60 戦う事を選んだ彼は

 アルガスの中は不気味なほどに静かだった。

 呼吸音さえ響くような暗い廊下を移動して、京子は訓練用のホールへ運び込まれる。


 全ての壁が強化されているその場所が仮設の救護室に充てられていて、そこだけが予想以上に混みあっていた。

 怪我をしているのは、浩一郎の放った一発目を屋上のすぐ下の部屋で受けた施設員ばかりだ。命に関わる重傷者が出なかったのは救いだが、少々人数が多いようにも見える。


 隅のベッドで治療を受けた京子は、桃也とうやと駆け付けたマサに抱えられ自室へと移動した。

 足と腹部に巻かれた包帯が動きをはばむ。

 手足を動かすことはできるが、瓦礫がれきに挟まれた右足首は正月の負傷に追い討ちを掛ける形になってしまった。

 救護室で打った痛み止めも気休め程度にしかならず、麻痺していた痛みが徐々に感覚を取り戻している。


 解けた髪がグシャグシャで、ほおにも大きなガーゼがあてがわれた京子は、桃也の言葉通り本当にボロボロだ。


 外の戦闘はといえば、あれからパタリと動きがやんでしまった。彰人あきひとと共に浩一郎も姿を消したようで、大舎卿だいしゃきょう綾斗あやとが地上と屋上に分かれて見張りをしているらしい。


「私も行かなきゃ」


 気がいて立ち上がろうとするが、足に力が入らなかった。よろめいた身体を桃也に受け止められ、再びソファへ戻される。


「そんな足で何ができるんだよ」

「桃也の言う通りだぞ。最後までじっとしてろなんて言わないから、今は少しでも休んどけ」


 ドアの外を警戒するマサに、桃也は「俺も連れてってくれ」と勇む。

 明かりの下で改めて見る彼は、まるで別人のようだ。桜の紋章を付けた制服の胸元には濃緑のアスコットタイが結ばれ、左手首には銀環がめられている。


 制服が少し大きく見えるのは、これがマサのものだからだそうだ。

 あの散らかった部屋のどこに保管されていたのかは知らないが、十年近く袖を通していない割にはくたびれた様子もなく、腰に下げられた趙馬刀には手で彫られた星印が刻まれていた。


 京子が『大晦日の白雪しらゆき』の真実を知ったあの日から、桃也は北陸に行っていたらしい。やよいや久志のいる訓練施設で、彼はキーダーになるという答えを出したのだ。


「お前は京子に付いててやれ。俺は地下に戻らにゃいかんからな。この非常事態に、オッサンたちが司令室に乗り込んできたらしい」

「オッサンって、取調室の?」

「あぁ。後にしてくれればいいものを、桃也のことを聞いてきやがる」


 『大晦日の白雪』でマサが桃也の力を隠した事は、本来罰せられることだ。処分が下されるとしたら、アルガスからの排斥はいせきもあり得るだろうし、むしろそれでは軽いほうかもしれない。


「命に係わる事じゃなければ、何でも聞いてやる覚悟はしてるさ」

「だったら、俺も行ったほうが良くないか?」


 焦る桃也に、マサは「良くねぇよ」と掌を広げた。


「自分の出番くらいちゃんと見極めろよな。お前が来たらこじらせるだけだろ? 俺はお前を犬死させる気はねぇから、今回は大人しく京子と居てくれ」

「けど、アンタは……」

「オッサン達と話すのは慣れてんだ」


 今まで一緒に居て全く気付くことのなかった気配を、桃也から感じることができる。

 マサは「じゃあな」と言い置いて部屋の扉に手を掛けたところで、改めて京子を振り向いた。


「隠し事ばっかですまんな」

本当ほんとだよ」


 首を振る京子に、マサは少しだけ笑んで部屋を出た。


 桃也と二人きりになって、沈黙が起きる。

 ずっと彼に会いたいと思っていたのに、嬉しさと戸惑いで言葉が見つからない。

 「どうした?」と微笑む桃也に、考えて考えてようやく京子の口から出た返事は「お帰りなさい」の挨拶だ。


「ただいま。勝手に出てって悪かったな。怒ってるだろ」

「怒ってるよ。けど、それよりも驚いてる。さっき助けてくれた時、どうして私があそこに居るって分かったの? 発信機も外してたのに」

「そんなのなくたって、今までずっと一緒に居たんだから分かるよ」

「そういうもの?」

「そういうもんだ」

「私は全然分からなかったのに?」

「話は聞いた。自分のこと責めるなよ。それより横にならなくて良いのか?」


 彼がキーダーを選ぶことを予想しなかった訳じゃない。ただ、それ以外の選択をして欲しいと思っていた。

 桃也がキーダーになってショックだと思うのは、今までの関係の終わりを垣間見てしまったからだ。けれどそれを本人に言うことはできない。


 「大丈夫」と強がって、京子は床に付く右足の感覚を何度も確かめる。

 装甲の張られた窓を見た所で状況は何も分からないが、外の様子が気になって仕方なかった。

 桃也との再会を嬉しいと思うのに、戦場に戻らなければという焦燥しょうそうに駆られてしまう。

 そんな気持ちを察した桃也が、京子の前にしゃがみ込んだ。


「その傷で戦えると思ってるのか? 足だって痛いんだろ?」


 うっすらと血の滲む包帯を見て、京子は「どうにかなるよ」と前向きに答えた。

 最悪、松葉杖を持っていれば立っていることはできる。


「少し歩ける程度じゃ、一瞬で殺られるぞ」

「けど私はキーダーだから。足がなくても、手がなくなっても、息をしているうちは最後まで戦わなきゃ」

「今は俺もキーダーなんだぜ」

「桃也は駄目だよ」


 来たばかりの綾斗を戦闘に出すことだって心が痛むのに、にわかの訓練経験しかない彼を行かせたくはない。京子がすがるように桃也の左手を握り締めると、


「今のお前よりは戦えるよ」


 桃也は横に座り、京子をやさしく抱き締めた。



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