32 ウィル、シェイラ、ガイア

 相葉龍之介の仕事は、キーダー矢代朱羽やしろあげはの助手・兼ボディガードだ。


「暴漢が来たら、俺がこのさすまたで朱羽さんを守ります!」


 部屋の隅に立て掛けられたさすまたを冗談めいて構えると、朱羽は「ありがとう」と微笑む。

 能力者の朱羽を敵にするような相手を、こんな棒で押さえつけられるとは到底思わないけれど、尻込みして彼女の後ろに隠れるような真似だけはしたくない。むしろ自分も戦いたいと思うが、適当な武器で威嚇する以外にすべを知らないのも事実だ。


 とはいえ、助手でボディガードと言えば聞こえはいいが、実際のバイト時間に龍之介がしていることと言えば、掃除にお茶くみに資料整理が主だった。つまり雑用だ。


 紙が基本だというアルガスで、本部にあるという山のような資料が、数日おきにこの事務所へ運ばれてくる。朱羽はその全てに目を通して、ファイルにまとめていくのが仕事だ。


 この間アルガスに提出した書類によって、龍之介も資料の閲覧を許可されている。

 先日の事故もそうだが、キーダーの活躍はあまり大っぴらに世間に公表されることはない。だから少し前の報告書を見ても、ノーマルの龍之介には分からない案件ばかりだった。


「キーダーは俺たちの知らない所で色々なことしてるんですね。もっとニュースに取り上げてもいいのに」

「いいのよ。目立ちすぎると外に出るのも億劫になっちゃうから」


 朱羽はキーボードから手を放して、大きく伸びをした。午前中からずっと資料に向かっていたようで、「疲れたぁ」と淹れたばかりのカモミールティをすする。


「確かに芸能人並みに顔バレしちゃうと、変装が必要になりますね」

「そうよ。キーダーなんて誹謗中傷の的になることだってあるんだから」


 過去に隕石から日本を守った英雄がキーダーでも、世間から無条件に愛されているわけではない。

 龍之介はキーダーを嫌っていた祖父を思い浮かべて「そうですね」と頷いた。


「けど俺、大舎卿だいしゃきょうが出てたCM見た事ありますよ!」

「昔の話ね。キーダーは何でもやらなきゃいけない時があるのよ。美弦みつるちゃん達も、今度アイドルのショーに出るとか言ってたわよ? 私はそんなの御免だけど、頼まれたら断れないわ」

「そんな事までするんですか? アイドルって……」

「ジャスティって言ってたかしら」

「ジャスティ!」


 アイドルグループで今最も旬なグループだ。CMにも数多く出演していて、目にしない日はないだろう。クラスでもファンだと言っている男子は多い。


「龍之介も好きなの?」

「嫌いじゃないですけど、わざわざ見に行くほどじゃないですね」

「そうなんだ」 

「朱羽さんがテレビに出る事になったら、美人過ぎるキーダーだとかはやされちゃうんじゃないですか?」


 華やかなアイドルよりも、目の前の彼女との距離の方が龍之介にとって重要だ。

 もし彼女が有名になってしまったらと考えると、絶対に阻止しなければならない。


「大袈裟よ」


 朱羽はニコリと笑って再び資料に目を落とした。仕事モードの真剣な眼差しを横から堪能して、龍之介も資料をテーブルに並べていく。

 今扱っている案件は少し古い日付が印字されているものが多く、ふと手にした資料には、去年町中で起きた事件の事も載っていた。


 窃盗を繰り返す若者グループの一人がバスクで、京子によって捕らえられたというのが大まかな内容だ。

 捕まった能力者バスクは名前が『ウィル』と書かれている。外国人だろうか。銀次のスマホで見た京子の後ろ姿を思い出すと、龍之介は少しだけ事情通になった気がして嬉しくなった。

 けれど文章の中に聞き覚えのある言葉を見つけて、息を呑む。


『シェイラ、及びガイアは隔離の対象外』


 用紙の最後にそう書かれていた。


 ――『シェイラ……』


 アルガスで話をした時、京子がその名前を呟いた。

 刺青いれずみの入った日本人顔の女がそれを名乗っているのだとしたら、あのアロハ男はガイアという事になるのだろうか。


 けれど、龍之介にはそれを朱羽に確認することはできなかった。

 「言わないで」と京子に念を押されたからだ。




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