24 彼女とは別の人

 ゆるい坂をもうダッシュで駆け降りる。

 先を行くりつの姿が見えなくなり、彰人あきひとはライトで足元を照らしながら、その事情をこっそりと話してくれた。


「駅前に、九時半に閉まるお弁当屋さんがあるんだよ」

「お弁当屋さんですか?」


 意外な答えに驚くが、同時に修司の腹が空腹だよと音を立ててうったえてくる。


「律が走ってくれるから、僕らはそんなに急ぐ必要もないんだよね」


 突然止まった彰人の足が少し速い速度で歩き出し、修司もその横に並んだ。普段から運動不足のツケが回ってきて、正直休みたいと思っていたところだ。


「空腹は集中力を欠くから、ちゃんと食べるのは大事。こればっかりは律に感謝しないと。僕一人だとどうしても食が後回しになっちゃうから」

「律さんは凄いですね。パワフルっていうか」

「律は野生児なんだよ。可愛いのにね」


 誉め言葉だと解釈して良いのだろうか。彼の表情にはあまり変化がなく、感情を読むのが難しかった。喜怒哀楽きどあいらくの全てが、細められる瞳と上がりっぱなしの口角に集約されてしまう。


 彼は本当にホルスなのだろうか。

 彰人を横目に見上げると、彼は謎かけの答えでもくれる様に、突然修司に顔を向けた。


「怪しいって思う?」

「い、いえ……」


 修司は慌てて視線を反らすが、クスリという笑い声が耳に届く。


「確かに僕怪しいけど、バスクなんてこんなもの。律だって修司くんだってそうでしょ?」


 言われてみると一理ある。しかし次に出た彰人の声が「でも」と少しだけとがって聞こえて、修司は思わず身構えた。


「僕の事『ホルス』だって思ったんなら見る目ないよ、君」


 それは自分からは出すまいと思っていた言葉だ。否定と捉えて良いのだろうか。


「君は、考えが頭の中だけで先走っちゃうのかな。危険だよ、そういうの。もっと周りを良く見ないと。この世界の半分は、誰かの都合で作り上げられた偽物なんだから。見たままに受け取ると自分が損するよ」


 彰人をホルスだと思ったのは、彼の強さを自分と同じ位置へくくることがどうしてもできなかったからだ。

 けれど彼の言ったことにも納得できる。ふと『そんな気がする』と思ったことが、『そうじゃないのか』と確信へ運ぼうとしてしまうのだ。


「まぁでも、色々脳みそ回せるだけいいのかな。律は本当、危機感なさすぎ。自分の立場をまるでわかってないんだから」


 あきれた溜息に、修司は律のアパートへ行った時のことを思い出した。あの針金一本で開きそうな部屋の錠前が彼の話を物語っているようで、吹き出しそうになる衝動をこらえる。


「で、君はこのままバスクでいるつもり?」


 唐突な質問に即答そくとうはできなかった。

 まとまりかけた気持ちが恐怖と律の甘い誘いとで揺らぎ、まだ答えを決めかねている。


「さっき力を使った時、全然楽しそうじゃなかったもんね。迷ってるのバレバレだよ。こんな面倒な選択しなきゃいけないのは、力を持って産まれたさがだけど」


 「わかるわかる」と彰人は自分で相槌あいづちを打った。


「ただ、自分の力を怖がるのは勿体ないんじゃないかな。確かに、使い方を間違えたら兵器みたいに捕らえられてしまうかもしれないけど、使いようによっては人類さえ救える力なんでしょ? そんな栄光えいこう僕は興味ないけど、自分の力をポジティブに受け入れられないなら、少なくともバスクには向いてない。アルガスに行ってトールにしてもらえばいいと思うよ。色んな考えがあるだろうけど、誇りとか自信とか、誰かを守りたいとか、そういうのないまま持ってても、この力はキツイだけだから」

「彰人さんには、あるんですか?」


 何気にたずねた質問を、彰人は「どうかな」と曖昧あいまいにはぐらかす。


「まぁ、真面目に悩むのも大事だよ。ただ一つ言えるのは、僕も色々悪い事してきたけど、ホルスに加担かたんするのだけは良くないってことかな」

「それは――俺も思います。って言うか、彰人さん悪い事してたんですか?」


 話せば話す程、彼への謎は深まるばかりだ。


「僕は悪人だよ」


 はにかんだ笑顔でそんなことを言われたら、やっぱり『ホルス』なのかと疑ってしまう。


「一つ忠告しておくね。もし君がキーダーを選んだ時は、バスクとは一切関りを持たないこと。君が僕や律を売るのは自由だけど」

「売るなんて……でも、キーダーはバスクを捕まえるのが仕事なんですよね」


 ふと平野の顔が浮かぶ。


「律さんには言ってないんですけど。俺二年前まで東北に住んでて、バスクの人と一緒だったんです。けど、その人の所に突然アルガスから迎えが来て、キーダーになったらしくて」


 うつむき加減に言い切って顔を上げると、ぽかんと口を開いた彰人の表情が迎えた。

 平野の話はマズかっただろうか。けれど取り消す言葉も浮かばない。


「彰人さん……?」

「あ、ごめんね。少し驚いただけだよ。律には言わないでおくから」

「すみません。けど、その後は一度も会ってなくて。彰人さんの言ったことって、つまりそういうことなんですよね」

「うん、そういう事だね」


 目を細めた彰人の表情が緩んで、修司はほっと胸をで下ろす。


 道の奥に明かりが見えてきて、彰人はライトのスイッチを切った。途端に暗闇が広がるが、すぐに目も慣れて月明りだけでお互いを確認することができた。


「僕も二年くらい前まで東北に居たよ。実家が福島なんだ」


 彰人が突然、そんな話をしてくれた。意外だと思うのと同時に嬉しさが込み上げる。


「そうなんですか! でもどうしてこっちに?」

「好きな人を追い掛けてきた――なんてね。冗談だけど」


 冗談には聞こえなかった。うれいをめた表情でうつむいて、彰人は深い藍色あいいろの空を見上げる。

 そして、彼の言う相手が律ではないことが何となくわかって、


「俺、彰人さんは律さんの事を――」


 ここでそんな話を口にするのはあまりにも稚拙ちせつだったと言葉を飲み込むが、


「好きなのかな? こっちに来たのは律に会う前だから、この話は昔の事だよ」


 こちらの頭の中など筒抜けで、何故か疑問符ぎもんふ付きで彰人は返事をくれた。


「別に好きとか嫌いを隠す歳じゃないけど、自分の気持ちが良く分からないのは若い時と変わらないね。でも、どうなのかな。仕事なのにね」


 突然飛び出したワードに食い付いて修司は顔を上げるが、山道が途切れてしまうのと同時に男二人の会話は幕を閉じてしまった。

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