67 もっと強く

 大舎卿だいしゃきょうの力で地面との衝突を避けられたものの、綾斗あやとの状態は最悪だった。

 ほおが腫れ、メガネレンズが片方外れている。京子はひしゃげたフレームをそっと外し、彼の胸の上に乗せた。


「綾斗、目を開けて!」


 何度目かの呼びかけの後に反応があった。震えたまぶたが細く開き、京子を捉えた瞳が安堵あんどするように緩む。


「京子さんが無事で良かった……」

「私じゃないでしょ? 良かったのは綾斗の方だよ。無茶しすぎ」


 絞り出すような綾斗の声に、京子は彼の手を握り締める。


「京子さん……気を付けて下さい」

「わかってる」


 そう答えると、綾斗の向こう側に嫌な空気を感じた。むせるほどに重苦しい、浩一郎の気配だ。

 宙に浮いたままの身体がぼんやりとした光を纏って、直立の姿勢でゆっくりと降下してくる。


 力で自身の重力を操れるというなら、空を飛ぶ事も可能だろうか。けれど、銀環を付けている自分にはきっと無理だろうという諦めのような思いが込み上げた。

 二階の窓の横を過ぎた所で浩一郎は突然光を消し、残りの距離を重力に乗せて飛び降りる。

 どんと地面に着地した彼は、服こそ少々乱れているものの、たいした傷も見当たらなかった。


「やあ、びっくりしたよ。まさか外に出されるなんてね」


 屋上から飛び出たのは、浩一郎の意思ではなかったらしい。

 綾斗の捨て身の行動だというのか。しかし浩一郎は何事もなかったかのように微笑む。

 そんな表情が彰人あきひとと良く似ていた。


「わしがお前をあの世へ送ってやろうか」


 浩一郎は大舎卿の左手を確認し、せせら笑うように右手をひらひらと振ってみせる。


「そんな身体で? かんちゃん大分無理したな。銀環を外してすぐに戦おうだなんて馬鹿げているとしか思えないよ」

「戦ってみんとわからんだろうが」


 怒号を吐いて、大舎卿は瞬時に生み出した光を浩一郎に投げつけた。


「そんなんじゃ俺に勝てないよ」

「戦闘中にベラベラ喋るのは、昔と変わらんな」


 広げた右手で光を軽く受け止める浩一郎。再び戦闘が始まる中、担架を抱えたマサが大柄の護兵一人を連れて駆け付けた。


「すみません、マサさん。俺……」

「謝ることなんて一つもねぇ。ほら急ぐぞ」


 地面に広げた担架に乗せると、綾斗はかすれた悲鳴を上げ左腕を押さえた。良く見ると手の位置が黒く濡れていて、掌が赤く染まっている。京子は自分の胸元からアスコットタイを外し、患部の上を縛り付けた。


「綾斗がこんなに戦えるなんて思わなかったよ」

「ビー玉三つまでバラバラに動かせるようになったんですよ。俺、京子さんの事追い抜きますからね?」

「分かった。期待してるから、今はもう休んで」


 「はい」と答えた声が、背後に響く爆音にかき消される。

 綾斗は薄く笑んで桃也を一瞥いちべつした。


「桃也さんに会えて良かったですね。俺、なんとなくこうなる気がしてました」

「ありがとう」


 綾斗は苦笑して、瞼を閉じた。


「あとは私たちに任せて。ちゃんと治したら、今度は頼りにさせてね」

「勿論です」


 建物へ入る綾斗を横目に見送って、京子がきびすを返した時だった。

 先に気付いたのは、桃也だ。京子もその状況に緊張を走らせ、自分の失態にうろたえる。


「彰人くん?」


 また彼の姿が消えていたのだ。


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