46 彼に恋したあの日の……

 京葉線から内房線へ乗り換えて、目的地を目指す。

 少しずつ減っていく乗客を見送りながらようやく辿り着いたのは、田舎の閑散かんさんとした駅だった。


 人通りの少ない住宅街を歩き、その産婦人科に辿り着く。

 プチホテルを思わせる小綺麗な外観で、広いロビーにはオルゴールのメロディが流れていた。

 まだ診療時間中で、待合室は妊婦や患者で混雑している。


 制服姿の二人を見るなり、数人から険しい表情が飛んできた。

 けれど京子は気付かないフリをして、感覚を研ぎ澄ませる。少しだけ感じ取れた気配に「いるね」と呟くと、綾斗あやとが「そうですね」とうなずいた。


 受付で聞いた部屋は、三階の一番奥だ。

 二人部屋だがネームプレートの一つは空になっている。もう一方に書かれた『佐倉美和さくらみわ』の名前を確認して、京子は脱いだ外套がいとうを腕に掛けた。

 綾斗に目で合図してからノックすると、すぐに中から「はい」と返事がある。


「アルガスから来ました、田母神たもがみです。入ってもよろしいですか?」


 ドア越しに名乗ると「どうぞ」と女性の声がして、京子は「失礼します」と扉を開けた。

 美和は資料にあった三十歳という年齢よりも大分若く見える。子供の姿はなく、淡いピンク色のパジャマ姿で、上に若草色のカーディガンを羽織っていた。

 キーダーの子供を授かった事への祝杯ムードは微塵みじんもなく、昨日出産した母親とは思えないほどに憔悴しょうすいしきった顔で二人を迎える。


 訪問するキーダーの一人が未成年の男子だという事は先に伝えてあったが、綾斗を見るなり美和はあからさまに不愉快な表情を見せる。その反応も含めて、誰もがキーダーを望むわけではないと痛感させられた気がした。

 たぐいまれな力を恐怖に感じる人は少なくない。京子は長い沈黙に戸惑いながらもさっき読んだばかりのマニュアルを頭の中で整理した。


「初めまして。田母神と申します。この度は御出産おめでとうございます」

木崎きざきです。おめでとうございます」


 美和は黙ったままうつむくように頭を下げる。


「早速ですが、詳細は担当の者が電話で説明させていただいた通りです。お嬢様に銀環を付け、十五歳になった時にその後の選択をしていただくという流れになります」

「十五歳って……あの、娘には本当にキーダーの力があるんでしょうか。ちょっと信じられなくて」


 美和は緩く組んだ手に力を込める。ベッドサイドにはノートパソコンが置かれていて、アルガスのサイトが開かれていた。


「私たちがここに来たのは、銀環を結ぶのと確認の為です。陽性反応が出たとの連絡を受けましたが、間違いありません」

「まだ会っても居ないのに分かるの……」


 美和の視線が京子と綾斗の手首を一瞥いちべつする。


「銀環さえしていれば他の子と同じです。キーダーになる事を強制しているわけでもありません。本当に嫌だと思うなら、十五歳になった時にアルガスへ入ることを断ればいい。例えキーダーを選んで後悔しても、途中で辞めることも可能ですから」

