15 マサさん

 近くに停めてあるという車を取りに、綾斗あやとが先に事務所を出る。

 朱羽あげはの支度を待って外へ行くと、さっきまで晴れていた空に灰色の雲が広がっていた。ただでさえ暑いのに、べったりとした湿度を感じる。


「雨が降れば少し涼しくなるのかしら」


 憂鬱そうに空を見上げた朱羽の横顔に、龍之介はスカジャンもといアロハ男の話をしようと思ったが、綾斗の車が早々に到着し、出かけた言葉を飲み込んだ。

 あの男が何かをしようとしたわけじゃない。見掛けただけのことなんてわざわざ報告する事でもない気がして、龍之介は朱羽に促されるまま助手席へと乗り込んだ。


 綾斗が制服を着ていたので、龍之介は勝手にホワイトやシルバーの社用車を予想していたが、二人を迎えに来たのは眩しいくらいの真っ青なスポーツカーだった。


「これは木崎さんの車ですか?」

「まぁね。それと、慣れないから俺の事は名前で呼んでくれる?」


 綾斗はそんなことを言って、国道へと車を走らせる。


「分かりました、綾斗さん!」


 張り切って呼んだ勢いに、朱羽が「可愛い」と笑う。

 アルガスまではそう遠くない。中央のモニターにはナビが映し出されていて、渋滞を示す赤いラインが道路に沿って幾つも点滅していた。


 沈み込むようなシートと低い視界からの風景を堪能していると、龍之介はルームミラー越しに見える朱羽が浮かない表情をしていることに気付いた。


「朱羽さん、まだ頭痛みますか?」

「今はもう落ち着いてるわ。具合悪そうに見える?」


 こくりと龍之介が頷くと、


「アルガスに行くのが好きじゃないのよ。心配しないで」


 朱羽は「色々あって」と肩をすくめる。


「そういえば朱羽さん、聞いてますか? マサさんのこと」


 国道の直線に入った所で、綾斗が口を挟んだ。

 「えっ」とあからさまな反応をした朱羽に龍之介が真顔になってしまったのは、それが男の名前に聞こえたからだ。

 恋人、意中の人、それとも過去の──と、龍之介は色々な可能性を頭でぐるりと巡らせる。


「来週から、しばらくこっちに居るそうですよ」


 綾斗がその事を告げると、朱羽は「うん……」と曖昧に答えたきり黙ってしまった。

 ついさっきまで何ともなかった車内に重苦しさを感じて、龍之介は窓の外へ視線を戻す。けれど途切れた会話の深層が気になって、風景を楽しむ事はできなかった。

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