31 嫉妬

 事務所の扉を潜って朱羽あげはと対面した銀次ぎんじが言葉を失ったのは、ほんの数秒だった。短いけれど長い一呼吸に、龍之介は心の中でガッツポーズする。


「初めまして。矢代やしろ朱羽です。龍之介のお友達?」

「高校のクラスメイトです。昨日の事故の話してたら、朱羽さんに一目会いたいって言うんで。いきなりすみません」

「別に構わないわよ。けど、大した事をしたわけじゃないの。今朝の新聞にも記事が載ってたけど、すごく小さかったんだから」


 嬉しそうに謙遜する朱羽に、銀次は恭しく頭を下げる。


「初めまして。小出こいで銀次です」


 彼が珍しく動揺しているのが分かって、龍之介はどうだと言わんばかりに胸を張った。


「すっげぇ美人」


 銀次に後ろ腕を引っ張られ、耳元で嫉妬を吐かれた龍之介は嬉しくてたまらなかった。

 朱羽が美人なことは伝えてあったが、その度合いは銀次の想像を上回っていたらしい。

 銀次と出会って二年目の夏にして、ようやくこの気持ちを味わうことができた。


「じゃあ俺、帰ります。この後バイトが入ってて」

「もう? ゆっくりしていっても良かったのに」

「ありがとうございます。会えて嬉しかったです」


 元々そういう約束だったが、思ったより早い退散に龍之介は申し訳ない気持ちになってしまった。

 「ちょっとすみません」と断り、外へ出た銀次を追い掛ける。


「銀次!」


 駅へ向かう銀次の背中に呼び掛けると、数歩進んだところで彼の足が止まった。沈黙の後にきびすが返って、無理矢理作られた笑顔が龍之介を見据える。


「彼女、銀環してたな。本当にキーダーなんだ」


 か細く淡々と話す声は、いつもの快活なトーンとは違う。


「疑ってたのかよ。嘘じゃなかっただろ?」

「そんなつもりはなかったけど、どこかで冗談だろうって思ってたのかもな。龍之介、お前はどうしてそんな所に居るんだ?」


 ふと疑問符を突き付けられて、龍之介は「えっ」と足元を見た。コンクリートの地面に何もおかしなところはない。

 銀次の言う言葉の意味が分からず「何だよ」と問い返すが、銀次はそのまま「じゃあな」と行ってしまった。


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