68 特別な思い

 さっきまで――いや、いつから彰人あきひとを見ていないだろう。

 浩一郎と綾斗あやとが屋上から降って来た時、視界のどこかに彼はいただろうか。

 混乱して取り乱す京子の腕を、桃也とうやが掴んだ。


「落ち着け。アイツの目的は核なんだろ? そこなんじゃないか?」


 そうあって欲しくないが、それが一番正しいと思える。

 京子は自分の銀環に触れたが、特に変化は感じない。核を操作すれば、何らかの形でキーダーに影響が出るはずだ。

 「行こう」と桃也に声を掛けて建物の北側を目指すと、背後に鋭い気配を感じた。


「行かせないよ」


 その意思とは真逆の、穏やかな浩一郎の声が耳に届く。

 まずいと思うのと同時に、強い光に背後から照らしつけられた。

 自分の影が前へ伸び、重い衝撃にあおられる。一瞬で地面を離れた身体が桃也の手を放れて固い地面に叩き付けられた。


 転がっている暇はない。

 冷えた土から顔を起こすと、今度は別の気配が背後に湧いた。

 大舎卿だいしゃきょうが浩一郎へ趙馬刀ちょうばとうを突きつけている。


「京子、行け!」


 声を張り上げた大舎卿のすぐ後ろに、地面へ伏す桃也を見つけた。

 起き上がろうと立てた腕の力が抜け、彼の身体が地面へ崩れる。


「桃也!」

「俺はいい、早く!」


 駆け寄ろうとする京子を、桃也の声が突き放した。


「お前はキーダーなんだろ? だったら俺じゃないだろ!」


 押し黙るようにうつむいて、京子は戻り掛けた足を引いた。大舎卿が浩一郎を食い止めている今、自分の仕事を見極めなければならない。


「みんな、死なないで!」


 決死の声を張り上げ、その状況に背を向けた。

 駆け出す足が加速する。


 建物の北側。非常階段下の小さな扉から入ると、非常灯が薄暗い廊下を緑色に照らしていた。

 予想通りというのが正しいのだろうか。その扉の鍵は開いている。

 重厚な錠前と鎖に電子錠まで施されたスライド式の扉はいつも物々しく閉じられていて、六年もアルガスにいる京子でさえ中へ入ったことはなかった。


 細く開いた隙間に手を差し込むと、もう二度と戻れないかもしれないと不安がよぎる。

 桃也の力で痛みを忘れた足は、とうに五分が過ぎているのにまだ歩くことができた。


 取り巻く恐怖と葛藤しながら、京子は扉を滑らせる。

 照明はなく、人一人が通れるほどの階段がすぐ下に伸びていて、遠くに青白い光が見えた。壁を頼りに一段一段下りていくと徐々に足の痛みが蘇り、京子は慌てて先を急ぐ。


 階段の下に広がったのは狭い部屋だ。

 天井の明かりは消えているが、壁一面に並べられた機械が煌々と辺りを照らしている。中央にある大きなモニターにはどこか施設の風景が映し出されていて、それを背景にアルファベットと数字がびっしりと表示されていた。


 部屋の隅に彰人の背を見つけて、京子はそっと息を飲む。

 ゆっくりと振り返る彼の足元には、折り重なるように三人の護兵ごへいが倒れていた。


「安心して。気絶しているだけだよ」


 尋ねるより先に彰人が答える。彼等は京子の良く知った顔だ。

 部屋に戦闘があった様子はなく、床に転がった三丁の銃も使われた形跡はない。


「何するつもりなの?」

「全キーダーを管理する中核っていうから凄い部屋を想像していたけど、案外小さなものだね」


 ぐるりと部屋を眺めて、彰人は嘲笑うかのように鼻を鳴らす。

 確かにその通りだと思う。全国に散らばる、銀環を付けたキーダーの力をこの部屋だけで制御しているのだ。しかもその殆どが自動制御で、ここには人の気配すら薄い。

 何だか急に自分の力がちっぽけなものに思えてくる。


「キーダーなんて都合の良い駒でしかないんだよ。それでも京子ちゃんはここに居たい?」

「国がキーダーを手駒にしたいなんてちゃんと分かってる。けど、ここがあるから能力者とノーマルが共存できるんだと思ってる。能力を持って生まれたことは使命だと思うし、ここを放れる気はないよ」


