第4話 リトルクライ




『目隠しを取れ』


 合図に従って、少年は着けていた黒の目隠しを外した。

 茶髪で、少し眠そうなのかという風に見える、少しとぼけた顔の少年は、急に差し込んだ光を前にして、一度、目をこすった。


 辺りは草原が果てしなく広がり、爽やかな風が流れ、雲一つない美しい景色があった。その風景の真ん中に立たされた少年は、手に取った目隠しをぎゅっと握りしめた。


『始める。指示した通りに動け』


 少年の頭の中に聞こえてくる声は、言葉を乱雑に放り投げたかのような口調だった。それでも少年は「はい」と素直な返しをして、従う意思を見せた。


『まずは魔導書』


 彼の周りの草原から、次々と泥の塊が立ち上り始めた。

 それらは形を成し、彼の背丈の倍以上ある泥の生き物へと変わっていった。


 ――――合計六体。

 不定形の魔獣は、ゆっくりと少年を囲むように迫っていった。


 彼は特段慌てることなく、持っていた目隠しを上へと放り投げた。するとこの目隠しに背表紙、ページが付け足されていき、彼の右手に帰ってくる頃には、もうすでに魔導書に変身していた。


 厚みがある魔導書を広げると、眩い閃光がそこから放たれた。


「【電撃魔法】ッ!」


 術の展開に伴って、レイは左手を上へ伸ばした。この時、レイの肉体が熱を帯び始めた。

 ――――魔法世界の住民が皆肉体内部に持つ、【魔術回路】を展開させたのである。


 魔術回路の回転により、血と呪術の象徴である【魔力】が発生した。それが左手指先まで延びると、そこに雷が集中し始めた。


「【型様・天翔狼テンショウロウ】」

 左手を振り下ろすと、その先に溜まっていた電撃が一本の線を描いて放出された。電撃の先端部分にオオカミの幻影が現れ、これが野原を駆け回り、草を燃やし、彼を囲んでいた魔獣たちを炎の牙で噛み千切っていった。


『次は杖だ』


 電撃が辺りを引き裂き燃やしていく中、頭に響く声は、彼の技を前にしても、何ら感情を思わせなかった。それでも、指示を受けた少年は魔導書を捨てた。これによって、左手で操っていた電撃、オオカミの幻影も消滅した。


 燃える草原の中から、またも泥の魔獣が顔を出してきた。今度はサイズこそ小さいが十体以上は確認できた。


 少年は胸ポケットから白樺の柄をした、腕の関節と同じ長さの杖を取り出した。これを右手指先で一回回してから、襲い掛かってくる魔獣の方に向けた。


「【銃撃魔法】、【型様・鋭鮮燕エイセンエン】ッ!」

 

 再び少年の魔術回路が急激に巡り始めた。心臓の鼓動が力強く鳴り、杖に【魔力】が集まっていった。


 そして杖を持った右手首を一つ捻ると、鋭い弾丸と化した【魔力】が放たれた。耳をつんざくような破裂音が響き、弾丸は光速を越えた。


 ――――弾丸は魔獣をまず一体蹴散らした。

 彼は再び構え直し、次々に同じ要領で杖の先から弾丸を飛ばし、魔獣を撃っていった。


 二、三発外し、草原の伸びた葉を薙ぎ払っていったが、近づかれる前にはもう、魔獣は全て仕留め終わっていた。

 

