25 一杯のカクテル

 アーケードを国分町こくぶんちょうの方角へ抜け、歓楽街をしばらく歩いた所で地図通りの狭い路地へ入る。

 町は夜の華やかさに包まれていたが、メインストリートを離れた途端ひっそりとした夜の空気が広がった。


「高校生の来る所じゃないね」

「仕事ですから。京子さんも──」

「わかってるよ。仕事とプライベートは別でしょ?」


 個人店が建ち並ぶ袋小路の、手前から四軒目が彼の店だ。

 京子は綾斗あやとの言葉をさえぎって、店のドアノブに手を掛ける。

 小料理屋の多い並びに黒い鉄の扉は異色に見えたが、まだ九時前だというのに中には何組かの客がいた。暗めのライトが光る中、静かにジャズが流れている。


 「いらっしゃいませ」と、よく通る男の声が二人を迎えた。

 奥のカウンターに立つマスターの彼が、一人で店をやっているようだ。

 男の顔を確認し、京子は綾斗の背中をそっと叩く。


 「どうぞ」とカウンター席を勧められ、二人は軽く頭を下げて外套がいとうを脱ぎ、腰を下ろした。


「物騒な格好で来たもんだな」


 グラスを磨きながらぼそりと呟いた男に、京子は「すみません」と顔を起こす。

 写真でも確認しているが、ひょろりと痩せた男だった。こけたほおが顔全体に刻まれた皺と相俟あいまって実年齢に深みを与えている。


 男は気配を消しているようで、京子にはすぐに彼がバスクであるかを読み取ることができなかった。

 ただ綾斗が「合ってますよ」と、さり気なく耳打ちしてくる。彼の嗅ぐ能力は本人が自負する通り強いようだ。


「平野芳高よしたかさんですね。私たちが来ることは想定されていたんですか?」

「お前ら俺をどうしようってんだ。他の客もいるんだ、帰ってくれると有り難いね」

「明日、お店が始まる前に会う約束をしていただけるなら帰ります」

「笑わせるなよ。それより、ガキが来る場所じゃねぇぞ」


 じろりと睨む平野に、綾斗は少し不機嫌な表情を見せて「仕事です」と短く返した。

 客から注文が入り、平野は豪快にシェイカーを振る。


「お客さんたちも注文お願いします。こっちは商売なんで、タダで座らせとく席はねぇんですよ」


 言っている側からも別の客が来店してくる。大分繁盛しているらしい。


 「じゃあ……」と京子は側に置いてあったメニュー表を広げて、グラスに注がれる藍色のカクテルに目を輝かせた。


「京子さん!」


 けれど横から飛んで来る声に、京子は「ウーロン茶で」と肩を落とす。

 綾斗は「僕は牛乳で」とマニュアル通りだ。


「ガキには言わねぇが、アンタは飲めるだろ。ウチは茶店さてんじゃねぇんですがね」


 あからさまに不愉快な顔をする平野に「どうする?」と京子が綾斗の顔色をうかがった。

 綾斗は相変わらずの仏頂面ぶっちょうづらで「仕事ですよ」と念を押す。


「一杯だけですからね、約束ですよ」

「やった、ありがとう」


 半ば諦めたように「一杯」を強調する綾斗は、昨夜の悪夢を垣間見る。


「けど、何がいいかな? バーってあんまり来たことないから詳しくないんだよ」

「俺だってカクテルの事なんて知りませんよ? 色々ありますけど、美味しいんですか?」

「どうだろう、やっぱり好みはあるし……あの、お任せで作ってもらってもいいですか?」


 メニューを握り締めて選択を平野にゆだねると、


「構わねぇよ」


 彼はそっけなく返事して、ジロリと京子を見た。


「アンタ、本当にアルガスから来たのか?」

「疑ってるんですか?」

「いや、言い方が悪かったな。キーダーってのはもっと真面目でお堅い奴だと思ってたのさ」


 「真面目ですよ」とムキになって、京子は胸ポケットから取り出したカード型の証明書を見せる。

 十年ごとの更新のせいで、六年前に撮られた高校一年生の京子が写っている。


 まだ幼さの残る写真と実物を何度も見比べて、平野は「わかったよ」とコンロの火を止めた。先に綾斗の前に温められたミルクとチョコレートの入った皿を出し、別のシェイカーを準備する。


