35 鈍感そう

 修司しゅうじ美弦みつるとソファに並びながら、かげり始めた空をぼんやりと見つめていた。手首に巻かれた銀環ぎんかんを逆の手で何度も確かめて、それでもまだ現実を理解しきれずにいる。


 黙ったままの彼女が何か言いたげな視線を向けて来るが、目を合わせるとすぐに顔を背けられてしまった。そのやり取りは三度目だ。


 颯太そうたが来なければと思うけれど、しばらくして部屋のドアが叩かれた。

 先に美弦が「はい」と立ち上がり、相手を迎える。

 綾斗あやとだ。しかし彼は中へ入らず、来客を告げて行ってしまう。


 改まって美弦が「行くわよ」と修司を促した。

 色々考えた所でこうなるのは分かっていた。ソファに吸い付く重い腰を上げ、修司ははらんだ空気を重く吐き出す。


「キーダーになるのが怖い?」


 「そんなことねぇよ」と答えたが、半分は強がりだ。キーダーとして死を隣り合わせにする恐怖はもちろんある。けれど、いまだにきちんと受け入れられないのは、納得できないまま流されそうになっている今の状況の方だった。


 そんな複雑な心境を見透かして、美弦は「もぉ」とくちびるとがらせる。


「面倒な奴ね。バスクなんかでいるから、覚悟が決められないのよ。それより――」


 ドアに手を掛けて、彼女が突然足を止めた。振り向いた顔を扉へと返し、押し黙ってしまう。

 「どうした?」と修司が尋ねると、美弦は困惑顔こんわくがおから溜息ためいきらした。


「アンタって、鈍感どんかんそうよね」


 修司は「はぁ?」と不機嫌に言い返す。

 美弦は相変わらずのツンとした表情を作るが、大きな瞳の奥が戸惑いを隠せない。


「私も、最初聞いた時びっくりしたんだけど。いい? アンタのその頭パンクするわよ?」


 突き付けられた『予告』が示す現実に驚愕きょうがくするのは、それから三十分程経ってからの事だ。



   ☆

 美弦に案内されたのは、階段を上った四階にある会議室だった。

 まだ誰も来ていない。コの字に組まれた机に青い椅子が並んでいて、正面のホワイトボードには年季の入った文字が全面にうっすらと染みついていた。

 そんな中でも部屋で一番目に付いたのが、色違いの壁だ。窓際と側面が明らかに違う。外に面していない三面はヤニか何かで黄ばんでいるのに、窓の面だけはやたら白くて新しかった。


「ここは、二年前の襲撃しゅうげきで損傷がひどかった部屋なんですって。外は塗り直されてるから判り辛いけど、中は結構適当って言うか。でも、ちゃんと直ってるでしょ?」


 あの夜テレビで見た出来事を、この部屋がようやく現実だったと教えてくれた。


「アルガスはキーダーの象徴ともいえる場所だから。欠けたままにしておく訳にはいかないでしょ? だから外見の修復は速かったって、前に京子さんに聞いて――あっ、来たわよ」


 近付いてきた足音に、二人が同時に顔を上げる。

 緊張に修司が息を飲み込むと、軽いノックと共に扉が開いた。先に現れた綾斗の後ろから顔を見せた颯太そうたと目が合って、修司はたまらず「伯父さん!」と呼び掛ける。


 朝出て行った時はジャケットを羽織っていた筈だが、白衣を脱いだままのグレーのシャツに汗がにじんでいた。手にした水のペットボトルは空に近い状態だ。


 目尻を緩ませながら「おぅ」と返事する颯太に駆け寄って、修司は「ごめんなさい」と頭を下げた。



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