33 最悪の可能性
龍之介が
仕事の始まる十五分前に事務所へ着く。今日は雲もまばらの良い天気だった。
明日、いよいよアルガスに『マサさん』が戻って来るらしい。
昨日の帰り際、いつになくソワソワする朱羽に龍之介は彼への嫉妬心を募らせたが、そんなことを考えたところでどうにもならないことは重々承知だ。バイトという確立した至福の時間をこじらせるわけにはいかない。
気を取り直して事務所のチャイムを鳴らすと、いつもと様子が違う事に気付いた。
扉は人の有無に限らず、普段から鍵が掛かっている。いつもならすぐに朱羽がインターフォン越しに返事をくれるが、今日は何も反応はなかった。
「あれ」と耳を澄ますが、そのまま沈黙が通り過ぎる。
トイレか電話か、何か出れない事情を考慮して、少しだけ置いてから再びチャイムを鳴らす。けれど一向に返事はない。
「……居ない?」
昨日の帰り際に何かを言われた記憶もなく、アドレス交換をした彼女専用のメールフォルダも空のままだ。
一瞬頭を過ったのはまだ見ぬマサの姿だったが、彼が来るのは今日じゃない。それがもし一日早まったとしても、連絡なしで彼の元へ行ってしまうような事はないだろう。
「疑ってるのかよ」
きっと急ぎの用か何かがあって自分への連絡が後回しになっているだけだろうが、優先順位の低さを実感して、妙に虚しくなってしまう。
どうせ鍵が掛かっている――無駄なことだと分かっているのに、龍之介はダメ元で少し古いタイプのドアノブに手を掛けた。すると不安を受け入れるように、ドアノブは何に
「えっ……開いてる?」
途端に胸騒ぎを感じて、龍之介は「朱羽さん!」と事務所の中へ飛び込んだ。
彼女が倒れているかもしれない。もしくは、誰かが忍び込んだかの二択が頭に過る。後者であれば龍之介自身の命も危ういが、冷静でなどいられなかった。
幸い中には誰の姿もないが、シンとした事務所に煌々と光る蛍光灯と付きっぱなしのエアコンは違和感しか与えてこない。
「朱羽さん……?」
声が小さくなってしまうのは、恐怖を感じているからだ。
机の向こう、トイレに、寝室――狭い事務所に死角は幾らでもある。
龍之介は靴を脱いで「失礼します」と囁いた。スリッパを横目に靴下のまま中へ上がり込む。
足音を忍ばせて、警戒しながら本棚の前へ向かった。
立てかけられたさすまたを手に取って、大きく息を吐き出す。武器を得た戦士のようだと自分を鼓舞し、次にトイレへ向かうが中は空だった。
――『そこは私の部屋だから、入っちゃ駄目よ』
一番奥の部屋は朱羽からそう言いつけられているが、あとはそこしか思い当たる場所がない。テーブルの上に放置された頭痛薬の瓶も気になった。
「朱羽さん!」
さすまたを突き出して初めて踏み込む秘密の部屋は、木目調の家具で統一された彼女にしてはシンプルな部屋だ。
荒らされている様子もなければ誰も居なかったことにホッとしたのも束の間、一枚のメッセージを見つけて「あっ」と息を詰まらせる。
黒字で殴り書きされた紙が、千切られたガムテープでベッド横の壁に留められていた。
『
最近見慣れた朱羽の字ではない。
足元に転がるサインペンを見つけて、龍之介は
「何だよこれ。朱羽さん……」
ありきたりな脅迫状は京子を呼び出すためのメッセージに見えるが、場所も何も書かれていない。最後にしたためられたアルファベットが人の名前を指すのなら、思い当たる相手は一人しかいなかった。
「ガイア!」
龍之介は怒りのままに叫んで部屋を飛び出した。
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