44 突然の吉報

 浩一郎こういちろうの件で大舎卿だいしゃきょうが東北へ向かい、綾斗あやとは新学期が始まった。そのせいで、ここ数日の京子は一人でいる事が多い。

 綾斗が来る前なら気にもならなかったのに、アルガスの中をやたら静かに感じてしまう。


 ホールでの自主訓練を終えた京子は、上着を脱いでタイを外すと家から用意してきたコーヒーを飲んだ。


「薄すぎ……」


 いつも朝に淹れてくれた桃也とうやの真似をしてみたが、同じ豆を使っているとは思えないほど残念な味になってしまった。


 彼が居なくなって八日目。

 最初は沈んでばかりいたが、三日過ぎた頃にようやく涙の衝動が収まった。彼への気持ちは変わらないが、辛いと思う感情を訓練にぶつける事で少しだけ前向きになれた気がする。


 京子は「やるか」と気合を入れて再び訓練場の真ん中に立った。

 火照ほてった身体には、いつも寒いと感じるここの空気が心地良い。静かに深呼吸して京子は目を閉じた。


 塞がれた視界に聴覚が過敏かびんになる。遠くの足音や空調の音、屋上を叩く風の音、自分の呼吸さえ音として入ってきた。


 訓練場には溢れるほどの気配が散らばっている。

 一度大きく力を使うと、その場所に留まった気配が数日かけて消えていくからだ。

 

 近付く足音に目を開くと、「調子はどうだ」と半袖ジャージ姿のマサが入ってきた。


「まぁまぁかな。マサさんは気配を嗅ぐの得意だった?」

「それって感じ取るってことか?」

「うん。そっか、別だって前にも言ってたもんね」


 探ろうと思えば幾らでも『嗅ぎ取る』事はできる。けれど、事前に『気配がある』という情報がなければ、自分から『感じ取る』のは難しい。


「『嗅ぐ』のと『感じ取る』のは別に考えといたほうがいいぜ。俺も戦闘の方が得意だったけどな」


 京子の前に立ち、マサは腕組みして考えるポーズをする。


「例えばだ、今お前が繁華街の駅に下りて、人通りの多い交差点で信号待ちをしていると仮定する。交差点の向こう側には気配を消していない無自覚のバスクがいるが、お前は気付かない。けど信号が変わって渡り始めると、人の波に飲まれてそいつと肩がぶつかっちまう。そしたらお前はどうなる?」

「……バスクだって、気付く?」


 気配を故意に消していなければ、触れることで分かる筈だ。


「そうだな。じゃあお前がその時、綾斗と一緒に居たとする。そしたら綾斗は信号待ちをしている時点でバスクに気付くんだ」


 それだけの人がいる中で気配を感じ取ることが出来るなど、想像もできない。

 「綾斗は凄いな」と感心する京子に、マサは腕を組み直して右の人差し指をスッと立ち上げた。


「そしてもう一つ。お前がそこで綾斗じゃなくて、桃也といたとする」

「桃也?」

「あぁ。こんな時に名前出して悪いな。けどそれがもし桃也なら、アイツは駅に着いたときに何かいるって気付くぞ」


 マサが「覚えとけよ」と人差し指を京子の目の前に突き付けた。


「綾斗がキーダーで、桃也がバスクだからってこと?」

「そうだ。まぁ綾斗はそっちの方得意みたいだから、もっと前に気付けるかもしれねぇけどな。銀環のないバスクの力はケタ外れだ。国がここまで管理したがる理由が分かるだろう? そしてそれは反対の立場にもあるんだってのを覚えとけよ」

「反対……そうか」

「あぁ。相手が覚醒済みのバスクなら、駅に着いたお前に気付くからな」


 雪山での平野ひらのの力を思い出す。銀環で管理されているからと言い訳をすればそれきりだが、今のままの自分では、彼にはまるで力が及ばない。


「だから自分を守るすべを身に付けろ。気配なんて本能的なものだぞ?」

「本能、って……」


 力がはっきりと覚醒して五年近くなるが、京子はいまだにそれができない。


「感じるのもそうだ。夕方の住宅街を歩いて、どっかの家の夕飯がカレーだって分かる程度の感覚だ。知ろうとしなくても気付けるだろう?」


 理屈は分かるが、実際分からないのだからどうしようにもない。


「それとも、何かあったのか?」


 京子は少し考えて、すぐ横に手を振った。大舎卿だいしゃきょうに浩一郎の話を聞いて、色々記憶を辿ろうとはしているが、未だに答えに辿り着くことができない。


「ないよ。爺にも聞かれたけど、見当がつかなくて」

「なら覚えるしかないな。俺が教えてやれればいいんだが、どうするって方法がイマイチわからねえんだよ。大分前になくなっちまったしな」


 自虐的に笑い、マサは入口を振り返る。コツリという足音がして甘い声が訓練場に響いた。


「京子ちゃん! ニュースよ、ニュース。大ニュース!」

「セナさん!」


 顔いっぱいに喜びを表現するマサ。セナは興奮気味に細いヒールを鳴らしてホールに入ってくる。

 桃也が居なくなってからの一週間、意気消沈の京子とは対照的に、アルガスは公園でのことや平野の件であわただしく、セナとゆっくり話す暇もなかった。


 セナはクリップで挟まれた書類を胸に抱え、鼻息を荒くする。


「何かあったんですか?」

「何かあったのじゃないわよ! 生まれたのよ!」

「おぉ、本当か!」

「今報告があって。大舎卿がいないから京子ちゃんと綾斗くんに、って」


 京子は書類を受け取り、食い入るように目を通す。文字ばかりの内容でうんざりするが、一枚目で大体把握できた。キーダー候補になる能力者が出生検査で引っ掛かったらしい。


「千葉か、まぁ近いね。電車で行っても二時間かからないくらいかな」

「うんうん。大分久しぶりよね。しかも女の子! 是非キーダーになってもらわなきゃ」


 前回は確か『大晦日の白雪』の少し前で、男の子だった。京子がキーダーになってから、今回が二回目になる。


「とりあえず、綾斗拾って行ってきます」

「うん。お願い。彼の制服クリーニングしてあるから、持って行ってあげて」


 書類に記された訪問の期日が今日になっている。

 訓練室の隅から脱いだ上着と水筒を拾い上げると、「ちょっと待って!」とセナが京子を呼んで駆け寄ってきた。


「京子ちゃん、あんまり頑張りすぎないで。私も応援してるから」


 そっとつかまれた彼女の手がしっとりと温かい。


「桃也くんが、早く帰ってきますように」


 祈るように瞬きするセナに、京子は「ありがとうございます」と微笑んだ。



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