第6話 エロチカ part2




 レンガの街並みを北へ進むと、背が低い木造の建物が続く、非常に騒がしい商店街へと出た。


 彼らがそこへ辿り着いた時、怪しくなっていた雲行きが確信に変わり、しとしとと小粒の雨を降らし始めた。商店の人たちは悪くなった天気を前に、建物の屋根から雨よけのタープを伸ばし始めた。それでも活気は冷めることなく、街のガヤガヤは雨の匂いを思わせなかった。

 

 バラキーアのレンガの街並みに比べると、そこを歩く人たちの格好は随分ラフで色も地味なものばかり。ファッショニズムに欠け、機能性を重視しているような衣服を纏っている人が多く見られた。


「んじゃ、私はここで待ってるから、買い物はよろしく頼んだよ!」


 商店街の入り口手前で止まった馬車から降りたシンディと、記憶喪失の少年レイに、派手な民族衣装柄の服を着るユナは、馬車の中から声をかけた。


「なんで一緒に来ないんですか!」

「また馬車を拾うのも面倒だろ?(サボりがバレるのが嫌なだけなんだけど)それと、御者さんとちょっと世間話(という名の脅迫)したくてね。――――そう、最近仕事が忙しくて町の声とか聞けてないしね!」

「きっと行って騒がれるのが面倒なだけなんでしょうけど……」

「なんか言ったかい」

「いえ! それなら二人で買い物行ってきます!」

「ああ、頼んだよ!」


 そうして二人は商店へと足を踏み入れた。




 ――――赤色のボロボロな混凝土の道を、大勢の人が肩をぶつけそうになりながらすれ違っていく。太鼓や笛、弦楽器で奏でる愉快な音楽も至る所から聞こえ、静けさとは正反対の賑わいが広がっていた。


 スパイスの香りだけでなく、果物や花、香水、生臭い魚や肉の匂い、獣の腐臭と……、嗅覚に突き刺さる情報量は膨大で、さっきまでの街並みとは異なる、どこか情のある、それでいて少し乱暴な明るさを前に、レイは少し驚いてしまっていた。


「さて、調味料のお店まで行きましょう!」


 戸惑いに感づいたシンディは、早速探検隊のリーダーのように号令をかけると、手を引いて、人混みの中へと少年を引き連れて進んでいこうとした。


 しかし彼女は伸ばそうとした自分の手を見てから、悲しい顔になったかと思うと、腕をしゅんとひっこめた。


「そっか……手握ったら、汚れちゃいますよね……。じゃあ、私の姿を見失わないようにしてください!」


 そうしぼんでいた表情を無理に明るく膨らませて、彼女は前に進み始めた。


 結局彼女は声をかけたものの何も解決できなかった。

 背の小さなレイは、圧倒的な人口密度を誇る商店街の道の中で、何度も押しつぶされそうになった。


「せっかくユナさんに編んでもらった服がこれじゃ台無しですね!」


 シンディはガヤガヤに埋もれないよう、ワントーン高めの声で言った。


「服ですか?」

「はい! レイさんの着ていた服を私が泥だらけにしてしまったので、代わりにレイさんが寝ている間にユナさんが忠実に服を再現して編んでくれたんですよ! でもこんなもみくちゃにされたら、もったいないなって! ちなみに私の服も、ユナさん製です!」


 そう説明を受けたが、自分の服の出来具合を確認する余裕さえない程に人の往来は激しくなっていた。


「あとちょっとの辛抱です! よく行く調味料のお店まであと少しです!」


 シンディがそう言ったとき、後ろから人々を強引に押しのけて走り抜けていく子どもたちにレイは背中を押され、保っていたシンディとの距離を大きく離してしまった。


 彼はぶつかった子どもたちに謝ろうとしたが、少年を押しのけて行った彼らは「邪魔だバカヤローッ!」と叫んでもう人混みの中へと消えて行ってしまった。


 人の流れに押されてしまったレイはちょうど開けた店の前に辿り着いた。


「おっ? お客さんかい?」


 絨毯の上に、様々なスパイスを並べたお店に辿り着いた。店主の男は頭のてっぺんがツルツルに禿げていて、体格が縦にとても小さく、横にとても大柄な人だった。


 薄い生地のシャツの間から見える腕の毛は針のようにチクチクとした剛毛で、顔から膝まで延びている立派な毛は、よく見ると鼻から出ていた。


 このドワーフはどうやら、重い体を持ち上げて、ようやくタープを引き延ばし切った所のようだった。


「あ、調味料のお店……」

「――――おい、おめえ、【愨光】はどした? なんでぃそんな弱そうだなんべな?」

「え?」

「【愨光】だよ【愨光】! おめえそれじゃあ裸んぼと一緒だべんな! おい! 隣の犬屋! なんかこいつに服ゥ着させてやれべな!」


 すると隣の店から、骨と皮だけの細い体の男が顔を出してきた。

 手には犬のような肉球が付いていて、垂れて元気のない尻尾がズボンの間から伸びていた。両耳が高い位置から出ているのを見るに、男は犬の獣人だった。


「うっせんだばな岩の香り屋! ならお前のコショーのせーでおらの鼻んば折れ曲がるっちょるにんだらなんだべ!? けんかか!?」

「ちゃうがなよぉ! おいがよぉ、こんのガキャ【愨光】纏ってないんだべさな!」

「んだばうちの服ゥ着せてもどうしようもなかんべな! そりゃこりぇ長寿屋の仕事だべさなぁ!」

「それもそかいんべな。おい長寿屋! 長寿屋!」


 調味料を売るドワーフの店主が、逆隣の店に向かって声を張り上げると、割れた丸メガネをつけた、灰色の顎髭を蓄える老爺が出てきた。腰は曲がり、杖で体を支えているが、よく見ると耳が尖っていたため、エルフであることが分かった。