 彼が京子にと作ったのは、カクテルグラスに入った淡い赤色のお酒だ。女子らしい華のある雰囲気に、京子は「きれい」と笑顔を広げる。

 何か言いたげな綾斗を横目に、京子は一口でグラスの半分を空けた。


「京子さん、これってそんなに急いで飲むものなんですか?」

「決まりなんてないでしょ?」


 あせる綾斗に京子はにっこりと笑い掛け、グラスをカウンターの奥へずらす。

 強めのアルコールが頬を熱くさせるが、まだまだ頭はハッキリしている。ここからが本番だ。


「で、俺をどうするんだ」


 平野が先に声を掛けて来た。


「その前に。平野さん、貴方が先週交差点で小学生の女の子を助けたのは事実ですか?」

「別に俺は責められるような事をした覚えはねぇからな」

「分かっています。イエスかノーでお願いします」

「イエスだな。その様子だと、この間の山のことも足が付いているのか」


 あっさりと平野は事実を認める。


「山梨の山中で能力解放の痕跡こんせきが見つかった件、これも貴方で間違いないですね」


 バスクが力試しに人気のない場所を選んで力を解放する事は、珍しい事ではない。銀環付きの綾斗ですら、アルガス入官前に能登に行くきっかけとなった事件を起こしている。


「イエス。商店街の福引で富士御来光ツアーが当たってな。あれは感動して涙が出たぜ」


 「あれは良かった」と繰り返す平野に、京子と綾斗は顔を見合わせ短くうなずいた。


「アルガスの事はご存知ですか?」

「詳しくは知らねぇな」

「何らかの理由で出生検査を逃れた、銀環をしないままの能力者を我々はバスクと呼びます。今の貴方がそうです。貴方には選択する権利がある」


 産院毎の検査で陽性が出れば国へと報告され、キーダーがやって来る。けれど、まれにその流れから外れてしまう人間がいるのだ。


「選択する権利ねぇ」

「一つはキーダーとなって私たちと共に訓練し、国のために生きる事です。もう一つはキーダーを選ばずにトールになること。この国の規則では、理由なく個人で力を所有することはできません。アルガスに入らない選択をするなら、力を消して頂く必要があります」

「力を残したいならキーダーになって働けってことか。それが嫌なら消されちまうんだな。そんなのどっちもノーとしか言いたくないね」


 はっきりと口にして、平野は京子を睨んだ。

 京子も負けじと目に力を込めるが、視界がフワリと揺れて意識を必死に留める。


「力を悪用しようなんて思ってねぇし。今のままここに居させてくれねぇか」

「それはできません。我々はバスクを野放しにはできない」

「俺の力は役に立っただろう? 俺が居なかったら、あの子供は確実に死んでたぜ」

「それでも、私たちキーダーには貴方を取り締まる義務があるんです。力は銀環がないと制御しきれなくなる恐れがあります。だから!」


 興奮する京子の腕を綾斗が掴む。


「京子さん、落ち着いて下さい」


 店内の視線が集まるのを感じ、京子は言葉を飲み込んだ。奥歯を強く噛んで衝動を抑える。

 カクテルを運んで戻ってきた平野に、綾斗が説明した。


「貴方はもう六十歳を超えています。選択する権利はありますが、キーダーの訓練や仕事はかなり体力を消耗しますよ」

「俺に凡人になれっていうのか」

「誘導しているわけではありません。けど、」

「うるせぇ! もう帰れ」


 したたかに、低く怒鳴る平野に、綾斗は開きかけた唇を強く結んだ。


「……また来ます。失礼しました」


 残りのカクテルを一気に流し込み、京子は支払いをカウンターに乗せて立ち上がる。


「客として来るなら歓迎するが、その格好はやめてくれよ。他の客がビビっちまってる」


 返事はせず、京子は深く頭を下げ外套を抱えて店を出た。

 気丈に振舞う京子だが、店の扉が閉まると途端に表情が緩む。


「駄目だ綾斗……やっぱり私、酔っ払っちゃった」


 「ええっ?」と目を見開いた綾斗に、京子は「ごめん」と手を合わせる。


「でも一人で歩けるよ。仕事もまぁ上手くいったほうじゃない?」

「あれでですか?」


 仕事が片付くことはなかったが、失敗したわけではない。


「わかりました。ホテルまで歩いてくれれば構いませんよ」


 綾斗は外套を羽織り、フラリと揺れる京子の腕を掴んだ。



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