40 意外と好き

 朱羽あげはの事務所は、アルガスからそう遠くない町の駅前にある。

 最寄り駅に着いた途端、金属を打ち付ける激しい音が京子たちを迎えた。駅前の再開発で、一角にあるビルの解体が行われているせいだ。


 さすまたをき出しで持ち歩く姿は滑稽こっけいだが、制服姿のせいか周りからの反応は薄い。

 事務所までの数百メートルを歩きながら、綾斗あやとは肩に担いださすまたを見上げた。


久志ひさしさんて、俺最初はすごく苦手だったんですよ。けど男同士って事で一緒の時間も多くて、あのテンションに慣れたっていうか。意外と好きだなって思えて。あ、本人には言わないで下さいよ?」

「言ったら喜ぶだろうけど。あんなにグイグイ来られると困っちゃうよね。けど先輩に対して意外だなんて言わないの」

「すみません」

「ううん、内緒ね。私も久志さんは好きだよ。何言ってるかさっぱりわかんない時あるけど」


 北陸支部は訓練施設と共に技術研究の施設も兼ね備えていて、技術員の久志はキーダーでありながらそっちに入り浸っていることが多かった。だからいつも白衣を着ている。


「マサさんや、やよいさんの同期なんですよね」

佳祐けいすけさん入れて四人ね。さっきカステラ貰った九州の人だよ」

「佳祐さんとは何回か顔合わせたことあります。ちゃんと話をしたのは数えるくらいですね」

「佳祐さんって、久志さんとは真逆のタイプだもんね」

「けど何だかんだ言って仲良いし、俺同期いないから羨ましいです。朱羽さんも京子さんの同期なんですよね?」

「そう。すっごい美人だから驚くかも。けど、あんまりしつこくしちゃ駄目だよ? 男の人苦手だから」

「しませんよ。俺そういう風に見えます?」


 ムッとした綾斗に京子は「見えない」と笑って、そのビルの前で「着いた」と足を止めた。


「女子校育ちで面識が少ないっていうだけだから、重症って程ではないんだけどね」


 京子もここに来るのは久しぶりだ。

 上階が賃貸のマンションになった雑居ビルで、入口のガラス扉を開けると暗いエレベーターホールの向こうに消火栓の赤いランプが光っている。セキュリティが整っている感じは全くなく、ましてやアルガスの機密を扱うような場所にも見えない。

