第9話 エロチカ part5
ユナは、商店街の周りをぐるぐる周回する馬車の中から、雨がやんだり振ったりを繰り返す空を見上げた。どうにもすっきりしない空は、街の活気をだんだんと弱めていた。
窓からそっと体を出した彼女は、二頭の白馬を繋ぐ手綱を持ったままの御者に尋ねた。
「御者さん、今は何時だい?」
「そろそろ一時半ですな。商店街の人混みもじき空くでしょう」
「そうか……、やっぱり遅いな……」
「遅い、ああ、お二人がですか」
「――――いや、私の持ってる時計さ」
そう答えた彼女の手には、何も握られていなかった。
◇ ◇ ◇
「さあこっちへおいで! 私の胸に飛び込んでおいで!」
「いやだ! 絶対いくもんか!」
壁際に追い込まれ、逃げ場を失い動けなくなったレイは必死に叫んだ。
「せっかく誓いの「キィッス(th)」をするために拘束を解いてあげたのに……。あ、そうか、キミはボクの【愨能】で操れないから、言うこと聞けないのか……」
「絶対にいやだ! 操られてたって、お前なんかとキスするもんか!」
「ウーン、その反抗的な目! 今までボクは常に能力で子どもたちを操って来たから、その瞳はとっても新鮮だよ! ますますキミが欲しくなった!」
するとピエロのバオは、水浴びを終えた犬のように体を揺すり始めた。
蛍光色の衣服から、葉っぱがシラミのように落ちてきた。その葉っぱは瑞々しい緑色をしていて、薄暗く、無人の裏路地には空気感があっていなかった。
「じゃあまずはキミに着せるウェディングドレスを作ろう! ボクの【愨能】で作った緑のドレス!」
するとバオの体から茶色の【愨光】が立ち上り始めた。その茶の【愨光】は服から落とした葉っぱを宙へと押し上げ、自身の周囲空間に張り巡らせた。
「さあ着てちょおおおおだい! ボクのデザインしたウェディングドレスを!」
腕を振り下ろす動作が合図だったのか、宙に浮かんでいた葉っぱが、動けなくなっていたレイの体に、一斉に張り付き始めた。
「うわあああ! クソ! なんだっ!!」
「まずは服のデザインを決めよう! とにかくフリルよ! フリルが多めのドレスが一番!」
レイに付く葉は、大きなスカートに、シースルーのレースやウェディンググローブ、上半身の輪郭をはっきりと浮かび上がらせる爽やかな緑色のドレスへと変わっていった。
しかも葉には拘束の機能もあるようで、レイは反撃も出来ぬまま、バオの思い通りのお嫁さんへと姿を変えられてしまった。
「う、動けない……! 息苦しい……!」
「大丈夫!? これから誓いのキス(th)をするけどその時に人工呼吸してあげるよ!」
「クソ! むしろ死ぬ!」
するとバオの派手な色の服がどんどんと剥がれ落ち、黒でびしっと決めたタキシードが姿を現した。
「さあ、誓いのキッス(th)! 誓いのキッス(th)!」
「す、するもんかっ! するもんかっ!!」
バオは拒もうとするレイの頬を両手でしっかりと抑えて、ゆっくり、ゆっくりと顔を近づけていった。
生命を吸い取ろうとでもしているような形の唇を伸ばし、瞳を閉じながら迫る姿はさながらモンスターだ。
「し、死ぬ! 死にたくない……! 死ぬもんか……!!」
目を閉じ、なんとかして逃れようとする彼は――――被害者として、ここにいた。
人を助けるために、危険を顧みずここまでたどり着いたが……。
どうだ、命を救ってくれて、面倒を見てくれると言ってくれたシンディを危機から救う為に駆け付けたが、どうだ。
自分はなすすべなく変態の手に収まり、シンディは離れた位置で、口を半開きにして軽く上を向いたまま立っている。
――――何も出来ていないじゃないか。
「……葉っぱ……のドレス……ッ! 枝……枝……枝……ッ」
屈辱的な思いをしている中、レイはそう呟いた。
キスを迫られ、命の危険に脅かされている瞬間であるにも関わらず、今まであった恐怖であったりとか、嫌悪であったりとか、ネガティブな感情が突然ふっと消えてなくなり、急に『枝』に対して全神経が集中し始めた。
「葉があるなら……! 枝もあるはずっ!!」
指先を必死に動かしていると、ちょうど右手のウェディンググローブを形成する葉っぱに、小指と同じ長さの木の枝がくっついていることに気が付いた。
