25 どうしてここに彼が居るのか

 ふと目が覚めると、隣に綾斗あやとが居た。

 硬い木のカウンターから起こした頭が、状況を理解してくれない。


「おはようございます、京子さん」

「綾斗……あれ?」


 ここはいつも来る馴染みの店だ。カウンターで寝てしまう事は良くあるし、そんな時は大抵綾斗が隣に居る。

 けれど今日彼とここへ来た記憶はなかった。


 腕に押し付けていたほおが鈍く痛んで、京子はすっかり氷の溶けたグラスを貼り付ける。時間は調度十時を過ぎた所で、店内はまだ賑やかな空気に包まれていた。


「私、やよいさんと居たよね?」

「居ましたよ。それなのに何で俺が居るんだろうって顔してる」

「うん、その通り」


 ビールの入ったグラスを手に、綾斗が不敵な笑みを浮かべる。


「やよいさんなら帰りました。京子さんが寝ちゃったからって、SOS貰ったんです」

「えぇ……悪いことしちゃったな。綾斗もわざわざ来てもらってごめん」

「俺も久々にやよいさんと会えたんで、結果オーライです。京子さんが気持ちよさそうに寝てるから、寝かしとけって言われました。二人で何の話してたんですか?」

「話? えっと……」


 ぼんやりとした頭で寝る前の記憶を辿って、京子は眉をぐっとひそめる。

 やよいの恋や死生観、それに桃也の事……と、一つずつ思い出した内容はどれも気軽に話せるものではなかった。


「やっぱり内緒。女子会だから、女子だけの秘密の話だよ」


 無理矢理誤魔化して、京子は両手の人差し指を唇の前でクロスさせた。



   ☆

 同時刻。

 京子たちから何百キロも離れた海辺の町で、一條佳祐いちじょうけいすけは店の軒先にぶら下がった提灯の明かりを逃れてスマホの通話ボタンをオフにした。


「佳祐、カニが来たから早く来いよ」


 ガラリと開いた扉から、男の声が佳祐を急かす。


「すみません、すぐ戻ります」

「早くね」


 軽めに念を押して、再び扉は閉められた。

 冬になりかけの海岸線は波が高く、風も強い。コートに身をうずめて、疲れと安堵の入り混じる白い溜息を吐き出した。


「やよいは、東京に居るのか」


 彼女が今北陸に居ない事にホッとしながらも、同時に『どうして』という怒りが込み上げる。

 ぽつり、と呟いた声は誰の耳にも届かない。

 佳祐は込み上げる感情を抑えきれず、その後に音を続けた。


「命拾いしたな。アイツも、俺も……」





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