 こればかりは、報告室の三人に同情してしまう。


「こんな所に事務所があるなんて想像できませんね」


 「だよね」と笑って、京子は扉のすぐ横にあるチャイムを鳴らした。

 「はぁい」と甘い女性の声がして「私だよ」と返事すると、すぐに扉は開く。


「どうしたの、突然」


 アポなしの訪問に少し驚いた顔をした朱羽が、後ろの綾斗に気付いて「あぁ」と眉を上げた。


「綾斗くん? えっと……木崎きざきでいいんだったけ?」

「はい。初めまして、木崎綾斗です」


 一瞬綾斗が彼女に見とれて、慌てて頭を下げる。アルガスのオジサンたちを魅了する朱羽の雰囲気は、ただものではないようだ。


「綾斗の事知ってるの?」

「私を誰だと思ってるのよ。会うのは初めてだけど、資料はちゃんと目を通してるわ」

「そういうことか」


 京子は綾斗を招いて中へ入り込んだ。玄関のカウンター越しに彼女の仕事場が見える。

 資料棚がズラリと並び、テーブルには作業中の書類がいくつも広げられていた。


「忙しかった? 急でごめんね。ここでいいから」

「気にしないで。新しいキーダーの入りでてんてこまいなのよ。平野ひらのさんが入ったのって、京子たちのお陰なんでしょ?」

「まぁね。そう言って貰えると嬉しいよ」

「それで、その物騒なものは何なの?」


 扉が開いた時から、朱羽は綾斗の持つさすまたが気になって仕方のない様子だ。


「オジサンたちからの、朱羽へのプレゼントだって。可愛い朱羽ちゃんが悪い男に襲われたらって心配してるんだよ」


 そこまでは言っていないけれど。

 朱羽は綾斗からさすまたを受け取り、疑問符いっぱいの顔をする。手元のスイッチを押すと光が走るが、やはり呆気あっけなく消えてしまった。


「こんなの私がいるわけないじゃない」


 オブラートに包むことを知らない彼女の反応は、京子も何となく予想していた。


「だよね。私も欲しいかって言われて断ったもん。朱羽って、オジサンたちの前でか弱いフリしてるんじゃないの?」

「してないわよ」

「ホントかなぁ。今日久志さんがそれ持ってきてくれたんだけど、出禁できん食らっててここに来れないって言ってたよ? アンタ何したの?」


 整った眉をぐっと寄せて、朱羽は「どういうこと?」と首を傾げる。


「もしかして、前ここに来た時の事? あんまりしつこいから来ないで下さいって追い返したことはあるけど」

「それだ。先輩相手に何してるんだよ。まぁ久志さんの事だから、向こうも遠慮なんてしてなかったんだろうけど。まさかせまられた?」


 久志から浮いた話なんて聞いたことがない。しかもついさっき同性の綾斗を抱きしめる現場を見てしまったばかりだ。

 まさかの恋バナを期待したが、朱羽は「そう言うのじゃないわよ」と否定する。


「半年くらい前の事だから、もういいのに」

「あぁ見えて思い悩むタイプなのかもしれないし、連絡してあげなよ。とりあえずそのさすまたは渡したからね? いつか使う時があるかもしれないんだから、置いとくんだよ?」

「分かったわよ。それより京子も無理しちゃだめよ?」


 詳細は話さなかったのに、それが何のことかはすぐに分かった。

 あぁ彼女も知ってるんだなと思って、京子は「ありがと」と振り返り事務所を後にする。



   ☆

 ビルを出たところで綾斗が彼女の部屋の方を振り向いて困惑顔を浮かべた。

 彼のモヤモヤする気持ちを察して、京子は先に話をする。


「朱羽はね、マサさんのことが好きなんだよ」

「そうなんですか? けど、マサさんは──」

「だから、こじらせたままここにいるの。五年も」


 マサがセナにぞっこんなことは、セナが煮え切らないという情報もセットにして本部に居る人間なら誰でも知っている事だ。

 彼への気持ちを諦められないままアルガスを飛び出した朱羽は、やたら優しいオジサンたちに甘えて、こんな所に閉じ籠っている。


「朱羽はセナさんに似てるんだよ。彼女のどこが悪いんじゃなくて、たまたま運が悪かっただけだと思う」

「確かに雰囲気は似てるかもしれませんね」

「今でこそ気にならないけど、初対面が二十一と十五だもん。十五歳のガキンチョなんて、そんな対象にならないって」


 綾斗が「六つ下か」と神妙な顔をして呟く。今の彼で数えると、相手はまだ小学生だ。


「ね、そういう事。その年の暮れに『大晦日の白雪』が起きたんだけど、朱羽はもう今の事務所に居たの。彼女がアルガスに居たのなんて、ほんの短い時間だったんだ」

「女子高生があの事務所に居るってのは、確かに心配されるのも無理ないですね」

「もう大人だけどね」

「恋愛って難しいですね」

「でしょ?」


 綾斗の吐き出した溜息が寂しさを誘う。


「どうしたの、元気ないよ? 朱羽美人だったでしょ。見とれてたもんね」

「そういうこと言わないで下さい。俺は──」

「え?」

「いえ、何でもないです」


 言い掛けた言葉を飲み込んで押し黙る綾斗。

 気まずそうにうつむいた彼を問い詰めるのは悪い気がして、京子は駅の方へと先導した。


「じゃあ、甘いものでも食べに行こうか」


 「はい」と綾斗が笑顔を零す。


 恋愛は本当に難しいと思う。桃也が居なくなって不安を紛らわせる事なんてなかなかできないけれど、雲一つない冬の青空と彼のお陰で、今は少しだけ笑顔になれた。



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