47 手を繋いだ記憶

 病院を出て見上げた空は雲一つなく澄み渡っていて、夕方のくすんだ青に白い月がぽっかりと浮かんでいた。


 黄昏時の静かな街を歩いて駅へ戻ると、狭い駅舎は学校帰りの高校生であふれていた。

 次の電車まで三〇分近くあるのを確認し、京子と綾斗あやとは自動販売機で買ったコーンスープを片手に隣接する小さな公園のベンチに座る。


 他に人の気配もなくシンとしていて、パッと点いた電灯が空の暗さを強調させた。

 オレンジ色の光の中で、京子は熱めのスープを飲んで長い息を吐き出す。


「お疲れ様です。今日あったかくて良かったですね」

「そうだね。綾斗もお疲れ様」


 時折顔をでる風は涼しいが、上に羽織った外套がいとうで十分寒さをしのげる温度だ。


 少女に無事銀環を結び、黙ったままの美和に挨拶だけして病院を出た。後の手続きには本部から施設員が来てくれる事になっている。

 彼女に快諾かいだくしてはもらえなかったが、京子はそれよりも少女に銀環を結んだ時に感じた違和感が気になって仕方なかった。


「京子さん、さっきどうしたんですか? 何か思うことでもありました?」


 少女に触れた感触をどうして懐かしいと感じたのか。どうして彰人あきひとを思い出してしまったのか。

 薬指の指輪に視線を落とす。桃也は今何をしているのだろう。彰人を思い出すと桃也が無性に恋しくなるのは、彰人を思い出すことへの罪悪感からだろうか。


「桃也さん、そろそろ戻ってくるといいですね」


 察した綾斗に「うん」とうなずいて、京子はぽつりと口を開く。


「……ねぇ綾斗、聞いてくれる?」

「何だって聞きますよ」

「私ね、初恋の人の夢を良く見るの。夢って言うか、昔の記憶なんだけど……いつも同じ内容なんだ」

「そんなことってあるんですか? 初恋って、この間陽菜ひなさんと話してた人ですよね?」


 不思議がる綾斗に「そう」とうなずいて、京子は記憶を辿るように話を続けた。


「相手は遠山彰人くん……他の夢も見るけど、それだけはもう何回見たか分からないくらい」


 夢の話は結構色んな人に話している気がする。

 今まではその謎が進展することはなかったけれど、今日は少し違っていた。さっき小さなキーダーと手を繋いだ時から、今まで思い出せなかった夢の続きが少しずつ解かれていく。


 あれは小学五年で行った林間学校の記憶だ。

 あの時迷子になった自分へ差し伸べられた彰人の手は温かくて──。


「綾斗……手、繋いでもいいかな」

「えっ? 突然どうしたんですか?」


 ぎょっとする綾斗に、京子は「変な意味じゃないから」と手を振る。


「そうじゃないの。お願い」


 ぼんやりとした推測を確信に変えたかった。多分、それが正解だと思う。

 綾斗は「仕方ないですね」と照れ臭そうに立ち上がり、空の缶を側のゴミ箱へ捨てた。

 一瞥いちべつした右手を京子の目の前に「どうぞ」と広げる。


「別に変な意味でも構いませんよ」

「冗談言わなくていいから」


 京子は、きまり悪そうに眼を逸らす綾斗の手をそっと掴む。桃也より少し細い手には、缶の温もりがほんのりと残っていた。

 桃也と同じで、力の気配は微塵みじんたりとも感じない。


「綾斗は凄いね。こうしてても全然気配が読めないよ」

「消すのと読むのは得意ですからね。京子さんのはちゃんと分かりますよ」


 覚悟しろと意気込んで、京子は手を握ったまま立ち上がる。


「少しだけ、力を出してもらってもいい?」

「力? ……気配をってことですか?」

「うん、お願い」


 綾斗は首を傾げつつ、言われるままに抑えていた気配を少しだけ開放させる。

 手ににじむ温かい感触は、昼間握った少女の手と同じだ。


 そして、あの時もそうだった。


「ありがとう。ほんと……自分があきれるよ」


 急にまぶたが熱くなり、京子は慌てて離した手で目を押さえる。


「京子さん、一体どうしたんですか?」

「私、やっぱり全部忘れてたみたい。爺に言われた通り、記憶を消されてた」

「思い当たる節があるんですか?」

「さっき赤ちゃんの手を握って懐かしいって思ったの。それで、何となくそうなんじゃないかって思って。綾斗の手を握ったら、同じだった」

「同じ……だった? すみません、それはどういう……」

「私が消されたのも、手を繋いだ記憶だったんだよ」

「手を……?」


 そう呟いた綾斗の視線が、急に京子を離れた。


「綾斗?」


 京子は顔を上げ、背後を振り返った彼の視線を追う。

 一台の車が闇にハザードランプを光らせ、公園の入り口に停車した。中から出てきた一人の陰は、京子たちがそこに居るのを知っていたかのように真っすぐに歩み寄って来る。

 「誰?」と警戒したのもつかの間、公園のライトが照らし出した顔に、京子は驚いて目を見開いた。


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