69 意外な人

 浩一郎が勝ったら、このコントロールルームを消滅させる──けれどキーダーが勝てば何もしない。


 彰人あきひとの提示した賭けに応じて、地上の様子を確かめに行こうとした所だった。

 扉の向こうから近付いてくる足音に気付いて「誰?」と息をのんだのは、少なからず相手に力の気配を感じたからだ。

 浩一郎ならもう終わりだと京子は絶望をよぎらせたが、相手は予想もしない人物だった。


久志ひさしさん! どうして?」


 ノックもなく開かれた扉から、おかっぱ髪の空閑くが久志が現れる。

 彼の拠点は数百キロ離れた北陸支部だ。他支部のキーダーは浩一郎のFAXで足止めをくらって応援には来れないとマサから聞いている。だから、ここに彼が居る事に違和感さえ覚えた。


「全く。こんな惰弱な警備じゃ落ちるのも時間の問題だね。だから僕は、うちの支部ができた時に核機能を丸ごと向こうへ移設させようって言ったんだ」


 久志は部屋を見渡して、「お待たせ」と苦い顔で京子に笑いかける。


「長官が目の届くとこに置きたいって言ったのがそもそもの間違い。こんな事が起きるなんて誰でも予想できたよ」


 久志は白衣のポケットに突っ込んでいた片手を抜いて、ほおに掛かる髪をサラリと後ろへ払った。


「無事だね、京子ちゃん?」

「はい。けどどうして久志さんが? 支部は待機だって聞きましたよ」

「うちは、やよいが居れば十分だよ。この間会った時、京子ちゃんに今度は別のお土産持ってくるって言ったでしょ? 僕が桃也とうやをここまで連れて来たんだ」

「お土産って。そういう事だったんですか」


 朱羽あげはへのさすまたを預かった時、確かにそんな話をした。

 彼の登場はいつも突飛だ。何はともあれ、キーダーの応援が来てくれたことが心強い。


「怪我ひどそうだけど動ける?」


 「どうにか」とうなずく京子を庇うように前へ出て、久志は鋭く細めた猫目で彰人を見据えた。


「なら良かった。綾斗に君の所へ行って欲しいって頼まれたから」

「綾斗に会ってきたんですか?」

「うん。普段遊んでもらってる分、泣き言くらい聞いてあげないとね。ま、そんなのなくたって京子ちゃんの事なら助けるけど。先輩だからね?」

「ありがとうございます」

「いいよ。それより、綾斗の事をあんな目に遭わせたのはお前かい?」


 久志は聞き覚えのない口調で、挑発的に彰人を睨む。

 浩一郎との戦いで負傷した綾斗は、京子が躊躇ためらう程の彼のお気に入りだ。

 対して彰人は「綾斗?」とその名前に首を傾げた後、「あぁ」と納得したように眉を上げた。


「京子ちゃんのボディガードの彼ですか。僕じゃありませんよ」

「だったら、お前の父親か」

「まぁ僕がキーダーの敵には変わりませんけど。貴方は、白衣着てらっしゃるからお医者さん……って訳ではなさそうですね」


 手首を一瞥いちべつした彰人の笑みが、久志の神経を逆撫でする。


「生憎、僕も君の敵なんだよね」


 久志はその怒りを突きつけた。普段感じることのない彼の気配が高まっていくのが分かる。

 「久志さん」と声を掛ける京子に、彼は「大丈夫だよ」と頷いた。


「ここを襲ってどうしたい? そんなにお前たち親子は銀環を付けるのが嫌か?」

「銀環も、その腰に下げた刀も、能力者の可能性を潰すんだって言ってるんですよ。それさえ捨てればキーダーはもっと強くなれる」

「バスクはいつもそう言うよ。けど、銀環は大切な人を守るための制御装置なんだ」

「へぇ」

「僕たちに文句があるなら、この世から能力の不正使用と暴走への不安要素を取り除いてから言って貰いたいね。そんなことできないだろ?」


 久志はキーダーでありながら技術部の人間だ。彼やその仲間が作り出す道具を否定されて、黙っているわけがない。


「まぁ確かに制御できない輩も多いですよね」


 対して彰人は、まるで他人事のように笑顔を崩さなかった。


「僕は暴走なんてヘマはしませんよ」

「絶対か?」

「絶対です」

「だったら、銀環付きの僕と戦ってみる?」


 今度は久志が彰人を挑発する。彼の気配に白衣の裾がヒラリとひるがえった。

 そういえば久志が戦う姿を見たことがない。

 「構いませんよ」と答える彰人と彼が戦闘モードになって、京子は「待って」と声を張り上げた。


「ここで戦っちゃダメです! 彰人くんも、お願い!」


 発動の寸前で二人の動きが制止して、はためいた久志のアスコットタイが下へ落ちる。


「久志さん、上に行きましょう。私、彼と賭けをしたんです」

「賭け?」

「さっき彼のお父さんと爺が戦ってて。キーダーが勝ったらここに攻撃はしないって」

「そういう事」


 久志は彰人を横目に伺いながら、なだめるように京子を覗き込んだ。


「けど、上の結果なら僕は見て来たよ?」


 困ったようなその表情が示す答えは何だろうか。


「どうだったんですか?」

「とりあえず行こうか。その足で歩ける?」

「はい」


 「了解」と答えた久志にかばわれつつ、京子はゆっくりと階段を上る。その後ろを黙ったままの彰人が追い掛けた。

 ようやく外に出ると遠くに戦闘の音が聞こえ、京子は安堵の息を吐く。そこから正面玄関までの距離がやたら遠くに感じた。

 建物の端から漏れる青白い光は、暗い空へと何度も広がる。


 正門が見える位置まで歩くと、突然足元から突き上げるような揺れに襲われた。

 京子が姿勢を崩して芝の地面に膝をつくと、どこかのガラス窓が割れる音が響く。


「あぁ――僕の勝ちかな」


 後ろで呟いた彰人の言葉に望まない結果が脳裏をかすめて、京子は肩を震わせた。『勝ち』という言葉は何を意味するのだろう。


「京子ちゃん、ほら、顔を上げて」


 そんな彰人の言葉にあらがって、京子は地面を睨みつけた。






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