64 大舎卿の賭け

 正面玄関を出たところで、京子はふと視界に違和感を感じた。

 理由はすぐにわかる。長官の胸像があった場所に穴が空いていて、いつも睨みつけていたブロンズ色の彼がそこに居なかったからだ。

 京子が彰人あきひとに向って投げた長官の像は、鉄塔の側で砕け散ったまま、冷えた空気にさらされているだろう。


 暗がりに目を凝らすと、大舎卿だいしゃきょうの姿があった。屋上を見上げるその視線を追って後方を仰ぐと、ぶつかり合う巨大な光が見える。

 「父親か」と桃也とうやが呟くと、大舎卿だいしゃきょうが「そうじゃ」と眉をひそめた。


綾斗あやとが一人で戦っているの?」

「奴の作る壁が、柵のギリギリで防いでおる」


 姿は見えないが、確かに薄い膜が張り裂けんばかりにビリビリと音を立て、大きくしなっているのがわかった。

 綾斗一人でまともに戦える相手ではないけれど、その威力に期待してしまう。


息子せがれの姿が見えないうちは、わしはここを離れられん」

「私が行くよ」


 桃也を促し駈け出そうとする京子に、大舎卿が「まて」と声を上げた。


「綾斗は強いぞ。だからアイツを信じて、京子はわしの銀環ぎんかんを外せ」


 京子の目の前に、左手が伸ばされる。


「外すってどういう事? まさかトールになるってこと?」


 一瞬思ったが、すぐにそうでないことに気付き、京子は「えっ」と声を漏らした。


「力を解放させるつもり?」


 つまりキーダーがバスクになろうと言うのか。そんな行為は浩一郎の件以外に聞いた事がない。


 バスクとして育った人間は、彰人や桃也のように力への耐性たいせいがある程度出来るらしいが、生まれてからずっと銀環で力を押さえつけられているキーダーは別だ。それを外すことで本来持った威力を制御できずに、大ダメージを負う事になると教えられている。

 それがむやみに銀環を外させないためのおどしなのかどうかは分からないが、少なくとも浩一郎は数日寝込んだと言っていた。


「トールになる時だって辛いって聞くよ?」

「浩一郎ができたんじゃ。何も臆する事はない」

「無茶だよ……暴走が起きる可能性だってあるんだよ?」

「そんなことさせん。京子、時間がない! 綾斗を無駄死にさせる気か」


 見上げる屋上に放出する強い気配が、ビリビリと体中にまとわりついてくる。

 考える暇はないのか。

 大舎卿は英雄だ。経験も豊富。きっと、大丈夫――。


 京子は両手で大舎卿の手を取り、地面に腰を下ろした。キーダーの銀環を外すのは初めてだが、それだけなら難しい事はない。

 大舎卿の銀環に右手をあてがうと、ほんのりと熱を感じた。六十年以上彼と連れ添った銀色の環は、細かい傷が全体に広がり、艶が殆ど無くなっている。

 京子が少しずつ力を加えていくことで、熱は更に増していった。


「爺、死んじゃ駄目だからね」

「わしは、死なん」


 呟いた大舎卿の表情が険しくなる。

 京子もその気配に気付くことができた。

 一歩分の足音が耳に届いて、京子は視線だけを彼に向ける。


「やめておいたほうがいいですよ」


 暗闇からのんびりと現れたのは彰人だった。

 今まで何処に居たのだろうか。


「お前、何考えてんだよ」


 京子たちを背に、桃也が彼に詰め寄る。


「心配してるだけだよ。京子ちゃんも無事で良かった」


 浩一郎のアルガス襲撃の真っ只中、彼の息子であり本来敵である彰人と、どうしてこんな会話をして居るのだろう。


 彼にはこの状況が無事に見えるのだろうか。こうしている間も地面に伏せてしまいたいのを、京子は必死に堪えている。

 どれも彰人との戦闘で出来た傷だというのに。


「父さんは銀環を外して大分苦しんだらしいので。ご老体には余計きついと思います」

「爺、やっぱり……」


 力の緩んだ京子の手を右手で押さえ、大舎卿は彰人を睨み付ける。


「何がご老体じゃ、ふざけるな。わしは死なんと言ったじゃろう? それよりお主、何をぼんやり見ておる。今攻撃して来れば、わし等なんぞ容易く消す事が出来るぞ」

「別に焦る事はないですよ。じっくり行きましょう」


 ぼおっと火が点いたような音を立て、彰人の手に青白い刃が現れる。


「俺がやる。京子は大舎卿を、早く!」


 勇む桃也を見上げる彰人の目は冷ややかだ。


「君はキーダーになったんだ。折角バスクだったのに、銀環をするなんて勿体もったいないね。京子ちゃんの為だとか思ってるの?」

「お前に言われる筋合いはねぇよ」


 挑発する彰人に桃也は星印の付いた趙馬刀ちょうばとうを握り、構えをとった。

 刃を生成する様を目の当たりにして、京子は込み上げる不安を堪える。


「小僧、任せるぞ」


 「はい」と大きく返事して、桃也は切っ先を彰人の目の前に突き付ける。


「お前には殺らせねぇ」


 いきり立つ桃也に彰人は「分かったよ」と構え、左手をそっと刃に添えた。


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