【番外編】2 大晦日の白雪-1

 桃也とうやが初めてその力に気付いたのは、中三の夏休みが明けてすぐの事だった。


「ちょっと桃也、何してるの?」


 背後からの声に慌てて力を緩めると、宙にあったゴルフボールがリビングの床にかたい音を立てた。

 幽霊でも見るような怪訝けげんな顔を向けられ、桃也は「はぁ?」ととぼける。


「はぁじゃないわよ。そのボール浮いてたよね?」


 姉の芙美ふみに見られていた。

 確かにボールは桃也の頭のすぐ上に静止していた。それは桃也の意思によるものだ。


 少し前からそんなことができるようになった。

 重いものは流石にいう事を聞かないが、ボール程度なら触れずに操ることができる。しかし、そんなことのできる理由は謎のままだ。


「そうなのよ。桃也ったら、この間から凄いのよ」


 キッチンから出てきた母の美里が紅茶のセットをテーブルに置き、興奮気味に桃也の横へ座った。

 母にはこの間もその現場を見られている。手品だと言ってしのいだが、本人はそう思っていないようだ。


「もしかしたら桃也には、キーダーの素質があるんじゃないかしら」


 母は興奮を抑えるように、花柄のカップを口元へ運ぶ。


「キーダーって……そうなの?」

「えぇ?」


 姉の驚愕に桃也自身まで驚いたのは、その言葉があまりにも現実的ではなかったからだ。

 キーダーは特殊能力を扱う能力者の俗称だ。日本に十数人しかいないという彼等は、自衛隊とはまた別の『アルガス』という機関に所属し、国を守る日本の『盾』だと言われている。


 「そうねぇ」と母が小首を傾げたところで、芙美が「あっ」と何かひらめいて階段を駆け上がっていった。

 吹き抜けにある廊下を走り抜けていく姉を見上げて、母は楽しそうに声を弾ませる。


「もし桃也がそうなら、私はキーダーを産んだのね」


 キーダーの出生は、遺伝でもなく奇跡だという。

 再び足音が響いて、芙美が丸めた週刊誌を手に戻って来た。ゴシップ好きな彼女の愛読書だ。姉は鼻息を荒くしながら、指を挟んでいたページを二人の前に広げる。


「ちょっと前の記事だけど、キーダーのことが載ってたの思い出して」

「あっ、この人知ってるわ。大舎卿だいしゃきょうね」


 大きく載った写真を指差して母が得意気に話すが、彼の事なら桃也も知っていた。キーダーの代名詞とも言える男で、日本人なら知らない人はいないだろう。

 上の見出しには『あれから二十年』と書かれている。


「もうそんなに経つの? お母さんが大学生の時だから、十年位前のような気がするけど」


 母がしみじみと口にするが、十九と十五の子供が居るのだからそんな訳はない。

 二十年前東京に隕石が落ちてきて、キーダーの一人である大舎卿がそのたぐいまれなる力で日本を救った。

 それまで負のイメージで固められていたキーダーを一躍いちやく英雄に仕立て上げ、表舞台へと出るきっかけになった大事件だ。


「俺が隕石から日本を救えるかよ」


 ボールを動かす程度の力で、隕石に立ち向かえるとは到底思わない。


「キーダーって生まれた時に検査して調べるっていうよね? 桃也が生まれた時はしなかったの? アメリカにもアルガスみたいな機関があったと思うけど……」

「どうだったかしら。芙美の時はまだ日本に居たけど、桃也の時は私あんまり英語が話せなくて、もしかしたらしなかったのかもしれないわね」


 父の仕事の関係で、高峰たかみね家は桃也の生まれる少し前からアメリカにいた。

 今住んでいるこの家は、急に帰国が決まって物件を探した父が、住宅地を離れた公園の側という立地を好んで決めたらしい。前の住人はバブル期にブレイクした芸能人だと聞いている。


「まぁ続くようなら、私が一度アルガスに行って相談してくるわ」

「そしたら桃也はキーダーになるの? 銀環ぎんかんを付けない能力者って、バスクっていうんでしょ? 途中からキーダーになったら肩身の狭い思いするんじゃないかな?」


 芙美は閉じた雑誌をひざの上に丸め、心配そうに桃也を覗き込んだ。

 銀環を付けたキーダーは十五歳でアルガスに入り、国のために尽くすという。しかし何らかの事情で検査を逃れ、一般人と同じ生活を送る能力者は『バスク』と言われた。


「大丈夫よ、トールになる選択もあるじゃない」


 能力者がキーダーになることを選ばない場合、力は強制的に剥奪はくだつされるらしい。そんな元能力者は『トール』と呼ばれる。


 キーダーは英雄だ。興味がないと言われれば噓になる。

 そんな時タイミングを計ったように、テレビのワイドショーがアルガスの本部を映した。何度か見たことのある、茶色で立方体の建物だ。

 事件ではなく、北陸に支部が新設されたというニュースだった。


 桃也は大舎卿が出てくるのかと期待したが、東京の本部から北陸の新施設へと切り替わったカメラは、制服姿でポニーテールの女性を映す。


『日本を守る拠点の一つとして、納得していただけるよう努めていきたいと思います』


 はつらつと話す彼女の左手首に銀環があった。けれどそれが自分とは別世界の物にしか思えず、桃也はうつむいたまま紅茶を飲み干す。


「この人もキーダーってことは、女性にもできる仕事なのかしら」


 小首をかしげる母に、姉が「関係ないよ」とテレビを睨んだ。


「だってキーダーは日本を守る盾なんだよ? 力を持って生まれて来たってだけで命を懸けなきゃならないなんて……桃也が誰かのために戦う必要なんてないよ」


 姉の言葉に桃也は緊張を走らせる。


 初めて自分の力に気付いたときは、ほんの小さな変化だった。

 電灯の下で揺れる紐を地震かと思ったのがきっかけだ。それが日に日に強くなり、今もその力は増していた。

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