 何度考えても、答えはそこに辿り着く。バスクへの迷いはない。


「共存しようなんて、京子ちゃんらしいね」


 戦いを予感して右足を引くと、激しい痛みが全身に走った。いよいよ力の効果が限界を期したらしい。針で刺すような痛みに、彰人と対峙することさえままならない。


「無理しなくていいよ。話すだけなら座っててもできるよ?」

「心配してくれるの? 彰人くんと戦ってできた怪我なのに」

「今は休戦中だ」


 警戒心を解くように両手を広げる彰人に、京子は背後の壁に体重を預けた。

 ずっと冬の外気に触れていたせいだろうか。室内の温い温度に全身の緊張が解けたのか、急に頭が痛みだす。

 視界に光がチカチカとほとばしるのは、貧血のサイン。京子は包帯の巻かれた脇腹に手を当て、べたつく感触に唇を強く噛んで意識を留めた。


「彰人くんは、どうしたいの?」


 限界だった。人類の盾になるどころか、敵の踏み台にしかなれないのかもしれない。


「どうしようか」


 のんびりと聞き返す彼の持つカードはたくさんある。京子を殺してこの部屋を破壊し、キーダーを消滅させることも今の彼には容易いことだ。

 なのに、浩一郎が望むだろうそのカードを捨て、彼は別のカードを引こうとしている。


 ――「京子ちゃん!」


 ふと蘇る彰人との過去に、地上での戦いの記憶が重なる。二本目の鉄塔が倒れた時、衝突する直前に京子は彼の声を聞いた。


「彰人くん、さっき助けてくれたよね?」


 鉄塔は正面から降って来た。直撃していたら死んでいただろう。

 彼が何をしたのか目にする事はできなかったが、京子の真上に落ちてきた鉄塔は、気付いた時にはバラバラに砕かれていたのだ。


「僕は平和主義だし、僕にとって京子ちゃんは特別なんだよ」

「とくべつ……?」


 「うん」と短く答えて彰人は京子に近付き、そっと肩に触れた。床に座るよう誘導される。

 彼の手に抵抗する力はなく、京子は腰を落とした彰人をぼんやりと見つめた。


「約束したよね。あの時、生きててくれたら助けてあげるって」


 そんな約束しただろうか。記憶を辿る余力はない。

 彰人が片膝を立て、京子の横に手を付く。突然縮まった距離に込み上げる衝動を、彼を睨みつけることで振り払った。


「賭けをしようか。上で今、父さんとキーダーが戦ってる。父さんが勝ったら、僕はこの部屋を消滅させる。けど、キーダーが勝ったら何もしない。どう? 京子ちゃんはもう戦えないだろうから、僕も手は出さない。これでフェアでしょ?」


 彼の提案を拒否して、ここで剣を抜いても勝率はゼロに近い。受け入れるしか方法はないのだろうか。


「京子ちゃんは、キーダーが負けると思ってる?」


 浩一郎の力を目の当たりにした後では、自信を持って否定することが出来なかった。

 キーダーの勝利を願うよりも先に、ただ皆が無事であって欲しいと思うばかりだ。


 顔を起こすと「行こうか」と彰人が手を差し出す。あの日と同じ笑顔だ。


「自分で歩くよ」


 京子が彼の手を取らずに立ち上がったところで、入口の向こう側にカツンと高い音が響く。

 繰り返される音が迫る。

 それは、誰かがこの部屋へと降りてくる足音だった。




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