13 初恋の王子様

 朝起きたら、涙が出ていた。

 これで何度目だろう、また夢に彼が出てきた。

 とうの昔に諦めた事なのに、夢の中の彼が何度も笑いかけて来て、忘れ掛けた想いが引き戻される。


 いつも同じシチュエーションは、何かの暗示なのだろうか。

 小学五年の時に行った林間学校──これはまぎれもなく自分の記憶だった。


 オリエンテーションで迷子になって、泣き出してしまった自分を探しに来てくれたのが彼だ。別に友達だった訳でもなく、それまで好きだと思ったこともない。

 ただ頭が良く運動神経も抜群ばつぐんの彼は、クラスの女子に人気があった。性格も温厚で、きっと迷子になったのが別の人でも、彼は同じ様に助けに行っただろう。


『見つけた』


 き分けた草の間に現れた彼のホッとした笑顔に、京子は更に声を上げて泣いてしまう。

 困り顔一つせず「帰ろう」と手を差し伸べてくれた彼。

 きっかけなんて他愛ない。自分はその手に恋をした。


彰人あきひとくんは……』


 繋いだ手の温もりに思わず何かを口にしたが、その言葉を思い出せないまま毎回そこで目が覚める。


 夢に見る記憶は、そんな切り取られたようなワンシーンだ。

 迷子になって彷徨さまようシーンに始まり、手を繋ぐところまで。

 自分が恋をする瞬間から目覚めるたびに、罪悪感を覚える。


 かたわらで眠る桃也とうやの寝顔に涙を拭うと、彼のまぶたが開いて目が合った。


「どうした? また王子の夢でも見たのか?」


 桃也の手がベッドサイドのライトに伸びる。まだ薄暗い部屋に照らし出された彼は、あきれ顔から笑顔をにじませた。いつもの桃也だ。

 彼とまだ付き合っていない頃、そんな夢の話をしたことがあった。


「王子じゃないよ。……けど、ごめん」

「謝るなよ。気にするなって言っただろ?」


 桃也はあくびを零しながらゆっくりと身体を起こし、京子の頭をそっとでた。


「他の男の夢見たくらいで、俺が怒るわけねぇだろ」


 「うん」とうなずくと、ふと自分の左手に違和感を感じた。

 薬指に見覚えの無い指輪がはめられている。小さな石の付いた、女の子らしい華奢きゃしゃなものだ。


「これって……」

「お前いつも俺の指見てうらめしそうにしてるだろ。けど、これは外せねぇから」

「――ごめん」

「いいよ。誕生日なんだから、もっと笑ってろ」


 京子は引き寄せられた胸に乾きかけた涙を押し付け、「ありがとう」と彼を抱きしめた。



   ☆

 公園での爆発騒ぎの翌日、アルガス三階の報告室から出てきた京子を綾斗あやとが迎えた。


「お疲れ様です、京子さん」

「待っててくれたの?」

「今来た所ですよ。大分長かったですね」

「オジサンさんたち、余計な事まで根掘ねほ葉掘はほり聞いてくるんだもん」


 疲労困憊こんぱいで、京子は廊下に並んだソファにくずれた。

 朝九時前にアルガスに着いた途端連行され、そこからずっと報告室に入っていた。時計はすでに十一時半を過ぎている。


 上層部の男三人を相手に一人で受け答えする形式から、『法廷』や『取調室』といった異名を持つこの場所は、京子にとってこの上なく苦手な場所だ。


 綾斗は報告室から出てきた彼等に会釈えしゃくし、京子の横に腰を下ろす。


「足は平気なんですか? 朝病院に行ったってセナさんに聞きましたよ」

「そう。アルガス御用達の整形外科があって、連れてって貰ったの」


 グルグル巻きにされた包帯の上に履いた靴下が、こんもりと膨れている。


「まだ痛いけど、どうにか歩けるよ。本当はタクシーで行くつもりだったのに、朝ご飯食べてたら突然セナさんが家に来て大変だったんだから」


 通勤時間真っ只中の七時台に、自慢の真っ赤なスポーツカーをマンションの入口に横付けしたセナは、道行く人の大注目を浴びていた。


「桃也くんに久しぶりに会った、って喜んでました」

「そんなことまで言ってたの……」


 「はあっ」と京子は溜息をつく。予測はしていたが、相変わらずのおしゃべり好きだ。


「知り合いだったんですね」

「そう。昔マサさんのアパートに桃也が住んでた時があって、たまにごはん作りに行ってたんだって」

「何だか成長を喜ぶ親みたいでしたよ。報告室では桃也さんのこと聞かれたんですか?」

「聞かれたよ、あの眉毛に! 誰と何でそこに居たんだ、とか。やんなっちゃう」


 報告室の三人は、京子の中で『ヒゲ』『眉毛』『メガネ』とあだ名が付けられている。事あるごとに呼ばれるせいで、顔を思い出しただけで気が滅入めいった。


「それで、答えたんですか?」

「まさか。詳しく言う義理なんてないし。恋人とご飯食べて、海見てたって言っただけ」

「災難でしたね。けど、京子さんの怪我がその程度で俺ホッとしました。他に巻き込まれた人もいなかったし。京子さんがいなかったら、もっと大惨事になってたと思います」


 フォローする綾斗の言葉に、京子はゆっくりと顔を起こす。


「違うよ、綾斗」


 昨日飛んできた光の熱の感覚を、はっきりと覚えている。


「いなかったら、じゃない。多分、いたから起きたんだよ」

「……京子さんが狙われたってことですか?」


 「うん」とうなずいて視線を落とす。桃也にもらった指輪が天井の明かりを受けて白く光り、その横で銀環も負けじとその存在を主張していた。


「綺麗な指輪ですね」


 綾斗は立ち上がり、京子の前に手を差し出した。

 彼の手首にもまた、銀環が光る。


「歩けますか? 大舎卿だいしゃきょうが戻っていますよ」


 京子は「ありがとう」とその手をつかんだ。






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