【番外編】11 メガネ

「セナさんって最近メガネ掛けてますけど、マサさんと付き合うようになって何か心境の変化ですか?」


 コンタクトをやめて一週間経ったある日、帰り際に立ち話をしていた京子から突然指摘された。ついでにと言わんばかりのタイミングだが、あまり触れて欲しくない話題だ。


「私が彼と付き合ったからどうのなんて、あるわけないじゃない。デスクワークも多いし、こっちの方が楽だって思っただけよ」


 声高に返事する。

 それが肯定になってしまう事は分かるけれど、うまくコントロールができない。

 幸い京子はそれ以上疑う事もなく「へぇ」とのんびり頷いた。


「いつもお洒落に気合入れまくりのセナさんが『楽だから』なんて意外ですね」

「これだってお洒落してるのよ? この間読んだ雑誌に、メガネ女子の特集があってね」


 「メガネ女子?」と食いつく京子に、セナは内容を掻い摘んで話をする。

 雑誌を見たのは偶然だけれど、他の話が少しずつ捏造ねつぞうされているのは秘密だ。メガネが楽だというのは、言いながら考えたらしい嘘だった。

 

 そんなセナだが、採用試験で初めてアルガスへ来た時はメガネを掛けていた。

 学生時代もずっとメガネで、コンタクトにしようと思ったこともない。

 化粧っ気も少ない地味な女子だったセナが眼鏡を外したのは、他ならぬマサに出会ったからだ。


 ──『アルガスに用? もしかして面接に来たの?』


 大きな門を前に立ち往生するセナに、後ろから声を掛けてきたのが彼だった。

 黒い上下のジャージを着た無精髭ぶしょうひげの男は不審者にしか見えなかったが、「えっ」と戸惑うセナに優しくアルガスを案内してくれたのだ。


 ──『俺、ここで働いてる佐藤って言います。怪しいと思わせたならごめんな?』


 銀環ぎんかんをしない彼は、帰り際にいっぱいの笑顔で手を振ってくれた。

 大人男子という補正が掛かっていたのだろうが、あの時のセナにはそんな彼がやたらカッコよく見えた。


 けれど、彼を好きだと思ったのはもう少し後だ。

 試験も無事に合格して可愛くなりたいと思ったのは、アルガスでマサと並んだ時に自分がやたら子供に見えたからだ。

 少しでも背伸びしたくてメイクを覚えた。コンタクトに変えたのは、今考えると一大決心だったと思う。けれど自分が思うよりも周りの反応は上々で、男性の態度は高校時代と比べて180度変わった。


 アルガスでマサと先輩後輩という関係が半年ほど続いた頃、彼を好きだと思うタイミングは突然やってきた。


 ──『私、マサさんが好き』


 京子と彼女が話しているのを偶然耳にした。

 セナと同じ時期にアルガスに入ったキーダーで三つ年下の彼女は、男性施設員にも人気の可愛い高校生だった。

 彼女はマサにその想いを伝えて、フラれてしまったらしい。それを聞いた時、ホッとしたのを覚えている。

けれど彼女がアルガスを放れると聞いて、セナの中に後ろめたい気持ちが生まれたのも事実だ。


 ──『マサさんって、セナさんのこと大好きですよね』


 京子に言われるまで気付かなかった。そして、自分の気持ちに遠慮したのだ。


 ──『私は、そんな気ありません』


 桃也とうやを理由にしてアパートに通った時もそうだ。いつも気のないフリをして、彼からのアプローチを断り続けた。


 だから彼が北陸へ旅立つ日に想いを告げた時、周りは大分驚いたのだ。


「けど、セナさんメガネ似合いますよ。メガネ好きのファンが増えそう」

「ほんと? ありがと」


 メガネ女子について一通り聞いた京子は、「じゃあ、失礼します」と満足そうに帰っていく。その背中を見送ると、スマホがメール受信の音を鳴らした。


『明日帰るから』


 彼はいつも唐突だ。先々週来たばかりで、遠距離にしてはちょっとスパンが短すぎる気もする。

 けれど、いよいよだと思うとドキドキが止まらなくなった。

 メガネを掛けた顔を見て、彼は何て言うだろうか。


 この間会った時、彼にふとこんなことを聞かれた。


「セナさんって、最初会った時メガネ掛けてましたよね? もう掛けないんですか?」

「えっ……だって、ないほうが可愛いと思わない?」

「あぁ、それでか。確かにコンタクトのセナさんも可愛いですよ。けど、俺がセナさんを好きになったのって、メガネ掛けてた顔だから。また見たいなって」

 

 だからそんな理由は、絶対に京子には教えてあげることができないのだ。



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