66 5分だけ

「本気で戦う気がないのなら、わしは上へ行くぞ」


 大舎卿だいしゃきょうが戦闘中の二人の間へ飛び込み、彰人あきひとを睨み上げた。肩越しに一瞥いちべつした桃也とうやへ「行け」と促す。

 桃也は地面に落ちた趙馬刀ちょうばとうを掴み、草の上で込む京子へ駆け寄った。


「桃也、怪我は?」

「俺は平気だ。畜生、アイツに全然歯が立たなかった。もてあそびやがって」


 憤然ふんぜんとする桃也に京子はそっと安堵するが、不安は晴れず屋上を見上げた。

 綾斗あやとはまだ戦っている。不定期に轟く衝突音が地面を何度もきしませる。辺りに広がる能力の気配は想像の何倍も大きく、京子にもハッキリと分かる程だ。


銀環ぎんかんを外して立っていられるなんて、尊敬しますよ」

「鍛え方が違うんじゃよ」

「流石です」


 構えを解く彰人を相手に、大舎卿は肩を上下させる。京子は彼の手を離れた銀環を祈るように握り締めた。


「父はきっと貴方と戦いたがっていますよ」


 そう言って、彰人は屋上を仰ぐ。


「物心付いた時から僕は今日のことを聞かされて育った。僕にキーダーの資質があると知りながら、父はあえてバスクであれと力を隠すことを貫いた結果がこれだ。僕は父の野心とこの力のせいで、人生を台無しにされたんです」

「ほぉ。お主、父親が嫌いか?」

「嫌いじゃないですよ。馬鹿だと思いながらも憎むことは出来ません。けど……」


 彰人は持ち前のポーカーフェイスを少しだけにごらせる。


「ハナのことか」

「父がここに居た頃の話は色々と聞きましたが、僕は父の恋愛話なんて全く興味ないんです。僕の母親はその人じゃない」

「アイツも昔「力のせいで人生を台無しにされた」と言っとったわ」


 「親子じゃな」と笑う大舎卿に、彰人は「そうですか」と苦笑した。


 そんな二人のやりとりを黙って見つめていた京子は、負傷した右足の熱に気付く。桃也の手が患部を包み、ボォと光を放っていた。

 体温より少し熱いくらいだろうか。じんと痛む傷口が熱に染みて悲鳴を上げる。


「痛っ……」

「ちょっとだけ我慢してろよ」


 うめき声を上げると、桃也が「シッ」と人差し指で京子の唇を押さえた。


「使えるうちに使う」


 痛みを忘れる記憶操作だ。桃也は集中するように目を閉じる。


「……ありがとう」


 彰人が一瞬こちらを見たのが分かった。彼を警戒しつつ、京子は痛みを逃すように桃也の肩を掴んだ。


 ズキズキと刺すような痛みが、徐々にしびれるような鈍痛に変わっていく。

 痛みを忘れるだけだと、桃也は繰り返した。

 それは五分持てばいい――彼の説明を頭に叩き込む。


「五分……」


 それで何が出来るだろう。

 五分あれば戦える。しかし、五分丸々戦えるわけではない。

 相手は……? 


 答えが出ないまま、桃也が「よし」と右足から手を離した。あっという間の処置だ。

 ゆっくりと引き寄せた足が、芝生と砂の感触を掴む。


「すごい。これならいけるかも」


 桃也に支えられて立ち上がると、怪我を忘れてしまいそうなほどに足を動かすことが出来た。


「無茶はするなよ」


 桃也が京子の頬にあてがわれたガーゼにそっと手を伸ばす。彼の手にほんのりと残る熱が温かかった。

 京子は薬指の指輪を桃也に向ける。

 一人で突っ走らないようにという彼の想いを噛み締めるようにうなずくと、桃也が面映おもばゆい表情を見せた。


 そんな空気を再び湧き上がった強い気配が引き裂く。

 地上の四人が同時に屋上を見やった。


 綾斗の作った光の壁が、弾けるように霧散むさんする。一瞬暗くなった屋上から岩の砕けるような轟音が鳴り、同時に浩一郎の放った光が柵の外へと放たれた。


 目を疑いたくなるような光景に、京子は息を詰まらせる。

 光と共に、二つの黒い影が屋上から暗い宙へと飛び出た。

 綾斗と浩一郎だ。


「綾斗!」


 二つの影は明らかに落下速度が違う。

 先に落ちた綾斗の影は、背面飛び宜しく背中から頭を下に落ちてくる。

 重力のままに急降下する彼を追う浩一郎は、立ったままの姿勢で少しずつ地面との距離を詰めていた。


 大舎卿は吠え、落下地点へ向けて両手を伸ばす。衝突寸前に一階の窓のすぐ上で、綾斗の影がピタリと動きを止めた。


「小僧!」


 叫ばれた声に反応し、桃也が影の真下へ走る。

 気絶した綾斗が緩やかに降下し、桃也の伸ばした腕の中に収まった。途端に重力が戻り、桃也は足を踏ん張りつつ、綾斗を地面にそっと落とす。


 大舎卿は後を追う浩一郎に構えた。

 京子は地面に膝を付き、変わり果てた綾斗の姿に思わず口を手で覆う。彼の服はズタズタに裂かれていて、あちこちに血の色が滲んでいた。


「綾斗!」


 目を閉じたままの綾斗に、京子は悲鳴のような声で呼びかけた。



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