キス直前、その枝を、彼は無意識に強く握った。
「【血戒既種法・杖術(じゅうじゅつ)】…………ッ!」
「ん? 誓いの言葉かい?」
言葉も――――、無意識から出てきたものだった。
黒くよどんで何か分からない、泥水の中から釣り上げたその言葉と能力は、
【魔法】と呼ぶのにふさわしいものだった。
バオは片目を開き、レイの状態を見た。
かわいい、かわいい。今日から一緒のお嫁さんの姿はさぞかし美しいんだろうという期待を持ちながら瞳を開けたバオだったが、彼の姿を見た時、予想外の光景に驚きがもたらされた。
「な、なにそれ……!?」
――――彼の顔に、刺青のように赤と黒が混じった幾何学模様が浮かび上がってきていたのだ。
しかもよく見れば顔だけではなく、シースルーのレースの間から見える細い肩や腕にもその模様が浮かび上がっていた。
模様は力強く脈を打っていて、まるで血管のようだった。しかもこの模様の出現に合わせて、【愨光】ではない、また別の何かの凄まじいエネルギーがレイの体から溢れ始めていた。
「か、カッコイイ……でも、それ、なに?」
「お前を倒す為の技だ!」
掴んだ枝の先をバオに向けた時、凄まじい勢いで枝から何かが飛び出した。
そしてそれは、すぐ近くまでキスを迫っていたバオの下顎を吹き飛ばした。
「あがああああはああッ!?」
痛みから逃れるように、バオは後ろへ、傷ついた下顎を抑えながら下がっていった。
するとバオから立ち上っていた茶色の【愨光】が消え、レイを拘束していた緑色のドレスも消滅した。
葉っぱを振り払いながら、技を繰り出した枝をレイは見た。
さっきの攻撃のせいだろうか――――。枝の先端は二つに割れ、持ち手の部分は焦げてカスに変わっていた。
「いはいひゃないッ……! ほくのアゴをふっとはすなんひぇ…………」
レイは割れた枝を捨て、皮一枚で繋がった顎を持ちながら喋るバオを見た。
おぞましい怪物の、血みどろの姿に嫌な気分を覚えながら、レイはあのモンスターに一矢報いることが出来たことを心の中で喜んだ。
(自分にはどうやら【カクノウ】みたいな能力があるんだ……! この力があれば、きっとシンディさんを助けられる!)
レイという名前を付けられたのは、自信なく何度も何度も頭を下げる様から取られた。
しかし、今ピエロと対峙するこの少年に弱弱しい感情は全く見えなくなり、能力という後ろ盾のおかげか、前向きで明るく、誇りを持った凛々しい顔つきに変わっていた。
ピエロのバオも彼の突然の成長に驚きを隠せなかったが、曇った表情から晴れやかになった彼の姿を見て、興奮はさらに昂ったようだった。何とかその気分を抑えようと彼は股間をぎゅっと握りしめたが、不自然に腰がカクカクと動いてみすぼらしかった。
「ははは……ひみののうりょふ…………、【愨光】が読めない……、高速のエネルヒー弾を飛ばすとは………。はわひいだけひゃなくて……強いだなんて……ッ! ますます好きになるよ!」
するとバオは自分の頬をひっぱたき、ぐりぐりと落ちかけた顎をくっつけるような動作を始めた。ついに気が狂ったかとレイは身構えていたが、バオはそんな異常行動をしながらも息を飲み込むような笑い声を上げていた。
「だけど、ボクも結構強いんだよ?」
手を離すと、バオの頬に葉っぱが付いていて、さっきレイが切り落としかけた顎を、元の場所にくっついていた。
(治療した……!? あいつにはそんな能力まであるのか……!)
怪我の回復を見せつけるバオを見て、彼はこの戦いが一筋縄ではいかないことを感じ、再び先と同じように、枝からエネルギー弾を飛ばし、今度こそ敵の急所目掛けて狙って攻撃することを決めた。
しかし今は枝が手元にない。
レイはちらりとレンガの間から生える枯れた木の枝を見た。
(雑草の中にあるあの枝……あの枝を手に入れればまた攻撃が出せる……!)
対峙するバオは興奮を隠しきれない様子だった。さっきまでレイはこの変態に恐れていたが、もう挫けることはない。
彼の逞しい視線に、さらにピエロは熱が入る。
「さあ、やろう! ワタシたち最初の共同作業!」
「しない! 僕はお前を倒す!!」
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