42 気付けなかった気配

 入口の扉にぶら提がった鈴が、店内に高い音を響かせる。

 「いらっしゃいませ」の声に何気なく顔を上げると、意外な客が一直線に京子たちのテーブルへやって来た。


 「いたな」と呟いて綾斗あやとの横に腰を下ろすのは、日本を隕石の落下から救った英雄・大舎卿だいしゃきょうだ。


 突然の登場に驚いた綾斗が「お疲れ様です」とスプーンを置くと、大舎卿は「おぅ」と笑ってマスターへ手を上げた。


「いつものを頼む」

「かしこまりました」


 マスターは慣れた様子で、水の入ったグラスを置いていく。


「爺、私たちがここに居るって知ってた?」

「仕事中にお前が行く所くらい見当が付くわ。それより話はマサから聞いたぞ。お前、小僧がバスクだということを、本当に気付いてなかったのか?」


 不意打ちの質問に、京子は慌ててコーヒーカップをテーブルへ放す。


「やっぱり爺も知ってたんだ。私は全然気付いてなかったよ」

「小僧の力くらい、アルガスへ来た時から気付いておったわ」

「それなのに、知らないフリしてたの?」


 すぐに運ばれてきたのは、場所とは不釣り合いな湯のみに入った飲み物だ。匂いに気付いた綾斗が「何ですか?」と首を傾げる。


「昆布茶だ。特別のな」

「もぉ。喫茶店なのに、そんな我儘わがまま言ってるの?」


 京子が側にあったメニュー表を確認するが、昆布茶どころか緑茶の文字もない。

 大舎卿は「ふっ」と笑って湯気を嗅ぐと、ズズズと昆布茶をすすった。


「マサがコソコソと小僧をかばい立てしてるのは気付いておったが、別にわしは何とも思っとらんかった。アイツが最善だと判断したんじゃろ? 小僧がもしマサを裏切るようなことがあれば、わしがケリを付ければいいだけの話じゃからな」


 キーダーはバスクを見つけたら拘束こうそくしろと言われている。それなのに『大晦日の白雪』を起こした桃也を、マサどころか大舎卿や久志ひさしでさえも、そうはしなかったのだ。


 綾斗はフォークに刺した斜め切りのバナナを口に運びながら、二人の話に聞き入っている。


「桃也は裏切るなんて事しないと思うよ」

「もしもの話じゃよ。しかしな京子、お前が小僧の力に気付けないことの方が問題じゃぞ。一緒に暮らして、裸の付き合いもあったんじゃろう?」


 綾斗が思わずバナナを吹き出しそうになり、慌てて口を押さえた。


「ちょっと! そんな生々しいこと言わないでよ!」


 京子は一気にほお紅潮こうちょうさせ、興奮気味に立ち上がる。


「じゃあお前、ワシに節操のない言葉を使えというのか? セ──」

「駄目ぇ! 綾斗はまだ高校生なんだよ?」


 慌てて叫ぶ京子を、マスターは遠くからいつも通りの笑顔で見守った。

 白髪混じりの太い眉を吊り上げてギロリと睨む大舎卿に、京子はわなわなと唇を震わせる。


「二人とも落ち着いて下さい!」


 仲裁ちゅうさいに入る綾斗は赤面しながら、京子を再びソファへと促した。


「ふん、本当のことじゃろ。銀環を結んでいないバスクが、寝食を共にしているキーダーに力を隠し通せるとは思わん」

「私だってそう思うよ。けど、本当に気付かなかったんだもん。私が嗅ぐのを苦手なことは爺も知ってるでしょ? 探ろうと思えば気配を追うことはできるけど、感覚として入ってこないんだよ」


 予告なく気配を感じ取ることができない。昔からずっとそうだ。

 意気消沈する京子に、大舎卿は「うむ」とだけうなずいた。


「京子は福島の出身だったな。猩々寺しょうじょうじ浩一郎こういちろうという男を知っているか? ワシと同じ位の歳じゃが」

「知らない……そんな珍しい苗字、一回聞いたら忘れないよ」

「……じゃの。昨日の会議で奴をそこで見掛けたという話を聞いてな。監獄時代、わしと一緒にアルガスに居たキーダーじゃ。見掛けたって言うだけじゃから、本人かどうかさえ定かではないが、お前のその能力の低さがいささか気になっての。ワシも嗅ぐのは得意でないが、小僧の力くらい見抜けたわ」

「京子さんの能力に、その人が何か関係があるんですか?」


 プリンアラモードを食べ終えた綾斗は、温くなったホットミルクを飲んでいる。

 大舎卿は二人に目をやると、胸元のアスコットタイを緩めて口を開いた。


「京子には話してなかったが、ワシはずっとそいつを捜しているんじゃ」

「そうなの?」

「あの隕石騒動の後、アルガス開放と共にトールへの選択肢がキーダーに与えられたのは知っておるの?」

「うん」

「とはいえ皆、歳も歳じゃったから一般的な社会へ出ることより、キーダーとして残ったやつの方が多かったんじゃ。もちろんアルガスを出て行った奴はいるが、中でも浩一郎は少し毛色が違っていての」

「違う、って?」

「過去にアルガスは牢獄だ監獄だと言われていたが、ワシはあの壁の中の生活をそこまで息苦しくは感じとらんかった。外へ自由に出られないこと以外、不自由はなかったしの。他の奴もそうじゃったと思う。しかし奴はアルガスを憎んでおった。トールとして外へ出る日、ワシに言ったんじゃ」


 京子と綾斗が顔を見合わせると、大舎卿はテーブルの中央へと視線を泳がせて呟いた。


「復讐してやる、とな」



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