第6話 空の向こうへ
眠っている妻と娘の顔を見て、物理学者はそっと戸を閉じ、ゆっくりと家を出た。
「…さよなら。」
目を覚ました妻は、夫の姿がないことに気がつく。
「…!行った…のか。信じて、いないと。…でも…。」
そう言いながらも、堪えきれず涙が溢れる。置いて行かれてしまった。一人で行くなんて、どうしてそのようなことを考えたのだろう。娘もいるのに。まだ何もわかっていないのに。昔、本を読んで教えてくれたじゃない、自分の夢を。ロケットのことを教えてくれる前に行ってしまうの?書くって約束、したじゃない。
次から次へと溢れ出してくる悔しさと虚しさは、彼女にはどうにもできなかった。
娘だけが、幸せそうに眠っている。
娘の横で座り込んだ作家の元に、メッセージが届いた。
彼女は慌ててそれを開いた。
「ごめんね。これを言ったら、君は死ぬ気で僕を引き留めると思って、ずっと言えなかった。言うべきだと、思っていたけど。君の悲しむ顔を見たくなかったんだ。馬鹿だよね。君がこれを見れば、悲しむのはわかっているのに。ずるい夫でごめん。」
とん、と妻は画面をスクロールする。次のメッセージが現れた。
「僕は、一人でロケットに乗る。それごと巨大隕石にぶつかって、地球を守る。いわば特攻隊だね。一人だけの。」
妻はメッセージを打とうとした。しかし、また新たなメッセージが現れる。
「君はきっと止めるだろう。でも、僕は行かなくては。自分の研究は、自分で完結させないと。」
妻の手が止まった。研究者ー、夫の意思を、感じ取ったのだ。
「今までありがとう。こんな僕を支えてくれて、いくつもの大切なことを教えてくれて。いつか君は言ったよね、原理とか物語とかだけじゃなくて、それを見つけ出した人こそ価値があるって。わがままだけど、今ならその意味が分かるよ。…もし今もそう思ってくれているなら、僕たちの物語を描いてくれないか。これが最後のお願いだから。」
作家ー、妻は、息を吸って、ゆっくりとメッセージを打った。
「もちろん。」
たった五文字のメッセージに、既読がついた。
「ありがとう。さようなら。」
すぐに帰ってきた返信に、返す。
「物語の中で、また会いましょう。」
既読がついてー、それから、もう、返事は来なかった。
窓の外に、桜の蕾が膨らんでいた。
妻は、目に一杯の涙を溜めて、ゆっくりと立ち上がった。
それから、娘と自分の朝食を作り始めた。
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