37 望まぬ消失

桃也とうやの両親と姉は、その強盗に殺られたんだ」


 マサが告げた真実は、京子の想像を遥かに超えるものだった。

 重い沈黙が、廊下に響いた足音に弾ける。


「アイツは見ちまったんだよ。帰宅した時、鉢合はちあわせしたらしい。刺された家族を前に犯人の狙いが自分へ移った時、不安定だった桃也の力が解放された――バスクが起こす力の暴走ってヤツだな。それが『大晦日の白雪おおみそかのしらゆき』だ」

「あそこで亡くなった人は四人だったよね? 桃也の家族が三人なら、その強盗が四人目ってこと?」

「そうだ。そいつだけ『力』で死んでる」

「能力死ってこと?」

「そうだ」


 キーダーやバスクの力によって死ぬことを、『能力死』と呼んだ。

 自分の家族が血だらけで絶命する現場など想像の域を超えている。京子も母親を病気で亡くしているが、それとは全く別だ。


「そんなの、辛すぎるよ」

「俺が駆けつけた時、アイツは倒れた家族の近くで呆然としてた。俺にはもう気配を読み取る力なんてなかったが、現場の位置を聞いた時すぐにアイツだって予想ができたし、本人も認めた。ただ、桃也は両親を殺された事より犯人をっちまった事に酷くおびえてな。状況から考えても、全部正直に報告すればそれなりに考慮してもらえたんだろうが……」


 マサは悲痛に歪めた顔にてのひらを押し当てた。


「俺に、魔が差しちまったんだ。アイツの母親が望んだように、力を縛ってトールにしてやるのが最善だと思うだろ? けど、そんな状況でだぞ? 俺は嫉妬しっとしたんだ。選べって言ったんだよ、アイツに。もちろんトールを選ぶと思ってた。それなのにアイツは嫌だって言ったんだ。考えてから答えを出すってな」

「答え? トールになるか、ってこと? まさかキーダーに……」

「返事はまだ貰ってないけどな。とりあえず俺は久志ひさしにあの指輪を持って来させた」


 久志はマサの同期四人組の一人で、キーダーでありながら技術員でもある北陸支部の男だ。


「バスクの力は不安定だが、生まれた時から銀環ぎんかん抑制よくせいされていない分、力も強くて飲み込みも早い。覚醒が早かったのもそのせいだろう。銀環なんてなくても、あんな指輪一つで気配を抑えることくらい容易いんだよ。お前も桃也とベタベタしてたくせに気付かなかったんだろ?」


 突然振られて声を詰まらせる京子に、マサは「そういうことだ」と笑う。


「お前に話してやれなかったことは、すまなかった。アイツの力は勿体無もったいねぇけど、無理強むりじいしようとは思わない。一番辛いのはアイツなんだ、出した答えは受け入れるつもりだし、望むなら今のままでもいいと思ってる」


 テーブルに押し付けるように頭を下げるマサに、京子は困惑する。

 バスクを続けることはできないと平野にも説いてきたばかりだ。たとえ指輪がその役割を果たすと言っても、銀環で結ばれない力は不安定だろう。


「今のままバスクでいるなんて良くないよ。それに、やっぱり桃也はトールになったほうがいいと思う」


 毎日の訓練とバスクとの関りは、桃也にとって過去を彷彿ほうふつとさせるものが多いだろう。


「アイツはどうしたいって思ってるんだろうな」

「マサさんはどう思うの? 桃也の過去を隠そうとしたんでしょ? どうして報告書を紙に残したりしたの? それがなければ隠し通せたと思うのに」


 全てをほうむる事を貫けば、こうして明るみに出ることもなかった筈だ。それをえて紙として残すリスクは大きい。


「提出分は偽造した。けど俺が忘れないうちに書き留めておこうと思ってな、部屋にあったのは備忘録みたいなもんだ。真実は消しちゃいけねぇんだよ」

「バレたらマサさんが処分されちゃう。結局、自分が罪を被る気だったの?」

「悪人になりきれないってな、性分しょうぶんなんだよ。まぁ俺がどう隠そうとしたって、そんなの長続きはしねぇんだ。爺さんだって恐らく気付いてるぜ。あんな指輪ごときで、あの人の目を騙し通せてるとは思えねぇ」

「爺が……? 結局、私だけが知らなかったんだね」


 何も知らずに、一人で勝手に悩んでいた自分が恥ずかしくてたまらない。


「でも、事件の後最初に桃也に会ったのが私だったら、同じ事をしてた気がする」

「そうか? お前ならハッキリ真実を言って、上の意見をくつがえしてたんじゃないのか? 俺は弱くて駄目だ。お前にだって嫉妬してるんだぞ?」


 マサを責めるのが一番楽なことだろうか。けれど、そんなことをする気にはなれなかった。


「……マサさんは本当に力を失っちゃったの?」


 アルガスに入ってから、ずっと聞けなかった事だ。能力者の力は不安定なものの、出生検査での検出率は百%らしい。覚醒後の喪失など他に例がないという。


 マサは苦笑して、広げた掌に顔を落とした。


「野暮な事聞くなよ。傷つくだろ? もう何も感じねぇし、何も出ねぇよ」

「ごめんなさい」

「いいや。こんな身体になってもここに残ることを選んだのは俺だからな。桃也の事、長官は黙ってくれてるけど、いよいよ他の上官等にも納得してもらう時が来たのかもしれねぇな」

「長官は……知ってるんだ」

「あの人には嘘付けねぇよ。改ざんした事実が広まることを容認してもらってる。幾らお前が長官を嫌いだって言っても、その辺はわきまえろよ?」

「う、うん……」


 桃也がバスクで大晦日の白雪を起こした張本人だという事は、上からすれば大したことのない事実なのだろうか。

 いつも見ている長官の胸像を思い出して、京子はしかめ面をする。


「私は……桃也と話がしたい」


 よくよく考えると、一年半も一緒に居るのに彼のことをあまり良く知らなかった。

 抱き枕うさぎをソファに戻し、コートを手に扉を開けると、マサが京子を呼び止める。


「お前が仙台に行ってる間に、桃也がうちに来たぞ」


 そういえば公園で二人が再会した時、桃也がマサにそんなことを言っていた。


「お前に全部話すんだ、って決意表明だ。先にバレちまったけどな」


 京子は「いいよ」と首を振る。


「なぁ、お前はまだ桃也のことが好きか?」

「好きだよ!」


 固く頷く京子に、マサは「そうか」と微笑ほほえんだ。



   ☆

 寒い夜を駆け抜けて、京子は電車で二駅向こうの自宅へ戻る。

 すぐに桃也に会いたかった。上階で停まっていたエレベーターを待ちきれず、五階までの階段を駆け上がる。

 けれど、玄関のドアを開けると中は暗くひんやりとしていた。

 照明を点けて彼を呼ぶが返事はなく、リビングのテーブルに一枚のメモが残されていた。


『数日で戻るから、心配するなよ』


 右上がりの見慣れた癖字くせじだ。京子はメモを握り締め、衝動のまま再び外へ飛び出す。


 当てはない。

 駅を横目に近くの堤防まで走ると、開けた空にぽっかりと丸い月が浮かび、一面を青白く照らしていた。

 誰も居ない静かな夜の風景に彼が居ないことは分かっている。ただ、家を出て一人になりたかった。


「桃也ぁあ!」


 感情を吐き出すように。京子は吠えるように彼の名前を叫んだ。


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