36 隠し事

「お前が謝ってどうすんだよ」


 「ごめんなさい」と頭を下げる修司しゅうじの手首を見て、颯太そうたは「そうなるよなぁ」と苦々しく笑った。


「ホルスと関わってたって聞いて、心臓止まるかと思ったんだぜ。怪しいと思った時点で、あの二人をもっと警戒しとくべきだったな」

「…………」

「無事で良かった」


 颯太はそのまま修司を抱きしめる。

 修司は驚きつつも、大きなその手を受け入れた。いつも通りの彼の声と消毒液の匂いに、込み上げてくる涙を堪える。


「けど、伯父さんは……」

「俺の事は気にすんな。それにしても、あの女がホルスだったとはな」


 「全くですよ」と綾斗あやとが手にしていた紙に目をくれて、溜息を吐き出した。

 修司は颯太から離れ、キーダーの二人へ向き直る。


「修司くんが今まで面倒に巻き込まれなかったのは、単に運が良かっただけです。バスクは自由の解釈を間違えている。保科ほしなさん、貴方はそう思いませんか?」

「折角だが、ここに良い思い出がなくてね。アルガス解放でてのひらを返したようにキーダーを英雄だと言われても、その主導権は国のままだ。それでどうしてアンタはキーダーを選ぶ?」

「俺はキーダーとしてこの力を持って産まれたことを誇りだと思っています」


 きっぱりと言い切る綾斗に向けた颯太の視線は冷ややかだ。

 絵に描いたようなバスクがりつだとしたら、綾斗は国が国民に植え付けようとしている、キーダーのイメージそのままの男に見える。


「あぁ、そのタイプか。いるよな、そういうの」

「キーダーに対する印象なんて人それぞれで構わないと思いますけど、貴方が医師としてやった行為は犯罪です。もちろん免許は返納していただくことになりますよ」


 今まで不安に思っていたことが全て現実として降りかかってくる。「伯父さん」と修司が呼び掛けると、数秒黙った颯太が「あぁ」と答えた。


「お前がホルスに捕まる位なら、大分好条件じゃねぇか」


 緩く笑んだ表情に寂しさが垣間見える。

 修司には現実を受け入れることしかできなかった。


「今いるトコの院長は昔からの馴染みでな。何も知らずに俺をやとってくれたんだ」

おおやけにはしませんから。自己都合の退職と言う形で辞めてもらって構いませんよ。それより、ここの事情には貴方だって詳しい筈です。そこまで精通しながら修司君の力を隠したところが、俺には理解できません」


 そんな綾斗の言葉がきっかけだった。颯太は表情を険しくさせ、修司を振り向く。


「俺の事、聞いたのか?」


 突然の質問に修司が「え?」と首を傾げると、颯太がチラと綾斗に視線を送った。

 綾斗は無言のまま首を横に振る。


「いや、流石にここじゃ隠せないだろ。あのな、俺はノーマルじゃねぇんだ。昔、ここに居たんだよ」

「居た? って。働いてたの?」

「いや。監禁されてたって言うのか? 二十年以上前だ。俺は今トールなんだぜ」

「……え?」


 颯太を見上げたまま、修司は硬直こうちょくした。

 耳に入ったはずの言葉の解釈を、脳が拒絶きょぜつする。今起きたばかりの記憶を必死に引き戻すと、『トール』という単語を拾うことができた。


「トール、って。伯父さんが? ちょっと待って、よく分からないんだけど……」


 トールは元々能力者だった人間が力を消失させた状態を指す。

 颯太は元からノーマルの筈だ。修司の母の兄で、産婦人科医。力を持っていた過去など聞いたこともない。

 「黙ってたからな」と前置きして、颯太は衝撃の言葉を続ける。


「俺は昔キーダーで、隕石事件の少し前からアルガス解放までここに居たんだよ」


 大舎卿だいしゃきょうが隕石から日本を救ったことがきっかけで、キーダーが英雄になった。その時代の当事者がこんな近くに居たというのか。

 確かに颯太は力やアルガスに詳しかった。けれどそんなのは、今の時代パソコンを駆使くしすれば得られる情報だと思っていた。


「もう、あの時居た奴等は居ないんだろうな」

「何人かは他の支部にいらっしゃいますよ。大舎卿だいしゃきょうは三十年分の有給を取って静養中せいようちゅうです」

勘爾かんじさんらしいな」


 颯太が大舎卿の本名を口にして、途端にその過去が色濃くなる。

 二十数年前のアルガス解放でトールを選んだ人たちの事を彼が「オッサン」と呼んでいたのは、ついこの間の事だ。隕石が落ちた日の騒動をテレビ画面で見ていたというのは、このアルガスでの事だったというのか。


 語られた颯太の過去を「そうなんだ」と素直に受け取ることはできなかったが、黙っていた事への怒りも沸かなかった。

 ただ驚いている――それだけで何も言葉が浮かばない。


「とりあえず数日は地下に監禁かんきんさせてもらいます。修司君へ押し付けた想いへの代償です」

「酷い言われようだな。俺はコイツに同じ思いをさせたくなかっただけだ」

「今のアルガスは、貴方の居た頃とは違います。こうなる事は想定内だったんじゃないですか? それとも苗字を変えたことで気付かれないと思っていましたか? 破霞颯太はがすみそうたさん」


 数分前にタイムスリップしたような感覚に陥って、修司は「えっ」という声を絞り出す。

 また知らない話だ。

 颯太は困惑した表情を見せ、「先に言うなよ」と米神に指を押し当てながら綾斗を睨んだ。


「悪いな修司。俺はお前の爺さんの連れ子なんだよ。千春は婆さんの連れ子で再婚同志。だから俺は、千春ともお前とも血がつながってなくてな」


 やめてくれと本気で思った。もう頭がキャパオーバーで逃げ出したくなった。

 律がホルスだと驚いたのが数時間前の事だなんて思えない。


 「ムリ」と小声で吐き出し、修司はきつく閉じた目を掌で塞いだ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る