「十五歳なんてまだまだ先の話です。今すぐに消してもらうことはできませんか?」


 悲痛な顔で訴える美和に、京子は黙って首を横に振った。


「トール……力を消失させるということは、強い力で縛ることです。小さい身体では負担が大きすぎるんです」


 「どうして……」と漏らした美和のほおを涙が伝う。京子は慰める言葉を持ち合わせていなかった。


「私はあの子に戦わせるつもりは無いし、隕石に立ち向かって欲しくもないんです。力を持つことが、あの小さな手に環を付けることが不安で仕方なくて」


 美和は視界を塞ぐほどに濡れた目で二人を睨みつけるが、やがてぽつりと口を開いた。


「あの子の父親は、娘の力をとても喜んでいるんです。キーダーは日本を救った英雄だし、汚い話ですが十五歳まで多額の養育費が払われるとも聞いたので」


 美和は躊躇ためらうように唇を噛み締めるが、


「けど、分かりました。私だけが反対して謀反むほんの子にする気も無いので。これが栄誉なことだと思わないと……」


 謀反とは大袈裟だが、違うと言い切れない自分をもどかしく感じる。彼女に否定権は存在しない。金や栄誉と引き換えに、国に従うことが能力者とその親の義務なのだ。

 京子は彼女に深く頭を下げる。


「ありがとうございます。それでは、お嬢様に銀環を付けさせていただきますね」

「ナースセンターに預けてあります。私はここで待っていてもいいですか?」

「分かりました」


 もう一度頭を下げ、二人は部屋を出る。

 塞がれた扉の向こうから美和の嗚咽おえつが聞こえた。



   ☆

「辛いですね」

「仕方ないよ、こればっかりは」


 桃也とうやの母親もキーダーを望まなかったと言うが、自分の母親はどうだったのだろうと思う。忠雄は大舎卿だいしゃきょうを歓迎したらしいが、母親の気持ちは聞いたことがなかった。

 京子が上京する十五歳の時、既に母親は他界していて、キーダーになることを相談したこともなかった。もっと話をすれば良かったと後悔がつのる。


 二階に下りてナースステーションを覗くと、年配の看護師が出てきて小部屋に案内してくれた。

 ソファと小さなテーブルがあるだけだったが、中で待つとキャスター付きのベッドに乗った赤ちゃんを運んできてくれた。

 看護士は中央でタイヤをロックさせると、呼び出しボタンの位置を示してそそくさと部屋を出てしまう。


「うわぁ、可愛い」


 顔を覗くなり綾斗が声を上げる。普段は仏頂面の彼が甘味以外で破顔するのは珍しい。

 両手に乗ってしまいそうな程小さな少女だ。スヤスヤと安心した顔で寝ているが、キーダーの気配をハッキリと感じる。

 外套と荷物をソファに置き、京子は鞄から取り出した箱を開いた。平野の時より少し小さい銀環が入っている。


「ほんと可愛い。こんなに小さいのに、私たちの仲間なんだね」


 掛けられたバスタオルを外し袖をまくり上げると、小さな手が現れた。


「何か悪いことしてるみたい」

「そんなことないですよ。俺はキーダーであることは誇りだと思ってます。誰に何を言われても人類の盾となる覚悟はできています。だから、キーダーとなる資格を得たこの子も、あのお母さんも、胸を張っていいと思うんです」

「そうだよね、もっと自分の運命に自信持たなきゃね」


 戦う覚悟はできている。けれどそれは漠然としたものだ。

 京子は少女の手をそっと取り、左の手首に銀環を通す。生まれたての手には少し大きいが、キーダーが結ぶことで縮まる仕様になっている。


 京子はマニュアルを頭で追いながら、自分の銀環に触れた手を少女の銀環に重ねた。

 手の中に沸き出る力をゆっくりと移動させると、白い光がぼんやりと指の隙間すきまからこぼれる。

 少しずつ上昇する熱に少女がパチリと目を開いて、きょとんとする目がにっこりと笑んだように見えた。


「笑ったぁ」


 生まれたばかりの子供が笑うには、まだ早い時期だ。

 けれどそう感じた表情は感慨深い。


「待ってるから。また会おうね」


 京子はやさしく微笑み返すと、ふと不思議な感覚に捕らわれる。

 混ざり合う気配の流れに、懐かしさと不安を覚えた。手を放したくなる衝動を必死に堪える。


「京子さん?」


 心配する綾斗に「大丈夫」と返すと、てのひらにねっとりと汗を感じた。

 生まれたての子供に銀環を結ぶのは初めてだ。懐かしいと感じて思い当たる記憶と言えば、自分が生まれた時、大舎卿だいしゃきょうに結ばれたことだろうか。


「違う……」


 もっと後だ。

 記憶を辿り、行きつく先に表れたのは、彰人あきひとに恋したあの日の風景。

 少しずつ溶け出す夢に、京子は「嫌」と唇を噛んだ。



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