【正月特別編】初詣の思い出

 これは、彰人あきひとと浩一郎のアルガス襲撃から二年経った新年の話だ。


 元旦の仕事始めは、朱羽あげはの事務所に書類を届ける事だった。

 あっという間に用事は済んで、京子は綾斗あやとに初詣へ行こうと提案する。まだ夕方には早い時間で、このままアルガスに戻るのは勿体もったいない気がしたからだ。


 けれど有名どころを避けたつもりが、参道にはまだまだ長い列ができている。


「やめとく?」

「別に構いませんよ。今日は大して仕事もないし、連絡だけ取れるようにしとけって事ですから」


 帰ろうと言われるかと思ったが、綾斗は先導して最後尾へついた。そこから後ろへ列が伸びるのはあっという間だ。


「ありがと、綾斗。こんな風に初詣に来たのなんて何年振りだろう」

「ずっと来てなかったんですか?」

設楽したらさんの所には行くけど、列に並んでまでお参りするのは久しぶりだなって思って」

「あぁ、眞田さなだ神社ですね。あそこは俺も行ったことあります」


 眞田神社は、アルガスの近所にある小さなお社だ。深夜のピーク時を過ぎれば、多くても10人ほど待てばお参りすることができる。

 宮司の設楽とも顔見知りで、京子は毎年通りすがりに手を合わせていた。


 冬を忘れる程に青く晴れ渡った元日の空に、懐かしい風景を重ねる。

 小さく笑みを零した京子を、綾斗が「どうしたんですか?」と覗き込んだ。


「昔の事思い出しちゃって」

「昔?」

彰人あきひとくんのこと」

「…………」


 綾斗の唇が真横に結ばれる。

 桃也の話題が出る時とはまた違う反応だ。


「怖い顔しないでよ」

「してません」

「してるよ。けど、その話聞きたい?」

「聞かせて下さい」


 不服そうな彼の本心が京子にはよく見えない。

 何かを振り切るように答えた綾斗に、京子は「分かった」と肩をすくめた。


「そんな面白い話でもないけど……まぁいっか」


 前に伸びる列を爪先立ちで伺うと、まだまだ距離がある。

 暇潰しくらいになると思った提案だけれど、改めてその記憶を頭に浮かべて京子は少しだけ後悔した。ネタのように話すにはいささか心が痛んだからだ。

 けれど言い出した話を取り消すこともできず、京子は腹をくくってその話を始めた。



   ***

 あれは中学最後の正月だ。京子は幼馴染の陽菜ひなと二人で初詣に出掛けた。

 二年前に母親が他界し、まだ喪中だという感覚はあるが、地元で最後の思い出にと忠雄が「行って来い」と見送ってくれたのだ。


「京子、何お願いしたの?」


 一時間以上列に並んでようやく手を合わせた所で、陽菜が楽しそうに京子に腕を絡ませた。お互い進学先も決まっていて、合格祈願ではないことは分かっている。


「そういうのって他人に言わないものなんじゃない?」


 返事を渋る京子に、陽菜はニヤリと意味深な笑顔を向けた。


「彰人と結ばれますように、って?」

「ち、違うよ」


 口では否定したけれど図星だった。正確に言えば『告白できますように』だけれど。

 スタート地点でくすぶっている想いを、今年こそは吐き出してしまいたかった。

 あとは、地元に残る父親の健康祈願だ。


 「その辺に居たりして」とキョロキョロ顔を振る陽菜を「やめて」と止める。心の準備はゼロパーセントだ。


「アイツのことだから、着物女子に囲まれてたりするんじゃない? 隣のクラスの下平ちゃんと四組の山田さん、狙ってるって聞いちゃったんだよね。まぁそれ以外にもいっぱいいそうだけど」

「確かに二桁行っても驚かないかも」

「だよねぇ。けど、京子には幸せになって欲しいんだよ。おばさんが亡くなってから沈んでること多かったし。笑顔で東京に行って欲しいの」

「陽菜」


 思わず涙が込み上げるが、こんな人の多い参道で泣くわけにはいかなかった。


「けど、フラれたらそれこそ落ち込んじゃうよ」

「それはそうなんだけどさ。気持ち伝えないまま離れちゃったら、モヤモヤ残らない? バレンタインにチョコ渡してみたら?」

「それって、めちゃくちゃハードル上げてない?」


 彰人は同じクラスだけれど、何気なく日常会話をするような相手ではない。

 グイグイ押してくる陽菜を突き放すわけにもいかず、「考えとく」と気持ちとは裏腹な返事をした。


 あの日がそれで終わってしまえば、きっとそのまま何もせずに東京ここへ来たと思う。

 けれど彼はあの日も『偶然』を装って京子の前に現れたのだ。


 いつもならバスを使うのに徒歩の帰宅を選んだのは、慣れ親しんだ街並みと晴れの空を名残惜しく思ったからだ。

 人通りの少ないシャッターだらけの旧道で、突然背後から彼に声を掛けられた。


「京子ちゃん」

 

 彼の事情をまだ何も知らなかった京子は、その偶然を運命だと思った。


「あけましておめでとう。初詣の帰り? 一人なの?」

「うん、さっきまで陽菜と居たんだけど、用事があるって言うから先に。あの、彰人くんもあけましておめでとう」


 見慣れたコートにマフラーを巻いた私服姿の彼にドキドキが止まらなくなって、京子は俯いたまま相槌を繰り返す。


「なら一緒に帰ろうか」


 「行こう」という彼の声は、いつも通りに優しい。

 地元で過ごす最後の正月の、ほんの数十分を彼と過ごした。

 それが、京子の恋の精一杯だった。


「彰人くん、受験頑張ってね」

「ありがとう。京子ちゃんが向こうに行ったら寂しくなるね」


 別れ際に彼はそんなことを言って、先日再会した時と同じ言葉をくれた。


「それと、誕生日おめでとう」


 その言葉が嬉しくて、京子は想いを伝えようと決心した。

 この恋が叶いますように、と。

 望みなんてこれっぽっちもないのは分かっていたし、離れていく自分がその距離に耐えられるとも思っていない。

 だから、手紙の最後には思いを込めた一言を添えた。


 あの時のような思いは消えてしまったけれど、長い六年を挟んで、彼は同じ笑顔で目の前に現れた。


「偶然だね」


 そんな嘘をついた彼を、未だに少し許せていない。



   ***

「まだ好きなんですか?」


 聞き終えた綾斗は想像通りの不満顔を貼りつけていた。


 ようやく列の先頭に来て、「来年はいいことがありますように」と祈る。

 あの人の帰りを祈りたかった。けれど祈った分辛くなってしまいそうな気がして、自分の気持ちをはぐらかした。


「前も言ったでしょ? 私にとっての彰人くんはもう恋じゃないんだよ。けどあの顔見るとやっぱり少しはドキドキしちゃう。初恋ってそういうものじゃない?」

「知りません」


 参道で買った甘酒を手に、綾斗は表情を隠すように眼鏡を曇らせた。


「もぅ。新年なんだし機嫌直してよ。何ならこのままご飯食べに行く?」

「行きます」

 

 眼鏡を外したつらが「すみません」と謝る。

 綾斗は曇りをハンカチで拭いながら、少しだけ笑顔を見せた。


「だったらお酒もどうぞ。今日は京子さんの誕生日だし、俺の奢りで」

「ほんと? じゃあ一杯だけ飲ませて。綾斗の誕生日には一緒に飲もうね」


 彼が二十歳になるまであと二か月と少し。

 その日を待ち望みながら、京子は声を弾ませた。

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