24 煙草の香り

 京子たちの来る少し前から奥の席にスタンバイして、探偵よろしく遠くからコッソリと二人を眺めていた。

 ようやく出たやよいからのGOサインに、綾斗あやとは飲みかけのグラスを手に二人の席へと移動する。

 店には最初から話をしてあり、死角の席を用意してくれた店長に「ありがとうございます」と頭を下げた。


「いらっしゃい。綾斗、久しぶり」

「お久しぶりです」


 京子は締まりのない顔を晒しながら、少々荒い寝息を立てている。

 そんな彼女との間を一つ空けて、やよいが「どうぞ」と綾斗に席を勧めた。


「日本酒飲ませたらあっという間だったよ。良く寝てるけど、いつもこうなの?」

「たまにですけど。今日は久しぶりにやよいさんに会ったから、予測はしてました」

「大当たりって事か。流石じゃん、ちゃんと気配も消せてたよ」


 彼女が寝なかったら、適当な理由を作って一緒に飲めば良いと思っていた。


「なら良かった。今日は無理言ってすみませんでした」

「気にしなくていいよ。私もたまには気分転換したいしね」


 今日やよいが上京したのは、綾斗がそうして欲しいと頼んだからだ。

 桃也とうやのサード昇進に思い詰める京子の話を聞いてやって欲しいと連絡したのが、ちょうど一月前。仕事の合間を見て、今日ようやくそれが叶った。

 京子の悩み相談には、彼女が信頼しているやよいが適任だと思ったからだ。


「確かに、同性の方が話しやすいのかな……まぁ、とりあえず乾杯」


 飲みかけのビールで乾杯をする。

 北陸で綾斗は二年半を過ごしたが、未成年だった事もあって酒の席に同席することはなかった。二十歳になって久志と飲む機会はあったが、やよいとは初めてだ。


「アンタと飲める日が来るなんてね。牛乳ばっか飲んでるガキンチョだったのに。最初はどうなのって思ったこともあったけど、ちゃんと背デカくなったじゃん」


 やよいは綾斗の頭のてっぺんを掌で指した。そして、鞄から封の切られたタバコを取り出す。


「ちょっと吸っていい?」


 綾斗は戸口に張られたステッカーを確認して、「どうぞ」と返事した。


「やよいさん、タバコ吸ってましたっけ?」

「たまにね。小さい時から絶対に吸うなって言われて育ったから、反抗心かな。こんな大層な銀環ぎんかん付けたからって自分は一人の人間に変わりないんだぞ、って自覚したい時があるんだよ」

「今もそんな気分なんですか?」

「いや、少し疲れたのかな。今日呼んで貰って良かったよ」


 咥えた煙草の先端が朱く灯る。

 フワリと漂う香りが昔祖父の吸っていたタバコの匂いを思わせて、懐かしくなった。


「ねぇ、綾斗はどうして京子の事好きになったの?」

「えっ」

 

 綾斗は横で寝息を立てる京子を振り返る。

 

「熟睡してるから起きやしないよ。幸せそうな顔してさ、辛いの全部隠そうとしてる。桃也の前でもそうなんだろうね」

「俺が京子さんを好きなのは……どうしてなんですかね。京子さんて、無茶ばっかして自分の事大事にしないんですよ? 桃也さんが居るのは最初から知ってたし、応援しなきゃって思ってましたけど、京子さんの辛そうな顔見てたら何でって疑問ばっかり沸いて」

「俺なら側に居るのに、って? それだけじゃ成り立たないから恋愛は難しいんだけどさ。何が好転するか分からないから、やれるだけやってみな」

「……自分から身を引いたら、絶対に逆転はできないと思うんで」

「あぁ、そういうことだ。アンタ、桃也がサードに行ったら京子がキーダー辞めるかもって焦ってんだろ」

「──はい」


 図星だ。


「やっぱりアンタって良い勘してる。ダテに京子の事見てるわけじゃないんだね。本人もそれを悩んでたよ。アンタには申し訳ないけど、好きなら行けばいいって言ってやった」


 やよいは煙草の火を消してテーブルに置くと、少々勿体ぶるように自嘲して、


「けど、まだ勝ち目はあるんじゃないかな」

「俺にですか?」

「分かんないけどさ。好きって気持ちだけじゃどうにもならない事はあるからね。桃也はサードに行きたいと思うんだ。だけど、京子の事なんか考えてるようじゃ、あのポジションは務まらないからね。本人も自覚してるだろうから、色々とうまく行っていないんだろうね」

「結局、サードってのは何なんですか?」

「長官と同等の地位をキーダーで確立させようってのさ。長官もいい歳だろ? 次のトップにはキーダーをってね」

「クーデターを起こす気ですか?」

「違うよ。これの発起人は長官自らだって噂だ。私も詳しくは知らないんだけどね」


 「内緒だよ」とやよいは笑って、グラスのビールを飲み干した。


「そろそろホテルに戻るよ」

「もうですか?」

「こっち来たついでに、友達誘ったんだ。明日は朝から遊園地だから」

「なら楽しんで来てください」

「勿論。京子の事はアンタがちゃんと送り届けるんだよ? 勝手に自分の部屋に連れ込んじゃ駄目だからね。まだアンタの女じゃないんだからさ」


 「分かってますよ」とムキになる綾斗の肩を叩いて、やよいは立ち上がった。


「綾斗、ちょっと良い男になったね」

「ちょっとですか?」

「のびしろだよ、のびしろ。あんなに遊んでたアンタが、こんなにも一途になるなんてさ。京子の事守ってやりな」

「それは……」

「分かってる、京子には内緒にしとくから」


 言い逃れできない過去を指摘されて、綾斗は苦虫を嚙み潰したような顔になる。

 やよいは「じゃあね」と笑顔を残して、店を後にした。


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