59 月明かりが照らし出す決意

 京子の目の前にそびえるのは、先に倒れたものとは別の鉄塔だった。

 塀をへだてた向こうにある三階建ての商業ビルには、住居スペースも入っている。

 避難が完了しているとはいえ、反対側の工場とは事情が異なった。


 鉄塔まで二十メートル。

 京子はその場に留まり趙馬刀ちょうばとうで応戦するが、彰人あきひとの刃に跳ね上げられたつかが京子の手を離れて地面に落ちた。

 散漫になる意識を必死に留めて、柄を力で手繰り寄せる。拾い上げた柄にもう一度光を灯し、京子は彰人と対峙した。

 隙のない彼の視線に声を出すことさえままならない。


「ねぇ、京子ちゃん。これで力の差がハッキリしたでしょ? バスクと戦うのに銀環を付けるなんて、無力さを露呈ろていしているようなものだよ」


 身体が思うように動かないのは、彰人のせいだとすぐに分かった。能力者同士の拘束は容易にできるものではないのに、彼にその常識は通じない。

 京子は朦朧もうろうとする意識を彼の声に集中させた。

 彰人は呼吸1つ乱さず、一歩二歩と距離を詰める。


「京子ちゃんの彼はバスクだよね。助けに来てくれないの? バスクの力なら、僕の相手になるかもしれないよ」


 こんな時に桃也の話をして欲しくない。

 彼に会うまで死にたくはないけれど、桃也に助けて欲しいとは思わない。

 精一杯の力で、京子は横に首を振った。


 ――「お前のことは俺が守る」


 例えバスクの力がキーダーの数倍だとしても、訓練なしで戦えるとは思えない。


「私だってまだ、戦えるよ?」

「無理しちゃ駄目だよ。もうすぐ終わらせるから」

「ねぇ彰人くん、ひとつ聞いてもいい?」


 声を出すことが辛くなってきたが、彼にどうしても聞きたいことがあった。


「あの時どうして助けに来てくれたの? 私が迷子になった時……」


 林間学校のあの日、彼が現れなければ力に気付くことも恋をすることも無かった。


「知ってたからだよ」


 彰人は普段通りの笑顔で答える。


「京子ちゃんとはいずれ戦う日が来るだろうって、僕はそう教えられて育ったんだ。けど、僕は別に君を憎んでなんかいなかった。あの日、先生が捜しても見つからなかった君の居場所を、僕は最初から知ってたんだ。僕はとうにバスクとして覚醒していたからね」


 力の覚醒は十七歳が平均だといわれる中、十四歳で覚醒した綾斗は逸材だと評されているのに。

 あれは十歳を過ぎたばかりの、小学五年の記憶なのだ。


「まぁ僕の力は父さんに無理矢理引き出されたようなものだけどね。敵とか味方とか、そんな事は考えなかった。あそこに京子ちゃんがいるって分かってたから行ったんだよ」


 彰人はそういう人だ。誰にでも優しい。そんな所が好きだった。

 だから、こんな状況を未だに夢なんじゃないかと思ってしまう。


「さっき捨てたイヤホン、発信機付いてたんでしょ? 手放した事後悔するよ」


 いよいよ殺す気だろうか。

 彼が何かをするなら、その瞬間に僅かでもこの呪縛が解ければいいと思う。


「じゃあね、京子ちゃん。また会えたら助けてあげる」


 全身の感覚に集中して、力の放たれる一瞬を狙う。

 彰人が狙うのは、きっと鉄塔だ。

 目標へ伸ばした彼の手から光が現れるのと同時に、京子は解き放たれたように駆け出した。


 落ちる鉄塔を押さえることが無理なのは分かった。

 一本目の時より力も体力も減っている。


 『キーダーは盾であれ』

 昔、国の偉い人が言った言葉が頭をよぎった。


 塀の更に高い位置を狙って生成した防御の壁に、ひしゃげた鉄塔がめり込んだ。

 敷地外への被害は免れたが、ズルズルと落ちる鉄の塊は京子の真上から影を落とす。

 死の文字が頭をよぎり、京子は両手で頭を覆った。


「京子ちゃん!」


 彰人の叫ぶ声が聞こえた気がした。

 かすれた視界を紫色の光が横切っていく。

 強く目を瞑った頭上で、ガンと高い音が鳴ったのを耳にしたのが最後、京子の意識が途切れた。



   ☆

 気付いた時、京子は砕かれた塔の瓦礫がれきの中で仰向けに倒れていた。

 生きている事を実感する。けれど生きているだけだった。

 重なり合う瓦礫が動きを阻み、かろうじて空いた視界に灰色の雲が流れている。


 鉄の重みか、怪我のせいか、身体の感覚がなくなっていた。

 普段ならこれくらい余裕で動かすことが出来るのに、力を込めることが出来ない。


 ──『はぁ? そんなの訓練が足りねぇんだよ。キーダーなら力で避けられるだろ?』


 ついこの間、マサとそんな話をしたばかりだ。まさかこのまま圧死してしまうのだろうか。

 助けを呼ぶ声も、うまく出すことが出来ない。

 彰人の言った通り、イヤホンを捨てたことを後悔する。発信機があれば、すぐ助けに来てもらえるかもしれないのに。


 迷子になったあの日と同じだ。

 でもここでもう一度彰人が来たら、本当に殺されてしまうだろう。

 この状況の元凶が彼だということを笑いたくなってしまう。


 皆はまだ戦っているのだろうか。

 全てが夢だったらと思う。

 痛みは感じないのに、瓦礫の隙間を抜けてくる風は、やたらと静かで寒かった。


「会いたいよ、桃也」


 ここで全てが終わってしまうのなら、もう一度彼に会いたい。最後に声が聞きたかった。


「京子」


 ふと聞こえた声は懐かしくて優しかった。

 そうだ、この声だ。

 いつもの、彼の――。


「京子!」

「……え?」


 本当に彼の声が聞こえた気がして、耳を疑う。

 こんなところに彼が居る筈がないのに。

 ガラガラと剥がされていく瓦礫の向こうにその姿を見つけ、京子はその名前を呟いた。


「桃也……?」

「命を放棄するなって言っただろ?」


 差し出された右手を掴むことは出来なかった。

 身体がもう動かない。


「ボロボロだな。でも、生きてて良かった」


 安堵する桃也の笑顔に、涙が溢れる。


「会えたんだから、泣くなよ」


 瓦礫を避け、桃也は京子をそっと抱き起こす。

 けれど、ぼんやりとした月明かりが照らし出す光景に京子は息を呑んだ。


「桃……也? その格好……」


 彼の肩に、見慣れた桜模様がある。

 そんなことがありませんように、と懇願しながら彼の左手に手を伸ばした。

 桃也の小指に、もう指輪はない。変わりに京子と同じものが手首に巻かれていて、互いのそれが触れ合いカツリと音を立てた。


「……どうして?」

「言っただろ? 俺が京子を守るって」



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