43 知らない部屋

「復讐してやる、とな」

「ふくしゅう? って……アルガスに?」


 大舎卿だいしゃきょうの放った物騒な言葉に京子は思わず高い声を上げて、慌てて口をつぐんだ。

 彼と共に監獄時代のアルガスを過ごした男は、解放とともに銀環ぎんかんを外し、そんな言葉を残して去っていったという。


「奴だってもう六十を超えておる。お前がワシに引退だとか隠居いんきょしろとか言うせいで気になっての。何かするにしても、体力的にそろそろ限界じゃろう」

「その男が、これから何か起こすかもしれないってことですか?」

「死んでもいない限り、ヤツは絶対に戻って来る。そういう男じゃ」

「戦いが起きるの?」

「ワシの勘じゃよ。この数年奴を捜した末の、昨日の話じゃ。追い風が吹いていると思わんか?」

「あんまり嬉しくない風だね」


 最近、大舎卿が遠方の仕事にもよく足を運んでいたのは、そういう理由だったらしい。


「何が起こっても対処できるように、お前たち鍛錬をおこたるなよ」

「勿論です」


 歯切れ良く返事する綾斗の向かいで、京子は不安げな表情でテーブルの端を両手で握り締めた。


「人間を相手に戦うって事だよね?」

「そうじゃ」


 大舎卿が何かを待っているのは何となく気付いていた。

 もし戦いになったらフォローしなければと思っていたけれど、いざ現実として告げられると途端に不安になってしまう。

 人を相手に戦うということは、相手を死に至らしめるかもしれないという覚悟が必要だと、アルガスに来て最初に大舎卿から教わった。


「恐いか? 相手が誰であれ、殺せと言ってるわけではない。ワシらの仕事は守ることじゃろ?」


 そんなにうまく使い分けることができるだろうか。ずっと続けてきた訓練は、殺人を想定したものではないけれど。


「本当に会った事がないのなら関係のない話じゃが、前に記憶を操ろうとしたキーダーがいたと言ったじゃろ? それが奴じゃ。改名した可能性もあるが、誰かに何かをされた事はないか?」

「記憶を操ることなんて本当にできる事なの?」


 確かにその話を聞いたことは覚えているが、同時に確実な力ではないとも言っていた筈だ。

 まれな力を発揮する能力者が居るというが、そんな人間に会った事はなく、実感が湧かなかった。

 大舎卿は「だから、わからん」と不機嫌に吐く。


「ただの力不足なら問題ないが、もしもと思ってな。場所も偶然お前の出身地だ。可能性はなきにしもあらずじゃろ」

「記憶……って。別に誰かに何かされたことなんてないよ」

「けど本当にそんなことができるなら、消された時の記憶だって消されてるんじゃないですか?」

「怖い事言わないで」

「いや、そう考えるのが正しいじゃろ。頭に入れておけ」


 大舎卿は昆布茶を飲み干して、さっさと店を後にした。


「知らないことばっかりだな」


 京子は左の手首をまくり上げ、銀環を握り締める。これだって、まさか指輪型が存在するとは思ってもみなかった。

 実家にいた頃の記憶は、時間の経過と共にどんどん薄れてしまっている。


 ふいに浮かんだ彰人あきひとの顔に先日会った大人の彼が重なり、京子は込み上げた衝動を振り払うように首を振った。



   ☆

 桃也がいなくなって一週間が過ぎ、京子はまた彰人の夢を見た。

 いつもとは別のシチュエーションだ。


 見知らぬ家のリビングに、やはり小学生の自分と彰人がいた。

 会話は聞こえず、彼の母親が奥からジュースを運んでくる。

 ということは、遠山家彰人の家だろうか。

 窓の外を確認するが、白くぼやけて何も見えなかった。


 林間学校の夢は記憶だけれど、この夢はただの願望のようなものだと思う。

 小・中学校と一緒だった彼は京子の初恋の相手だが、家を行き来して遊ぶような仲ではなかったのだ。だからもし一度でもそこへ行ったとすれば、忘れる事はないだろう。


 しばらくして、母親と入れ替わりに誰かが部屋に入ってくる。

 声も顔も、男か女かさえ分からない影がやってきて、自分は警戒することもなくその人物に何か話し掛ける――。


 そんな夢だった。

 そこで途切れて目が覚めた。


「何、だったんだろう」


 何度思い返しても、その人物が誰であるのか分からない。

 記憶かどうかの区別も付かない曖昧あいまいな夢のせいで、どうにもスッキリしない朝だった。



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