52 屋上で
アルガスの混乱は
『行くわよ』と電話してきた彼女を、京子は「いらない」と突っぱねた。
「マサさんがアンタを巻き込みたくないんだって。だから私が勝てるように祈ってて」
『彼がそう言ったの?』
「ドキドキするでしょ。けどホントだよ、嘘はついてない」
『そうなの……』
朱羽の声が
戦いに出れば、彼女はきっとアルガスに戻されるだろう。また昔のように一緒に訓練ができればとは思うけれど、今はまだその時ではないような気がした。
『気遣って貰えるのは嬉しいけど、あの人にいらないって言われてるみたいで少し寂しいわね』
「贅沢言わないの。朱羽が強いことは、私もマサさんも知ってるから。今回は応援だけしてて」
『分かった。死んじゃダメよ?』
「物騒なこと言わないで。じゃあね」
通話ボタンを切る寸前で、朱羽の『頑張って』という激励が届く。
京子は通信の途切れたスマホに「うん」と答えて、ソファに乗せておいた
☆
屋上に行くと、鉄柵の手前で
アルガスの立方体の建物は屋根が全面屋上でヘリポートを兼ねている。いつもはコージの五番機がそこに待機しているが、今日はがらんどうとしていた。
地上から建物を照らす光も屋上までは届かず、振り向いた綾斗の表情は側に来てようやく分かる程だ。
京子は紙コップに入った牛乳を綾斗に渡す。
給湯室で温めてきたものだ。
綾斗は両手で握り締めた紙コップの熱に「
「ここだって聞いたから。コーヒーのほうが良かったかな?」
「いえ、ありがとうございます。部屋に居ると緊張が途切れちゃうんで」
もう時間は十時を回っている。
「一人でやらせてごめん。私も居るね」
夜の空気は思ったよりも冷たく、京子は両手にはあっと息を吹きかける。
「俺なら平気ですよ。まだ何も感じ取れなくて、ぼーっとしてたトコです。それより、さっきはすみませんでした」
「え? あ……気にしないで。さっきも謝ってたでしょ? もういいよ」
「はい、忘れて下さい」
あれは多分、彰人に挑発されて衝動的に出てしまったものだと思う。
気まずそうな綾斗の表情を隠すように、メガネが湯気で白く曇った。
「それに謝るのは私の方だもん。戦う相手が初恋の人だなんて聞いたら、綾斗も不安になっちゃうよね」
綾斗は黙ったまま首を横に振り、残った牛乳を飲み干した。
「小五の時に彰人くんが能力者だって気付いて、私すごく嬉しかったの。けど「彰人くんもキーダーなの?」って聞いたら、彼凄い顔になって。隠してたことなんだもん当然だよね」
「
「うん。彼に銀環がないことなんて、私にはどうしてかなって思うくらいだったのに。内緒にしてって言われて、それからすぐに全部消されちゃったんだ」
アルガスから同じ歳のキーダーがいると聞いていて、彼がそうだと思ったのを覚えている。
彼が能力者だと知った時と、彼に恋をしたのはほぼ同時だった。
「その時の記憶を抜かれたのに、彼の事が気になって仕方なかった。今も嫌いだなんては思えないけど、揺れてはいないよ。私はちゃんとこっちに居るから」
「京子さん……もういいですよ」
綾斗は照れ臭そうにその話を
「私こそごめんね。それよりご飯は食べた?」
綾斗との会話は心地良かった。つい何でも話してしまう。
「平次さんが握ってくれたおにぎりをいただきました」
「私も食べたよ。平次さんの作った昆布の佃煮大好きなんだ」
部屋で物思いに
普段ならとっくに食堂が閉まる時間だが、今日は夜中までフル稼働だと意気込んでいた。
「爺が部屋に戻ってたよ」
京子は綾斗の横で、柵の上に顔を乗せ溜息をついた。
町が闇に包まれている。灯火管制を敷いたように真っ暗な工場地帯は、建物の
「あの光の位置に被害は出せないよ?」
海岸に沿った隣町は、避難地区の外だ。
本当にもうすぐ戦闘になるのだろうか。規模も何も予想できず、未だに彰人の言った言葉が信じられない。
彼と戦えば、どちらかが命を落とす可能性もある。
――「分別くらい付くじゃろう?」
そんな
「私、彼と戦えるのかな」
「彼、って。京子さんはこっち側じゃないんですか?」
「こっちだよ。向こうに寝返る気はないから。ただ……」
明らかに、綾斗が不機嫌な顔を見せる。
「私情を挟むな、なんて俺の口から言えないですけど。
「私はまだ生きていたいし、死ぬまでキーダーでいるつもりだから」
「そうですか」と苦笑する綾斗を、京子は「だって」と見上げる。
「私にできる事なんて他にないよ。辛いこともあるけど、キーダーの仕事は好きだから」
「俺もですよ。この戦いには全力で挑むつもりです。失うくらいなら、俺が最後まで盾になりますから」
「それは駄目。綾斗も死んじゃ駄目だよ?」
綾斗の言葉を突き返すように京子が声を張り上げた。
それがアルガス的に間違った考えだということは分かっている。
彼の感覚は人一倍鋭いが、戦闘力に若干欠ける。それでも敵を目の前にしたら突っ込んでいくタイプだ。
必死になる京子に、綾斗は「わかりました」と目を細めた。
彼は何か言いたそうな表情を見せるが、京子が首を傾げると、
「けどどうして、京子さんは俺に優しくしてくれるんですか? いえ、京子さんだけじゃなくて、みんなです。北陸の人たちもそうだったけど、居心地良すぎて、ちょっと困惑してます。アルガスは厳しくて、キーダーの扱いも酷いって聞いてたから」
「アルガスをどう思うかなんて、人それぞれだよ。少なくとも私は好きだよ? 綾斗が来るって知った時も嬉しいって思った。ちょっと時期は遅くなっちゃったけど、みんなも同じ気持ちなんじゃないかな」
朱羽が外に出てから、本部のキーダーは京子と大舎卿の二人だけだった。
だから綾斗が北陸の訓練施設に入った二年間は、待ち遠しくて仕方がなかったのだ。
「そうなんですか」
「でも、アルガスの根底にあるものは変わらないよ? いつだってキーダーは前線に出て、盾にならなきゃいけない。これは余談だけど、爺が止めた隕石は、本当はすごく小さなものだったんだって。だからあれだけ騒がれたけど、専門家や海外のメディアからは当時、大したことないって評価をされたりもしたらしいの。でも、キーダーにとっては現況を抜け出す為の大きなきっかけだった。爺がいるから今こうしていられるんだもん、私たちも頑張らなきゃ」
「はい」と答えた綾斗の声に重ねて、屋上の扉が音を立てて開いた。
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