33 初めての……

 扉の閉まる音をやたら長く感じて、その後に沈黙ちんもくが訪れた。


 三人掛けソファの両端に座ったまま、修司しゅうじは切り出すタイミングを計る。二年ぶりの再会は、想像していた以上に重苦しい空気を漂わせた。


「何か言うことないの?」


 美弦みつるがそっぽを向いたまま苛立いらだつ。


「ええと。髪伸びたじゃん」


 いや、そんなことを言いたかったわけではない。

 もっとこう、久しぶりだとか近況を伝えたいと思っていたのに、振り向いた視線の先に彼女の長いツインテールが飛び込んできて、緊張のあまりにそんなことを口走ってしまった。

 しかし、美弦は「確かに伸びたわよね」と満更まんざらでもない顔をして、自分の髪を両手で撫でる。


「アンタはあんまり変わってないわね。私の事覚えてるとは思わなかったわ」

「そりゃ、初対面で怒鳴ってくる女なんて忘れねぇよ」

「そんなことは忘れていいのよ。それより、アンタがあの時言ってた会いたい人って平野さんの事だったの?」


 いきなり出たその名前に、修司は「そうそう!」と身体を乗り出して彼女との間を詰めた。

 ピタリと腰が触れて、美弦が「ちょっと」と声を上げる。


「いきなりくっついてこないでよ! 変態!」


 顔を真っ赤に紅潮こうちょうさせ、美弦は鋭く威嚇いかくした。

 てのひらを胸の前で広げて「下がって」と声を上げるが、修司は彼女に触れないギリギリの位置まで引いて、勢いのままに食いつく。


「ごめん。でも平野さんもここに居るのか? 居るなら会いたいんだけど!」


 今まで躊躇ためらっていたのが嘘のように、素直にそう言える。

 けれど美弦は少し腰を後ろにずらしてから両手を下ろすと、「残念だけど」とツインテールを揺らした。


「平野さんずっと訓練施設に入ってたんだけど、今年の四月から東北支部に配属されたのよ」


 仙台駅の西口から少し離れた位置に建つ、高いビルの中層階にアルガスの支部があることは知っている。颯太そうたから近付かない方がいいと言われていた場所だ。

 もう戻らないのかと思っていた平野は、キーダーとしてとっくにあの町に戻ったらしい。


「東北はずっとキーダーが不在で、やっと平野さんが入ってくれたの。けど、アンタはもうバスクじゃないんだし、そのうち会えるわよ。あの女のトコにいるって聞いた時はどうなる事かと思ったけど、もう安心して」


 律への反感をあらわにした美弦に、修司は口をつぐむ。

 キーダーの彼女がそう言うのは立場上仕方のないことだけれど、それでも苛立ちを覚えて彼女をにらみつけてしまう。


「律さんはそんなに悪い人じゃないよ」


 まだ二回しか会ったことはないが、アパートで一緒に台所に立った事や、おにぎりを食べる彼女、山で見たその笑顔がどうしても敵だと頭が理解してくれない。


「でも安藤律はホルスなの。その事実は変わらないから」


 美弦は相変わらずの不機嫌な顔で、両手をお腹の前で組み合わせながら主張を続けた。


「もう亡くなってしまったけど、彼女には歳の離れた恋人が居たのよ。どんな経緯で一緒になったのかは知らないけど、その人がホルスの幹部で彼女の力を道具にしていたのは確かだわ」

「ホルスの幹部が恋人……って」

「彼女は一人になってからもその恋人の遺志を継いで、幹部になったらしいわ。目立つような事件は起こしていないけど、キーダーを単体で狙ったり、バスク同士で争ったり。資金調達やバスクの勧誘をしてるのよ」


 律の部屋にあった写真が、美弦の話に繋がる。少し若い彼女の笑顔がその男のものだと確信して、修司は愕然とした。

 けれど本人に聞かないまま納得はできない。

 あの古びたオレンジ色の空間にもう一度行って、真実を確かめたいと思ってしまう。


「ホルスはまだ闇だらけの組織よ。安藤は唯一顔の割れた人間だから、むやみに捕まえることもできないの。彼女をこちら側に繋いでしまったら、そこから進む手立てを失ってしまうから」


 再び項垂うなだれた修司に、美弦がパンと高い音で手を鳴らして立ち上がった。


「まぁ、あの女の事はこのくらいにしましょ」


 よろりと上げた修司の視線に、彼女が掴んだ銀色の輪が飛び込んでくる。


「そろそろやるから、大人しくしててくれる?」


 今になって、颯太との出来事が走馬灯そうまとうのように頭を駆け巡り、胸が苦しくなった。


「伯父さんは大丈夫なのかな……俺のせいで迷惑なんか掛けたくないのに」

「最悪は回避させるって綾斗さんが言ってくれたでしょ? あの人を信じて。ここに居るキーダーは、みんな悪い人じゃない。だから」


 自分も、律のことを悪い人じゃないと思っていたのだ。だから今は目の前の事だけを受け止めようと思う。


「じゃあ、俺はお前を信じるよ」

「何よいきなり。でもいいわね、この銀環をしたら気配を消してもキーダーだって事は誰にでもわかる。キーダーを良く思わない人なんて、そこら中に山ほどいるから、気を付ける事」

「それは、分かる気がする。俺もキーダーなんてって思ってたから」

「でしょ? でも、胸張っときゃいいのよ。私たちは命張ってるんだから」


 平らな胸を突き出して美弦は制服の腕をまくり上げると、修司に左手を出すよう指示した。


「命……か。大分重いな、その銀環は」


 「強くなればいいのよ」と笑んで、美弦は何故かホチキス留の書類をテーブルに広げた。

 ぎっしりと埋め尽くされた文字に、修司は不穏ふおんな空気を感じてしまう。


「それマニュアルか? お前まさか、初めてやるんじゃないだろうな?」


 「そうよ」と即答する美弦に、修司は思わず腕を引き戻した。



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