墓に眠る三人に、それを伝えたかった。

 京子はゆっくりと目を開く。けれど一つだけ聞きたいことがあって、解きかけた手を再び閉じた。


「来年もここへ来て良いですか?」


 そっと尋ねた声は、朱羽の耳に届いてしまう。


「いいのよ、私だって来てるんだから」

「朱羽……」

「私の事はいいから、桃也くんの所へ行って」

「ごめん、そうさせてもらう」


 「ありがとう」と頷いて、京子は下り坂へと駈け出す。

 走りながらスマホで彼の番号に発信すると、二回目のコールで呼び出し音が途切れた。留守録じゃない彼の声を聞くのはどれくらい振りだろう。


『掛けてくると思ってた』

「桃也、何処に居るの?」


 声を聞いて泣きそうになる。

 彼はすぐそこに居たのだ。




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