12 相手は誰……?

 静かな正月の夜を襲った衝撃に、人々が駅を目指して走り出す。

 騒然そうぜんとした空気が引くまで、そう時間は掛からなかった。


 京子はまだ熱の残る鉄さくにしがみ付く。体勢を立て直そうと試みるも、右足に走る痛みにそのまま地面へくずれた。


「待ってろ」


 桃也とうやがそう言い置いて、光の現れた方へと走る。辺りを一回りして戻ってくるが、厳しい表情を貼りつけたままだ。


「もう誰も居ないみたいだ」

「何なのこれ。バスクの仕業しわざ?」


 出生時の検査を逃れた、銀環ぎんかんを付けない能力者を『バスク』と呼ぶ。一昨日おととい山で見た跡と同じだ。

 差し出された桃也の手を握り、京子は右足を庇いながら立ち上がった。


くじいちゃったかな……折れてはいないと思うけど」

「歩けるか? 無理するなよ」


 京子は桃也の腕を掴んで、辺りを見張る。

 敵らしき気配は感じられない。さっきの衝撃も、最初はほんの僅かな熱を感じただけだ。

 あまりにも短い出来事で、何が起きたのか自分でも良く分からなかった。


 ただ、京子の身体を受け止めた鉄柵のゆがみが『現実だ』と物語る。

 光が飛んでくる事に気付いて咄嗟とっさに受け身を取ったが、全てを吸収することはできなかった。丸腰だったらそのまま柵を突き破って海へ放り出されていただろう。


 「ここにいて」と桃也を残し、今度は京子が光の現れた方へと歩く。

 増していく足の痛みを堪えて、腰の趙馬刀ちょうばとうを抜いた。オフの時も肌身離さず持っているが、まさかこんな日に初めて実戦で使うことになろうとは思わなかった。


 静かになった公園に、今度は一人二人と野次馬たちが集まり出す。

 なるべくなら人目のない所で戦いたかった。


「誰なの……?」


 京子はつかだけを構えて暗闇へささやく。刃はすぐに出すことができる。


 今回の敵がキーダーでないとは言い切れないが、やはりバスクだと考えるのが妥当だとうだろう。確実なのは、相手も同じ能力者だということだ。


 焦燥しょうそうに駆られる京子の手を、追ってきた桃也がつかまえる。


「落ち着け。もう誰もいねぇだろ?」


 光の現れた方を何度確かめても、敵の気配を感じ取る事はできなかった。


「そう、だね。逃げられちゃったかな」


 相手をらえなければと思うのに、すでに居ない事を安堵してしまう。

 遠くにパトカーのサイレンが鳴って、桃也が京子に向けた背中を低く落とした。


「乗れ。その足じゃ辛いだろ。身体だって痛いんじゃねぇのか?」


 野次馬たちの目を気にして京子は「でも」と渋るが、


「悪化させたら、仕事に支障が出るんじゃねぇのか?」


 半ば強引に背負われ、京子は桃也の背中に顔をうずめた。

 ゆっくりと歩きながら、桃也が溜息をつく。


「お前の仕事を理解してない訳じゃないけどさ、自分のことは大事にしろよ? 京子が強いんだってことはちゃんと分かってるから」

「それって、私が怖いってこと?」


 つい綾斗に言われた言葉を思い出してしまう。


「そうじゃねぇよ。いいか、もし死ぬか生きるかの瀬戸際せとぎわに追い込まれても、命を放棄ほうきするんじゃねぇぞ」

「どうしたのいきなり。でも、心配してくれるんだ」

「当たり前だ。真面目に言ってるんだからな」


 桃也はピシリと声を強める。京子は桃也の肩に乗せた手を、そっと彼の首へ伸ばした。


「ありがとう、桃也」

「お前は色々背負いすぎなんだよ」


 素直に嬉しいと思って、京子は緩んだほおを桃也の背中に押し付けた。


「キーダーの力は、使い方さえ誤らなければ大切な人を守れるものだもん。それを示していくのがキーダーの仕事だと思ってるよ」


 未だに監獄かんごく時代の過去を重ねて、キーダーを避けている人間がいるのも事実だ。


「キーダーとして生きるか、この力を捨てるかは人それぞれだけど、自分にしかできないことがあるなら、私はそれを最後まで全力でやり遂げたいの」

「何回も聞いてる。それが京子の信念だもんな。凄いって思うよ」

「だって、できないことも多いもん。料理とか、片付けとか……だから、やれることはしたいの」

「納得。俺もいつか京子みたいに、俺にしかできないことをする男になりてぇよ」


 軽快に笑って、桃也はそんな未来への夢を語った。


「うん、頑張って。その時は応援するから」

「サンキュ」


 京子が彼の背中で心地良い揺れに身を任せていたのもつかの間、次第に空が騒がしくなった。

 コージのヘリが近付いてくる。機体の数字は確認できていないが、胴体の下に五番機のトレードマークである紫色のライトが光っていた。


 ヘリコプターは上空で止まり、寒空に弱めのサーチライトを落として胴体の腹からロープを垂らす。二つの影がするするとロープを伝って地面に下り、京子の元に駆け寄ってきた。


「ごめん、下ろして」


 辺りに湧き上がる歓声に、慌てて京子は桃也の背を離れた。よろめく身体を支えられ、彼の腕を握り締める。


「京子さん! 無事ですか!」


 バタバタと先に来た綾斗が、桃也に気付いて会釈えしゃくした。


「警察への通報がこっちにも来て、コージさんに飛ばしてもらったんです」


 綾斗はアルガス本部の敷地に建てられた宿舎に住んでいた。慌てていたのか、いつもきっちり結ばれている制服のタイが外れている。

 上空にいたコージのヘリは、既にアルガスの方向へと小さくなっていた。


「あんまり無事じゃないけど、平気だよ。他に被害はないと思う」

「そうですか。一体何があったんですか?」

「何……って。それが、突然光が現れてこうなったんだよ。相手も確認できなかった」

「バスクなんですか?」

「……多分」


 視線を落とすようにうなずいた京子に、綾斗は目を細める。


「無事か、京子」


 綾斗の後を追って現れたのはマサだ。いつものジャージ姿に、紺の外套がいとうを羽織っている。そこに桜の模様はなかった。


「私はどうにか。でも、相手を捕らえられなかった。ごめんなさい」

「無事ならいいさ、気にするな」


 マサは京子の無事を確認し、かたわらの桃也に視線を止めた。


「……桃也か?」

「久しぶりだな、マサ」

「何でお前ら……って、まさか。年下の男と同棲してるのは聞いてたけど」


 ぶっきらぼうに挨拶する桃也に、マサは驚きを通り越して困惑の色を見せた。

 隠していたことが、こんな時に明るみになってしまった事を京子は後悔する。

 『大晦日の白雪』から数年間マサは桃也と暮らしていたが、同居解消後の交流はなかったらしい。

 息を呑むマサに、桃也は改まった表情で浅く頭を下げた。


「今度、部屋に行ってもいいか?」


 マサは「おぅ」と短く答えて、綾斗を現場へとうながした。



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