17 デートだと思った

 指定された待ち合わせ場所を見て、修司しゅうじは一瞬戸惑とまどった。


 上京してからほぼ毎日のようにその塔を目にしてきたが、なるべく近付かないようにと警戒していたからだ。

 しかし彼女に会いたい一心で『わかりました』と返事を送る。


 検索した経路けいろに従って目的の駅に辿たどり着くと、出口に彼女の姿が見えた。耳に当てていたスマホを放し、律が「修司くん」と柔らかいロングヘアを揺らして大きく手を振る。


 修司がリュックの肩ベルトを両手で握り締めながら会釈えしゃくすると、律は「いやぁん」と喜々して駆け寄ってきた。


 最初会った日に着ていたものと似た、ロングスカートにスニーカー姿。羽織ったカーディガンは相変わらず彼女の豊満ほうまんな胸を強調している。

 ふんわりと漂う甘い香りに彼女の部屋が蘇って、心臓が高鳴った。


「本当に高校生だったんだ。しかも楚山しなやまなんて、頭いいんだね」

「俺の恰好かっこう見ただけで、学校が分かるんですか?」


 地方ならまだしも、大した特徴もない男子制服で学校を見当てるなんて、ある意味特殊能力のように思えてしまう。


 律はニコリと笑んで、くるりと横断歩道へ歩き出した。


「昔ファミレスでバイトしてた時、同じ制服着てる子がいたから」


 そう言って律は修司のブレザーに刺繍ししゅうされた星形の校章を指差す。


「へぇ。今はどこかで働いてるんですか?」

「今? そりゃあ働かないと食べていけないしね。聞きたい? 大人の世界の話だよ?」


 彼女は何かを企む小悪魔のような笑みを浮かべる。

 夜の街の片隅かたすみに暮らす彼女の仕事を想像すると、頭の中が一気にピンク色の世界に変わってしまった。


「あのっ、えっと、それより今日はどうしてここなんですか?」


 煩悩ぼんのうを振り払って、修司は話を切り替える。

 来る途中ずっと考えていたことだ。この場所はアルガスのテリトリーと言っても過言かごんではない。


「私は良く来てるの。それで、修司君も一緒にどうかなって。迷惑だった?」

「いえ、来たことなかったんで。ちょっと驚いたっていうか、見つかったりしないんですか?」

「機械やモニターじゃ力をぎ付けることなんてできないわよ。キーダーに見つかったら、逃げればいいでしょ?」


 辺りを警戒けいかいする様子もない律に、修司は「そうですね」とうなずいた。


 町の中心部にそびえ立つ慰霊塔は、大晦日の惨劇さんげきを忘れないようにと作られた記念公園の中に建てられている。けれどそんな物々しさとは裏腹に、すれ違う人の殆どは散歩や運動を目的とする人たちだ。


「俺、本当に律さんと会ってたんですね。この間の事が何か夢みたいで。今日の連絡もらわなかったら、明日こっそり律さんのアパートに行こうって思ってたんです」

「こっそりなんてしなくていいのに。けどそれなら今日連絡して良かったってことよね。あそこに居られるのも時間の問題だと思うから。もし私が居なくなったら別の所に引っ越したか、捕まったと思って」

「前の所もそうやって逃げてきたんですか? 雨漏あまもりする所に住んでたんですよね?」

「そうそう、間一髪だったのよ」


 律は楽観的に笑う。

 そんな話をしているうちに新緑の道が途切れ、塔のある広場に辿り着く。公園の反対側には、さほど遠くない距離に真っ赤な東京タワーがひょっこりと顔を出していた。


 大丈夫だろうとは理解していても、修司は辺りに視線を巡らせる。

 ここの管理はアルガスではなく区だった筈だが、先日律を追い掛けてきたキーダーの顔が頭にチラついて、念入りになってしまう。

 それらしき気配がないことを確認して安堵あんどすると、「慎重ね」と律が笑った。


 眉をしかめつつ仰ぎ見た白銀の慰霊塔は、遥か先のてっぺんが空を貫いているようだった。


「こんなもので亡くなった遺族への供養くようになるのかしら。惨劇を美化してるだけみたい」


 太陽に反射する光に手をかざしながら、律がそんなことをぼやく。

 塔の前にある常設じょうせつ献花台けんかだいにはたくさんの花が置かれていた。ここに来る事を分かっていたのだから、花の一つくらい持ってくれば良かったと少し後悔する。


 律はそっと修司の傍らに立ち、ぼんやりと慰霊塔を眺めていた。

 彼女に触れるか触れないかギリギリの距離を保つが、左半身に伝わってくる気配に落ち着くことができない。


「ここは、大晦日の白雪が起きた場所。もう七年も前になるのよね。私が日本に来て間もない頃よ。初めて来た時は怖かったの覚えてる。国は公表していないけれど、この事件が力によるものだってことは明確だわ。その後しばらくこの場所に強い気配が残っていたもの。キーダーだって分かってる筈よ?」

「あれは、ただの爆発の跡なんかじゃないですよね」


 大晦日の夜にテレビで見た光景は、鮮明に頭に残っている。平野も颯太そうたも『大晦日の白雪』はバスクが起こしたものだろうと言っていた。

 律も「うん」と同意する。


「そんな辛いことがあったなんて忘れてしまうくらい、ここは平和よね」


 外から慰霊塔だけを見つめていた時よりも、中は穏やかだと感じる。


「大晦日の白雪は二度と起こしちゃいけない。失わなくていい命を消しちゃいけない。分かってる。けど――もし私が正気を失ってしまったら、修司くんが止めてくれる?」


 その意味をすぐに理解することが出来ず、背後を通り過ぎていく鬼ごっこ中の子供たちの声に修司は一瞬気を奪われてしまった。改めて彼女の言葉を頭の中で繰り返し、修司は息を呑みこむ。


「力の暴走を起したら、ってことですか? 銀環でつながれていないバスクは、きちんと自分で力を抑え込んでおかないと、その威力に負けてしまうって聞いたことあります」


 平野や颯太がずっと懸念けねんしていたことだ。


 ――『頭に血が上るといけねぇな。カアッとなっちまう。だから、我を忘れるんじゃねぇぞ』


 暴走する程の力が自分に秘められているとは思えないが、律にはその可能性を感じてしまう。戦いに縁がなさそうなのに、時折見せる鋭い表情が普段の彼女を打ち消してしまうからだ。


「ちゃんと分かってるのね。感心、感心。それに、これはもしもの話よ――あっ、来たみたい」


 律は突然「こっちよ」と手を上げた。パッと咲いた笑顔の矛先ほこさきは、修司を通り越して背後へと向けられる。


 二人きりじゃなかったのか? と拍子抜ひょうしぬけしてしまうのと同時に、深く考えるすきも与えない、心臓のど真ん中を撃ち抜かれたような敗北感。

 修司も溜息をつく程のイケメンが現れる──それが、修司と遠山彰人あきひとの出会いだった。




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