第8話 エロチカ part4




 ――――決断は早かった。

 先の笛の音が子どもを操る者だと知ったレイは、このまま誰かを待っていたり、呼びに行ったりしていれば、ピエロに逃げられてしまうと判断した。


 そこで少年は自身で決着をつけると決めた。こっそり落ちていたレンガを拾って、それを服の裏に隠し、ピエロに接近、油断した隙に奴の脳天にそのレンガを落とそうと考えた。


 ――――ただ、その瞬間は簡単にはやってこなかった。

 レイには【カッコウ】なるものが存在せず、それがピエロの注目を買ってしまう要因となってしまった。


 しかもそうしたイレギュラーなポイントではなく、外見もまた、運命的にもピエロの心を掴んでしまった為に、簡単に隠し持っているレンガで頭に一撃叩き込めなくなってしまった。


「かわいいねェ! ボクチャンッ! 名前は、なぁあにぃい?」


 ピエロはレイと視線が合う高さまで屈んだ。

 ピエロの興奮した荒い呼吸が、レイの顔に当たる。生理的な所から恐怖感を抱いた彼だったが、勇気を振り絞って、このピエロの問いに答えた。


 あくまでも、少年は操られている体でいなくてはいけない。


「レイ! レイです!」

「へえぇぇぇ……、レイ。……レイっていうんだあステキ! じゃあ、下の名前は?」

「えっ」

「下の名前! なんてゆうのォ?」


 少年にとって、答えのない質問が飛んできた。


 レイという名前も、まださっき渡されたばかりで、名乗る上でも抵抗感があった。それでも、ピエロを怪しませてはならないという思いから彼は「レイ」という仮の名を名乗った。


 だが、今度は答えの存在しない問題――――。

 苗字。


 一般的に考えれば、当たり前に持ち合わせている答えだが、彼にはそれがない。


 頭の中で「どうすればいい!?」という風に考えを張り巡らせて言ったが、そう黙っているうちにも時間は過ぎ、ピエロの顔もだんだんと近づいてくる。


 レイの縮んだ心に焦りが増していくが、閃いたかのように、ユナが無名の少年に「レイ」と命名した理由を思い出した。


『よし、君はよく頭をペコペコ下げるから、「礼」! 「レイ」と呼ぼう!』


 繰り返される礼による命名。

 彼は礼を繰り返すことにした。


「アンドレイ! 『レイ・アンドレイ』です!」


 それが、彼の編みだした名前だった。


 レイはこの国の苗字の事情を全く分かっていない。


 もしかしたら無茶な姓だったかもしれない。だが本来自分は今ピエロに操られている状態。訂正であったり、言い訳であったりをするのはむしろ怪しまれる。


 ピエロの接近が止み、見つめあう時間が続く。

 視線を逸らしたい。顔を逸らしたいという気持ちを抑え、ピエロとのにらめっこを続ける。


 するとピエロは頭を上げた。体を上げたことによって、ピエロの影に少年が入り、雨粒は一滴もかからなくなった。


「へえ! これまた素敵な名前だねえ! よろしくね! レイくん!」

(散々ビビらせておいて呼ばないのかよ!)


 一つ演技を済ませたレイは山を乗り越えたと胸を撫でおろした。そして自分が緊張を覚えていたのが間抜けだと感じるほどに、ピエロは無警戒で、簡単に少年に背中を見せてくれた。


「それじゃあ行こう! みんなの『ユートピア』へッ!」


 ハットを取ると、そこからアフロに突き刺さった銀のバトンが出てきた。これを「おぉんッ」と引っこ抜き、ピエロは天高く上げた。


「雨はじき止むからね! でも風邪ひくといけないから、『ユートピア』に帰ったら、すぐに暖かぁいお風呂に、一緒に、ぎゅうぎゅうになって入ろう。うっ、うっ、うっ、エヒャヘヘハハハハハハハハハハハッ! ヒィイ――――ッッ! えへひひぐへへへへへッ」


 ピエロが笑うと、持っていたバトンと腰が震え始めた。

 変態(異世界式規制単語)をし始めたのだ。


 ――――後ろにいたレイは、レンガでいつやるか、と様子を伺っていたが、狂気的なピエロを前に改めて恐怖した。


 そんな中、ピエロは取り出したそのバトンを上空へ放り投げた。くるりと一回転した後、これが木の葉の雨に変わった。


 葉っぱの雨を受けながら、ピエロは高笑いを続けた。よほどの絶頂に到達しているのか、腰を振る速度も加速していき、ヨダレが滝のようにあふれ出していた。


(こんな変態を一発ぶん殴ったところでバチは当たらないだろう…………!)


