34 銀環を付けるという事

「それマニュアルか? お前まさか、初めてやるんじゃないだろうな?」


 「そうよ」と答える美弦みつるに、修司は思わず腕を引き戻した。


「黙りなさい。能力があれば、赤ちゃんだって銀環ぎんかんを付けるのよ? アンタ私の事信じるって言ったじゃない」

「いや、それはこの境遇をってことだろ? お前を信じて銀環をするって言ったんだ。初心者に付けられるなんて承諾してねぇよ」


 出生検査で陽性反応が出るとキーダーが銀環を結びにやって来ると言うが、そんなに簡単な事なのだろうか。

 銀環を付ける覚悟はできたが、紙に並ぶ説明文の量に不安は増すばかりだ。初回くらい綾斗あやとが上司として横に居るべきなのではないだろうか。


「う、うまいことやってくれよ」


 恐る恐る差し出す手を強引に引き寄せられ、素早く銀環を通された。

 手首に常時しておくには大分大きな環だ。初めての感触は、固くてひんやりと冷たい。


「力を掛けると縮むから安心して」


 美弦がそう説明するが、訳が分からなかった。

 修司が納得できないまま捨て身の覚悟でうなずくと、美弦は銀環ごと左手を握り、掌に白い光をじんわりと籠らせる。

 光が放たれている最中、美弦の視線が何度も何度もマニュアルを確認した。「あれ?」と零れる疑問符に不信感のゲージが伸びていくが、やがて銀の環は目に見える速度で小さく縮まる。


「やったぁ、どうにか成功よ」

「どうにか、って。お前……」


 声の後に光が消えて、彼女の額に汗が光った。

 繋がれた手が離れ、修司はホッと安堵する。

 「ありがと」と左手を何度も確認すると、銀色の環は絶対に自分で抜くことのできないギリギリの隙間を残して上手く収まっていた。銀環が力を抑制すると言うが、身体への変化は何も感じない。


 今朝、頭上をアルガスのヘリが横切って行った時は、数時間後にこんな事態に陥るなど想像もできなかった。


「何か違う? 私は生まれてすぐに付けられたから、外した感触は知らないの」


 美弦がソファに背中を預けて、高く掲げた左手首を見上げながらそんなことを呟いた。

 同じ力を持って産まれても、境遇は大分違う。祖母や母親、それに颯太そうた――と、今の自分を導いた想いが全身を取り巻いていく感覚に息苦しさを感じて、修司は「窓、開けて良い?」と窓辺へ向かった。

 「どうぞ」と美弦も修司の横に並ぶ。顔一つ分の身長差を懐かしく感じた。


 夕日の差し込む窓を開けると暖かい風が流れ込んできて、修司は大きく息を吸い込む。

 アルガスから見る町はマンションからの風景とは違い、遮るものが何もなかった。工場の大きな屋根が並んで、その向こうに海を臨む。


「なぁ、俺、キーダーになったんだよな?」


 再び右手で銀環を確認する。同じ空を見つめながら、美弦が「一応ね」と呟いた。


「トールになりたいと思ったこともあったけど、もう少しこのままで居ていいかな」


 既視感や、力を持つことへの優越感からではない。この力を手放してしまったら、力を持つことで得た色々な縁が途切れ、何もない空虚くうきょへと弾き出されてしまいそうな気がしたからだ。


「私は別にそれでいいと思うわよ」


 男らしくハッキリしろと言われるかと思ったが、肯定こうていされたことで張り詰めた気持ちが緩んでしまった。

 ふと頭にジャスティのメロディが流れる。


 ――『私は貴方が好きじゃないけど、貴方と一緒に運命を突き進みたいの』


「ちょっと、何泣いてるのよ」


 泣いてるつもりなんてなかった。けれど、「もう」と右手をぎゅっと握り締めてくれた美弦の温もりが優しくて、そのまま涙を受け入れる。


「私が捕まえるって言ったでしょ? 心配したんだから。本当に、間に合って良かった」


 そんな美弦の言葉に視界がゆがむ。そっと彼女を一瞥いちべつするが、目を合わせてはくれない。

 美弦の視線を追って見上げる、アルガスから望む空はあまりにも高くて、あまりにも広くて。


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