51 親の想い、それぞれ。

 物音に気付き、京子はそっと右隣の部屋のドアを叩いた。

 施設員の避難もほぼ完了し、ひっそりとした廊下がいつもより暗く感じる。

 返事はないが、明かりが漏れているのを確認して「入るよ」と扉を引いた。

 キーダーの部屋は全部同じ間取りだが、彼の部屋だけ何故か和室だ。


「お帰りなさい」


 とこの間に掛かけられた昇り龍の掛け軸の前に座るのは、制服姿の大舎卿だいしゃきょうだ。京子が靴を脱いで上がり込むと、彼は体を回して正座を崩す。

 京子はその前に座り、「ごめんなさい」と頭を下げた。


「謝られる覚えはない。やはり浩一郎の術中にあったんじゃな」

「未熟だったって事だよね」

「今が熟練だとも思わんがな」

「まぁ、そうなんだけど」


 肩をすくめる京子に、大舎卿は「ワシもじゃよ」と笑う。


「私と爺じゃ全然違うよ」

「そうか? それより夢の話を聞いたぞ。繰り返す記憶は、浩一郎の力が不完全だったということじゃな」

「相変わらず情報が早いね」

「息子の力を見抜いたんじゃろ? もしかすればその記憶を抜かれたことが原因で、感じる事を無意識に拒絶しているのかもしれん」

「気配を拒絶……」

「だとしたら、これをきっかけに戻るかも知れんぞ」


 鈍っていた感覚が『戻る』という表現は正しいのだろうか。

 浩一郎に記憶を消される前、身近に彰人あきひと以外のバスクは居なかったし、十五歳になるまでアルガスに来た事もなかった。だから日常的に感じ取れるという状況は想像が付かない。


「すぐにってわけじゃないよね。今夜には間に合わないだろうし……勝ち目はあるのかな」

「向こうにどれほどの戦力があるのかは知らんが、お主も今までずっと訓練してきたんじゃ。勝ちに行けばいい」

「相手はバスク二人だよ?」

「奴の息子にも能力が出たとは驚いたが、それを利用しようなんぞ浩一郎の考えそうなことじゃ。まぁ、弱くはないじゃろうな」


 キーダーとバスクでは力の差がありすぎる。

 抑制されたキーダーの力三人分で、フルパワーのバスク二人を制することができるのだろうか。


「ワシは、浩一郎がアルガスを去ってからの二十五年、ずっとこの日のために生きてきた。この日のためにアルガスに居た。アイツの顔を思い出すだけで、血がたぎるわ」


 大舎卿の得意気な顔が「恐いのか?」と茶化してくる。


「恐いよ。訓練はしてきたけど、本当に戦うなんて思ってなかった」

「戦いたくないなら、今からでもトールになればいい」


 離脱を促す彼の言葉に、京子は「そうじゃないの」と訴える。心のどこかでくすぶっている本心を見抜かれた気がした。


「そんなに重く考えるな。キーダーを選ぶということは義務でない。ワシは能力者であることを選んでアルガス側についてるだけじゃ」


 大舎卿は「ふん」と鼻を鳴らしてのけぞり返る。


「キーダーでいたいなら、仕事をしろ。分別くらい付くじゃろう?」


 アルガスを守ること、核を守ることが今の仕事だ。そしてそれは自分の命をもいとわない。

 分かっている。分かってはいるけれど。


「そういえば、子が生まれたんじゃと?」


 京子が再びうなずくと、大舎卿はわざとだろうか話を逸らした。


「うん。女の子。綾斗あやとと行って来たよ」

「別に難しい事はなかったじゃろう?」

「とりあえずマニュアル通りにやってきた」


 病院に行ったのがもう何日も前のような気がした。包み込んだ小さな手の感触を思い出すと心がほんわりとするが、同時に美和の言葉がそれを貫く。


 ――『謀反むほんの子にする気もないので』


「銀環を結ぶのは簡単だったけど、心が痛かったよ」

「……そういうこともある」

「ねぇ爺。私の時はどうだった? 私のお母さんは」


 同じ様に泣いたのだろうか。娘がキーダーになることを嫌がっただろうか。

 病気で死んでしまったが、生前の母親はとても勝気な人だった。死を宣告されて一年程病床に居たが、泣き顔なんて見た記憶がない。


「お主の時か。申し訳ないが父親の印象が強くて、あまり母親の事は覚えていないんじゃ」


 忠雄については、言われなくとも想像できる。舞い上がって小躍りでもしたに違いない。

 もう二十年以上前の話だから覚えていないのも仕方ないが、残念に思う。

 しかし大舎卿は首をひねり、「そういえば」とあごを親指の腹でいた。


「あれは銀環を結んだ後じゃった。それまで騒々しかったお前の父親が妙に大人しくなっての。母親と共に神妙な面持ちで頭を下げてきおった」

「お父さんが……?」

「あぁ。宜しく頼みます、とな。その時にあの酒を貰ったんじゃ」


 かすり模様の半纏はんてんを着た忠雄の姿を思い出し、京子は小さく笑みを零す。


「大事にするんじゃぞ」

 

 印象に残っていなかったのなら母親はきっと忠雄の隣で笑顔だったに違いない。

 自分らしく生きればいいと、母親が言ってくれそうな気がした。

 いつも豪快で男勝りだったが、忠雄の側ではいつも嬉しそうに微笑んでいた母親だ。


「ありがとうね、爺」


 戦のことを少しだけ忘れて、ほんの僅かな思い出に浸る。

 頑張ろうという意思に立ち上がったところで、京子は小さくうずいた胸を押さえた。

 幼い記憶の回想に、無意識に彰人あきひとの姿を登場させてしまったからだ。


「戦えるかな」


 音にならない想いは誰の耳にも届かず、吐き出した溜息に掻き消えた。

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