 レイは隠し持っていたレンガを出した。


 その間に、ピエロは落ちてきた葉っぱたちのうちの一枚を掴んで、これを口元に運ぼうとしていた。さっきの少年少女たちを操った怪奇な曲を奏でるつもりなのだろう。


 レイは予測した。やるなら今しかない。


 ――――少年は音もなく飛んだ。


 これ以上好き勝手にはさせない! という強い使命感からなのか、繰り出そうとする一撃に迷いはなかった。


(これでも食らえ変態ピエロッ!)



 ――――殴る瞬間だった。突然今の今まで変態絶頂を迎えていたピエロだったが、腰が止まり、高笑いも止まり、漂わせていた狂気性も一瞬で潮が引いた。



「――――ぼくはねぇ、そういうのはあまり好きじゃないんだ」

「なん……っ!」


 叩き込む直前にレイは何者かに足を引っ張られて体制を崩し、持っていたレンガを手から落っことしてしまった。



 ――――奇襲は失敗した。

 見ると、レイの両足を、男の子二人がそれぞれ掴んでいた。飛びかかって殴る直前、ピエロの近くにいた二人が足を掴み、彼の攻撃を止めさせたのだ。



「初めからなんとなく分かってたよ。キミがワタシに操られていないことぐらいね」

「く……クソ……ッ! 演技だったのか……」

「そうさ、僕はピエロだからね」


 倒れたレイは落としたレンガを再び拾い上げ、そのままピエロに投げつけようとしたが、また別の、今度はエルフの男の子が彼の腕を抑えつけた。


 左手だけに自由が与えられたが、やはり操られているためなのか、それとも【カッコウ】とやらが出ているためなのか、子どもたちの拘束する力は想像以上に強く、自由に動かすことが叶わなかった。


 両足右腕を封じられたレイは何もできなくなってしまった。


「でも君がタイプなのは本当さ? それだけは信じてほしいなぁ? それに、演技をしていたのはキミの方じゃないかぁ。操られているっていう演技をね。ちょっとボクチャンショックだった……。でもねぇ――――、君の演技はとっても初々しくて新鮮だったねえ! それと、見栄っぱりだったところも、と~っても良かったよ!」

「ぐっ! 放せ!」


 レイは顔を上げて叫んだ。だがもうピエロと少年の立場は決まりきっていた。


「勇気を振り絞って友だちを助けに来たのは本当に偉い! キミのそんなところにますます惚れちゃうよ!」

「そんなのどうでもいい! とっとと放せッ!」


 ピエロはじたばたと暴れる少年を見下ろしながら、口元に人差し指をやり不敵な笑みを浮かべた。


「だーめ。ワタシにウソをついた罰だよ。レイくん。――――って、そういえばそうだよ。キミの名前のレイ……、「レイ・アンドレイ」って名前は本当なのかい? それとも咄嗟についた嘘なのかい?」

「ど、どっちでもいいだろ!」


 反骨的な視線を向けながらレイ・アンドレイを自称した彼は言った。


「そうだね、正直、どっちでもいい」

(いやどっちでもいいんかい!)

「だって、君はもう明日には『レイ・バオ』って名前に変わるからさ」


 ぐんと顔を近づけながらピエロは言う。

 

「……え?」

「キミは確かに私の性癖にドストライクなんだけど、僕の【愨能】によって操られない……、つまり十六歳以上の子…………。まあ、もうその年でなら、学校で勉強したと思うけど、この国では「十六歳以上から結婚できる」っていうの……、知っているよね?」

「…………???????????」


 最初、まったく意味が分からず、レイは首を傾げたが、さっきの『レイ・バオ』という名前を思い出した時、ようやく理解が追いついたのと同時、背筋が凍った。



 レイ・アンドレイという名前の破棄。

 レイ・バオという名前の付与。



「――――ま、まさかッ!」


 激しい嫌悪感と気味の悪い形で繋がったピースに、レイは青ざめながら叫んだ。


 そして――――、その顔を見たピエロはこれまでで一番の興奮状態に突入した。


「いいや! もう限界だっ! もうここでする! しちまうぞ! 結婚ッ! 結婚ッ! 結婚ッ! 夢のような暮らしのスタートを、今ッ! ここから迎えるんだ! ああそうさ、ああそうさ! 入籍するぞ! 同棲するぞ! 合体するぞォ! ユートピアに帰るまでもない! ここが祝いの席! ここが式場! ここが、役所だぞおおおお――――!」



 ――――亜音速の腰振り。怪物は快感への興奮により、怪の究極を得た。

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