【番外編】3 大晦日の白雪-2

 十二月に入り、東京に舞い降りた初雪はあっという間に消えてしまった。


 父親が久々に早く帰ると聞いて、桃也とうやは年の瀬を控えた商店街を駆け、塾からの帰宅を急いだ。

 夕食の支度を手伝う姉の芙美ふみに「もう帰って来たの?」と驚かれつつ、リビングへ入る。テーブルの中央にはピンク色のガーベラが飾られていた。花屋でバイトする彼女の一番好きな花だ。


「ねぇ桃也」


 入浴中の父を待って緑茶をすすっていると、母がキッチンから出てくる。妙にうずうずと落ち着かない彼女に何だろうと思った所で、カウンターの奥にいる姉の視線を感じた。

 神妙な面持ちで堅くあごを引く仕草に困惑して「何?」と眉をしかめると、母が思いもよらぬ報告をしてくる。


「お母さん今日、アルガスに行ってきたの」


 思わず落としそうになった湯飲みを、桃也は慌てて握り締めた。


「行ったって、アルガスの本部にって事?」

「そうよ。前に行くって言ったじゃない。いつにしようかなって悩んでたけど、年を越す前がいいと思って、一人で行ってきたの」

「朝はそんな事言ってなかったじゃねぇか」

「だって、みんなが出掛けた後に思い立ったんですもの」


 母は普段天然キャラなのに、たまにすさまじい行動力を発揮する時がある。


 「もぅやめてよぉ」とキャベツをザクザク刻みながら、芙美が呆れた声を上げた。

 キーダーの本拠地であるアルガスの本部が都内にあるのは知っていたが、せめて一言言って欲しかった。もしもの時の心構えが全くできていない。


「それで、何か言われたのか?」


 運命のジャッジに身構える。けれど母は相変わらず緊張感のない声で「中には入っていないのよ」と微笑んだ。

 彼女の説明によると、アルガスに着いたところで中から出てきた男に自分から声を掛けたらしい。生憎あいにく相手はキーダーでなかったが、年明けに桃也に会うと約束してくれたということだ。


「年明けなんて悠長な話よね。こっちがバスクかもって言ってもすぐに捕まえようとしないなんて」

「俺を警察に突き出すみたいなこと言うなよ」

「そうは言ってないけど、そういうことでしょ? バスクが居るなんて言ったら、あの人たちは目の色を変えるものだと思ってたけど」


 山盛りに刻んだキャベツをカウンターにドンと乗せて、芙美はリビングに出てきた。

 

「桃也が心配だよ」

「連絡先も伝えたし、悠長って言っても十日もないわ。ほら、この間テレビで北陸の新しい施設ができたってニュース見たでしょ? 今それでとっても忙しいんですって」

「じゃあ、その人がアルガスの窓口みたいな感じなのかな?」


 芙美は腑に落ちない表情で腕を組む。


「信用していいんだよね? どんな人だったの?」

「二十代前半くらいかしら。背が高くて、無精髭ぶしょうひげがワイルドな感じで。髪はボサボサだったけど、独身の男の人なんてそんなものでしょ?」

「それは人によるんじゃないかな。そういえばアルガスの人って、みんな紺色の制服着てるんだよね?」


 アルガスの制服が紺だというのは桃也も知っている。この間のテレビに映り込んでいた人たちも、みんな同じ色の服を着ていた。

 しかし母は「ううん」と軽く否定する。


「上下とも黒のジャージだったわよ?」

「ちょっと。それってホントにアルガスの人なの?」


 不審がる芙美に、母はエプロンのポケットから取り出した名刺を自慢気に二人へ向けた。

 確かにアルガスの印とそれらしきことが書いてある。その男は『佐藤雅敏まさとし』という名前で、肩書は『管理指導員』だ。


「本物っぽいけど……当日は私も行こうか?」

「そんなことしたら過保護だと思われちゃうわよ。大丈夫、その日はお父さんが行ってくれるって言ってたから」

「え、マジで?」


 急な話だったが、それは桃也にとって嬉しい提案だった。アルガスに行く不安よりも父と出掛ける楽しみに気持ちが弾んでしまう。


「それとね。佐藤さんが桃也に、あんまり興奮するなって言ってたわ。何か良くないんですって」

「良くない?」

「うん、何だったかしら。けど本当よ、気を付けてね」


 やっぱり自分も行きたかったと後悔して、桃也は「分かったよ」と返事した。

 アルガスの佐藤という男に会って、自分はどうなるのだろうか。

 キーダーとして命がけのヒーローになるか、トールになって今までの生活を続けるか。きっとこの家の誰もがトールを望むだろう。


 けれど、それでいいのか?


 答えを出すのはなかなか難しいことだなと桃也は思った。



   ☆

 その夜、桃也は父と二人で話をした。

 キーダーの話を切り出せずにいると、父が「どうしたいんだ?」と穏やかに目尻を下げる。


「キーダーになってもいいと思う?」

「桃也がそうしたいと思うなら、チャレンジすべきだと思うよ」

「本当?」

「あぁ。キーダーなんてなりたくてなれるもんじゃない。やりたいと思った時に、その力が自分に備わっているなんて凄いことじゃないか。誰かを守れるなんてカッコイイだろ?」


 父は氷を入れたグラスに琥珀色のウイスキーを注いだ。


「まぁ母さんたちは反対するだろうけどな。心配する気持ちは分かるし、実際危険な仕事だとは思う。けどそれをしないから百歳まで生きれる保証だってないだろ? 人の寿命なんてのは運命だからな」


 父は寡黙かもくな人だ。だからそう言って背中を押してくれるなんて思ってもみなかった。


「お父さん……」

「駄目だと言って、お前が交通事故にでも遭ってみろ。それこそ報われないだろ?」

「そりゃ最悪だな」

「けどそういう事だ。桃也、これだけは覚えておきなさい。キーダーは誰かを守るヒーローじゃなくて、誰もを守るヒーローなんだ。日本の盾って言うだろう? 私情を捨てて任務をこなせるか?」

「そう言われると、ピンとこないっつうか」

「きちんと考えて、ゆっくり答えを出せばいいよ。それより、お父さんにもお前の力を見せてくれないか?」


 桃也は「うん」と答えて、飲んでいたコーラをテーブルに置いた。

 緊張しながら辺りを見回して、カウンターに積まれたミカンへと集中する。


「行くよ」


 意思を込めると、一番上に乗ったミカンがフワリと浮き上がった。

 「おぉ」と歓声を上げる父へ向けてそれを誘導していく。ミカンはゆっくりと宙を伝い、父が広げたてのひらの中へと吸い付くように落ちた。


「凄いな桃也。頑張れよ」


 その時見た父の笑顔は、後の桃也の心にずっと残ることになる。

 大晦日の赤い夜が訪れたのは、それから数日後のことだ。


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