【正月特別編】初詣の思い出
これは、
元旦の仕事始めは、
あっという間に用事は済んで、京子は
けれど有名どころを避けたつもりが、参道にはまだまだ長い列ができている。
「やめとく?」
「別に構いませんよ。今日は大して仕事もないし、連絡だけ取れるようにしとけって事ですから」
帰ろうと言われるかと思ったが、綾斗は先導して最後尾へついた。そこから後ろへ列が伸びるのはあっという間だ。
「ありがと、綾斗。こんな風に初詣に来たのなんて何年振りだろう」
「ずっと来てなかったんですか?」
「
「あぁ、
眞田神社は、アルガスの近所にある小さなお社だ。深夜のピーク時を過ぎれば、多くても10人ほど待てばお参りすることができる。
宮司の設楽とも顔見知りで、京子は毎年通りすがりに手を合わせていた。
冬を忘れる程に青く晴れ渡った元日の空に、懐かしい風景を重ねる。
小さく笑みを零した京子を、綾斗が「どうしたんですか?」と覗き込んだ。
「昔の事思い出しちゃって」
「昔?」
「
「…………」
綾斗の唇が真横に結ばれる。
桃也の話題が出る時とはまた違う反応だ。
「怖い顔しないでよ」
「してません」
「してるよ。けど、その話聞きたい?」
「聞かせて下さい」
不服そうな彼の本心が京子にはよく見えない。
何かを振り切るように答えた綾斗に、京子は「分かった」と肩をすくめた。
「そんな面白い話でもないけど……まぁいっか」
前に伸びる列を爪先立ちで伺うと、まだまだ距離がある。
暇潰しくらいになると思った提案だけれど、改めてその記憶を頭に浮かべて京子は少しだけ後悔した。ネタのように話すにはいささか心が痛んだからだ。
けれど言い出した話を取り消すこともできず、京子は腹を
***
あれは中学最後の正月だ。京子は幼馴染の
二年前に母親が他界し、まだ喪中だという感覚はあるが、地元で最後の思い出にと
「京子、何お願いしたの?」
一時間以上列に並んでようやく手を合わせた所で、陽菜が楽しそうに京子に腕を絡ませた。お互い進学先も決まっていて、合格祈願ではないことは分かっている。
「そういうのって他人に言わないものなんじゃない?」
返事を渋る京子に、陽菜はニヤリと意味深な笑顔を向けた。
「彰人と結ばれますように、って?」
「ち、違うよ」
口では否定したけれど図星だった。正確に言えば『告白できますように』だけれど。
スタート地点で
あとは、地元に残る父親の健康祈願だ。
「その辺に居たりして」とキョロキョロ顔を振る陽菜を「やめて」と止める。心の準備はゼロパーセントだ。
「アイツのことだから、着物女子に囲まれてたりするんじゃない? 隣のクラスの下平ちゃんと四組の山田さん、狙ってるって聞いちゃったんだよね。まぁそれ以外にもいっぱいいそうだけど」
「確かに二桁行っても驚かないかも」
「だよねぇ。けど、京子には幸せになって欲しいんだよ。おばさんが亡くなってから沈んでること多かったし。笑顔で東京に行って欲しいの」
「陽菜」
思わず涙が込み上げるが、こんな人の多い参道で泣くわけにはいかなかった。
「けど、フラれたらそれこそ落ち込んじゃうよ」
「それはそうなんだけどさ。気持ち伝えないまま離れちゃったら、モヤモヤ残らない? バレンタインにチョコ渡してみたら?」
「それって、めちゃくちゃハードル上げてない?」
彰人は同じクラスだけれど、何気なく日常会話をするような相手ではない。
グイグイ押してくる陽菜を突き放すわけにもいかず、「考えとく」と気持ちとは裏腹な返事をした。
あの日がそれで終わってしまえば、きっとそのまま何もせずに
けれど彼はあの日も『偶然』を装って京子の前に現れたのだ。
いつもならバスを使うのに徒歩の帰宅を選んだのは、慣れ親しんだ街並みと晴れの空を名残惜しく思ったからだ。
人通りの少ないシャッターだらけの旧道で、突然背後から彼に声を掛けられた。
「京子ちゃん」
彼の事情をまだ何も知らなかった京子は、その偶然を運命だと思った。
「あけましておめでとう。初詣の帰り? 一人なの?」
「うん、さっきまで陽菜と居たんだけど、用事があるって言うから先に。あの、彰人くんもあけましておめでとう」
見慣れたコートにマフラーを巻いた私服姿の彼にドキドキが止まらなくなって、京子は俯いたまま相槌を繰り返す。
「なら一緒に帰ろうか」
「行こう」という彼の声は、いつも通りに優しい。
地元で過ごす最後の正月の、ほんの数十分を彼と過ごした。
それが、京子の恋の精一杯だった。
「彰人くん、受験頑張ってね」
「ありがとう。京子ちゃんが向こうに行ったら寂しくなるね」
別れ際に彼はそんなことを言って、先日再会した時と同じ言葉をくれた。
「それと、誕生日おめでとう」
その言葉が嬉しくて、京子は想いを伝えようと決心した。
この恋が叶いますように、と。
望みなんてこれっぽっちもないのは分かっていたし、離れていく自分がその距離に耐えられるとも思っていない。
だから、手紙の最後には思いを込めた一言を添えた。
あの時のような思いは消えてしまったけれど、長い六年を挟んで、彼は同じ笑顔で目の前に現れた。
「偶然だね」
そんな嘘をついた彼を、未だに少し許せていない。
***
「まだ好きなんですか?」
聞き終えた綾斗は想像通りの不満顔を貼りつけていた。
ようやく列の先頭に来て、「来年はいいことがありますように」と祈る。
あの人の帰りを祈りたかった。けれど祈った分辛くなってしまいそうな気がして、自分の気持ちをはぐらかした。
「前も言ったでしょ? 私にとっての彰人くんはもう恋じゃないんだよ。けどあの顔見るとやっぱり少しはドキドキしちゃう。初恋ってそういうものじゃない?」
「知りません」
参道で買った甘酒を手に、綾斗は表情を隠すように眼鏡を曇らせた。
「もぅ。新年なんだし機嫌直してよ。何ならこのままご飯食べに行く?」
「行きます」
眼鏡を外した
綾斗は曇りをハンカチで拭いながら、少しだけ笑顔を見せた。
「だったらお酒もどうぞ。今日は京子さんの誕生日だし、俺の奢りで」
「ほんと? じゃあ一杯だけ飲ませて。綾斗の誕生日には一緒に飲もうね」
彼が二十歳になるまであと二か月と少し。
その日を待ち望みながら、京子は声を弾ませた。
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