「んぎゃっらっぱんばでんさのんかねぇ!?」

「こんのガキャ【愨光】持ってないんだべさな! バカァに効く薬んべないんだべか!」

「は!? んにゃぁら、ぱんばんなもんべぱねえべそでべな! んならバカァくくくすりんだばねえぱべな!? しゃかしこらぁかあいそうんだばべんな! バカァくくくすりんだばねべぺんでの、かぜんくくくすりんだばあるべぺの!」

「あの、すいません…………」


 訳の分からない言葉が飛び交っているのを前にして、レイは戸惑った。すると彼の後ろからさっきの服屋の獣人の男がやってきて、少年に帽子をかぶせてきた。


「んだばぁ! いかすとるボーシあげっちょっからべんな! 元気だしやぁんな!」

「ほほほぉ、似合っとる似合っとる! じゃかんしゃーねーから、うちの店の自慢のカワカしたワニの尻尾くれてやるからなぁ! 茶に漬けて飲めっ! だいたいのビョーキ治るすな!」

「え、あ、あの」

「ばぱんばこれはチャによるてのんくすりでな! よぉノドイタにくくくすりんだばな!」


 次々とレイの目の前に商品が現れ、それをやる、それをやるとプレゼントの山が出来上がってしまった。


 あまりの量に困った彼は、ここから逃げ出そうと後ろを向いた。しかし振り返って見えた景色にレイは仰天した。


「おおぉ……、ほんと【愨光】ないだべ……」

「すんげえぇ……はじめつみたぁ、都会ん子はこんなんなんか」

「んなことあっか。都会さでたおいのせがれはこんなんならんかったぞ」


 熱烈な視線。

 たくさんの人、様々な種族の人がレイに興味を持ち、歩みを止めて彼を見ていた。


「えっ……えっ」

「んだぁ、こんなふすンぎな事あるんだべなあ」

「にしてもこらあかわいそうだべ」

「ああ、かわいそう」

「うちのものあげんべさねちょっとまっててや」

「えぇ!? いやもう結構ですって!」


 早くシンディと合流したいと思ったレイはあたりを見回し彼女を探した。


 ――――ただ彼はとても背が小さいために、遠くまで見渡すことはできなかった。シンディを見つけられないでいる時間が一秒と増えるたびに、彼の心の中に不安感が溜まっていった。


「んだあこのアメさあげんだべな!」

「いかくうかいか! うんめえぞ!」

「吊るした干し柿があったわいな、それ持ってくるからまってなんし!」


 差し出される品々を前に、レイは「いいです! いいです!」と拒む姿勢を見せながら、シンディを探した。

 

 するとふと、妙に頭に残る草笛の音楽が聞こえてきた。

 こんなにも周りが騒がしいというのに、その草笛の音ははっきりと聞こえてきた。


 しかもその音楽はとても不気味で、言うなれば不協和音、街の活気を濁してしまうような、そんな嫌な音楽だった。しかし、レイの周りの人たちはそれに気づいている様子はない。


 とっととこの商店街から抜け出したいという気持ちがより強くなったレイだったが、この時ようやくシンディらしき人影を見た。ストレートの黒髪からピョコッとハネた白い前髪。街並みをすれ違う人々を見下ろせる高身長の持ち主は――――、間違いなく彼女だ。


「し、シンディさん!」


 レイは見えた人影に向かって大声を張り上げた。

 だが妙だ――――。確かに外見の特徴はさっきまで一緒にいて、この商店街へと連れてきたシンディに間違いない。


 しかし、彼の言葉に気付いているのかいないのか、彼女はどこか遠くへ行こうとしていた。

 その時に見えた彼女の横顔は生気がなく、人形のように冷たかった。周りの人は雨足が強くなり始める中これを凌ごうと服をまくったり、ぼろぼろな傘を出したり、手で頭を隠したりしていたが、彼女は雨を避けようとする工夫を一切していなかった。


 ――――ただ歩くことだけをしている。

 目的であったりとか、そういったもののない、理由のない行動。


 そしてまだ、妙な草笛の音が聞こえる。


「なにか怪しい…………行かなきゃ!」


 人混みに恐れおののいていた少年の顔つきが変わった。


「んだあこの乾いた人参んばくれっからまって…………あれ? あいつぁどした?」

「え? あれ? おらん? さっきまでおったんとに?」

「いねえっ! いなくなっとる!」

「おいらみんなマボロシでもみとったんか?」

「んなあほな! でもマボロシみたいなやつやってんな」

「とにかくおいらたち酒ェ飲みすぎたんたべろな」

「いやあ景気のいいこったあなあ」


 人々は夢を覚えて日常に帰った。

 その後ろで、獣人の服屋が少年にプレゼントしたはずの帽子が、ゆらゆらと空から落ちてきた。

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