58 彼女が敵だという事

 週末の金曜日。

 受験に向けての保護者説明会を理由に、補習組を残して午前中での下校となった。


 先日、それを耳にしたらしい綾斗あやとが代理出席を申し出てくれたが、切羽詰せっぱつまった内容でもなさそうなので丁寧ていねいに断らせてもらった。

 十日の猶予ゆうよに甘えてキーダーへの決断もできていない自分には、大学受験など遠い話のように感じてしまう。


 こんな日はゆずると外で昼飯を食べに行くことが多いが、今日は彼にとっての『決戦の日』だった。

 夜に横浜のコンサートホールで行われるというジャスティのライブに向けて、朝から授業も上の空。にやけ顔に女子の冷たい視線が集中していた。

 下校の挨拶と同時に戦闘モードへ切り替わった彼と別れて、修司はアルガスへ戻る。


 閑散とした食堂の窓辺で一人天丼を食べていると、カウンターから「修司」と声を掛けられた。

 桃也とうやが向かいの席に座る。そういえば昨日は仕事が詰まっていたらしく、彼に会うのは二日ぶりだ。


「早いんだな。ちょうど部屋空けたから、今日はホール行くのやめて引っ越ししようぜ?」

「え、良いんですか?」

「まだここに居るんだろ? なら、ちゃんとした布団で寝たいもんな」

「すみません。桃也さん忙しいのに」

「遠慮すんなよ」


 簡易かんいベッド生活が終わることを素直に嬉しいと思う反面、自室が与えられることへのプレッシャーを感じてしまう。


安藤律あんどうりつのトコに行ったんだって?」


 二人で部屋に戻ったところで、オブジェのような山積みの資料を抱えながら、桃也がそんなことを聞いてきた。

 修司は脱いだ制服のジャケットをダンボールに乗せて、一瞬出かけた否定の言葉を飲み込み「はい」と返事する。


 流石に注意は受けるだろうと思ったが、桃也は予想もしていなかった質問を直球で投げてきた。


「あの女にれてるのか?」

「惚れ──そんなことないですよ」


 両手を必死に振る修司に、桃也は「顔真っ赤」と笑う。


「ほんとに違うんです。もう行かないって決めたし。ただ、憧れって言うんですか? ちょっとだけ……」


 街で最初に律と会った時から今までを通して考えても、好きというには何かが欠けているような気がする。

 迷いながら答える修司に「へぇ」と笑って、桃也は床に積まれたダンボールを台車に重ねていった。


「後悔はしないようにしろよ? 会いに行ったってのはアルガス的にNGなんだろうけど、気持ちに整理がつくなら、俺はそれで構わないと思う」

「桃也さん……」

「けど、お前はあの女と戦えるのか? 安藤はプロだ。敵だと判断したら、お前にだって躊躇ためらいなく攻撃してくるぜ。それを目の当たりにして、自分も攻撃できるのかってこと。戦わないと自分がられるだけだぞ?」

「殺られる、って……」

「ホルスにとってキーダーってのは、そういう相手なんだよ」


 今はまだ仮の期間だけれど、もしキーダーになると言ったら本当にそんなことが起きるのだろうか。

 人を相手に戦うことさえ実感が湧かない修司にとって、律に殺される現実など想像が追いついてはくれなかった。

 けれど彰人あきひとも評価する律の力は、確かに直撃を食らえば一瞬であの世に意識が持っていかれそうな気がする。


「脅かすつもりはないんだけどな」


 桃也は窓を開けて、申し訳程度のそよ風を背に腕を組んだ。


「能力者のお前が銀環を付けている限り、俺たちはお前を守ってやる。けど、守り切れないことだってあるって事を頭に入れとけよ?」


 「はい」と修司はうなずく。空気が重い。

 気を紛らわそうと再び荷物の整理を始めるが、積み込みなどすぐに終わってしまった。


 元々部屋にあった荷物が多すぎて、全然片付いた感じがしない。

 桃也は眉をしかめながら部屋を見渡し、机の隅に乗ったファイルの山を確認した。パラパラと紙をめくる手を止めて「うん」と紙の束を叩く。


「この辺は資料庫のだから、片付けといたほうがいいかもな」


 うっすらとたかったほこりを払って、桃也は二十センチ程に積んだファイルを修司へ渡した。そして彼は更に高く積んだ本の山を抱える。

 それらが無くなったところで荷物だらけの風景は変わらないが、修司は「行くぞ」と部屋を出た桃也を追い掛けて、アルガスの過去が眠る地下の資料庫へと移動した。



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