『次は、詠唱だ』

「えっ、詠唱?」


 またも声は冷たく放たれた。しかし、これまで素直に従い続けてきた少年が初めて聞き返した。


「え、詠唱はまだ勉強をしてないんです! 強いて言えば自己強化のための……」


 そうこうしているうちに魔獣が次々と姿を現し始めた。天の声の返答を待っていては、魔獣に飲み込まれてしまう。


「わ……わかりました……。えーっと、【簡易化詠唱】……、【魔術は打撃を選択】――――」

「GYUAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAッ!!!!!!」


 魔獣の一匹が駆け抜けてきた。慌てた彼は持っていた杖を放り投げ、そのまま右ストレートを、襲い掛かってきた魔獣に打ちこんだ。


「あ――――と、【魔術回路巡回】、【魔力捻出】、【回路へ】……で、えーっと」


 また一匹、また一匹と魔術が飛び出してくるが、ぶつぶつと呟きながら少年は魔獣を殴り消し飛ばしていく。


「【血管凝縮法】……じゃない、【血管委縮法】、じゃない! 血管……血管」

『【血戒既種法・打撃魔法】』

「うっ」


 頭の中に言葉が聞こえてきた時、彼の背筋が凍った。

 怒っているという感情とも読み取れるし、呆れられているとも読み取れる、腹の内が分からない口調を前にして、形容しがたい恐怖感が込みあがってきた。


「【血戒既種法・打撃】、展開……!」


 詠唱の完了と同時に、少年の皮膚に複雑な幾何学模様の【魔術回路】が浮かび上がってきた。


 熱の高まった体からは蒸気が噴出し、周囲の空気が溶け始めた。

 だがしかし。


「――――って、全部倒しちゃってる!」

『……』


 周囲に魔獣の姿はもう無く……。寂しい風に、彼から上がる蒸気が靡くだけで、後は綺麗さっぱりだった。


『もういい。詠唱は無動作で発動できるという点が売りだというのに……、これを

覚えられなければ、真の魔術師を名乗るには程遠い……』

「いや、詠唱は駄目ですが魔法陣はいけます! ていっても二種類だけですけど……」

『言い訳など聞きたくはない。勉強不足を単純に悔め。そして……、全体的な評価

だが、魔術回路構成は十分だ。――――そう、申し分ないが、各魔術精度に欠ける。これではせっかくの完成度でもジャミングを頻出させる。これを機に改善しろ』

「うう……」


 たかが言葉である。物理でもなければ形にもならない。しかし振りかざされたその声に、少年はすっかり震えて縮こまってしまった。


『そして――――、精度を高める為には、回路に流し込む魔力に余裕を持たなくてはならない。常に臓を絞って生み出していては非効率的だ。体にかける負担は増大し、放出に際してコントロールを失う。より高度な鍛錬を重ね、魔力強化に努めるのが、今のお前の一番の課題だというのが分かった』


 彼の重くのしかかるような言葉に、当人が目の前にいないのにもかかわらず、少年は軽く会釈する程度のお辞儀をして謝罪の意思を見せた。その様子を見ているのかはわからないが、頭に響く声は少し呆れたようにため息を一つついた。


『――――そしてこれを維持することも課題だな。魔力は反復しなくては筋力以上にすぐさま衰える……。そこを掘れ』

「え?」

『そこを掘れ』


 頭の声は言う。少年は思い切って詠唱分の魔力をそこに使った。


「フンッ!」


 一発地面を殴ると、すさまじい爆音と共に大地は裏返った。

 すると、その裏返った地面の中から一本の大太刀が姿を現した。


「か、刀が出てきました!」

『持て』


 少年は土に埋もれていた刀を手にした。

 自分の身の丈と同じぐらいの長さがありながら、持つとまるでクモの糸のようで、目に見えるのに質量を感じさせなかった。


 刀の回路に魔力が通っていないという点を考慮しても、刀としては異様なほど軽かった。

 

『その刀は大地の所有する名刀【死墓標シボヒョウ】――――。その刀は第一に『僅かな魔力所持者でも、魔法を使えるという特性を持ち』、第二に、『より強力な魔力を持てば更なる力を発揮する』、そして第三に、『極限に到達したとき、その刀が天を導く鍵となり、』を持っている』


 声は三つの特徴を強調するように言った。


「つまりこれって……」


 少し嬉しそうに少年はその刀を握った。

 まるで子どもが親からおもちゃを買い与えられるかのような、そんな風景だった。


『だが、持ち主の魔力がほんの僅かでも低下すると、持ち主の手から離れ、この草原の地に還る。その刀、お前に一つの『指標』としてくれてやろう』

「えっ、いいのですか!? あ、でも、ここがどこだか……」


 喜ぶ表情が一転し、少年は肩を落とした。少年の一喜一憂に対して声はずっと同じテンションを保っているので、彼はだんだんと恥ずかしくなってきた。


『その通り、だからこそ目隠しをしてそこへ連れてきたのだ。この刀がお前の手元から消えた時、つまりそれはお前が魔力鍛錬を怠ったという証明。永久に恥としろ』

「い、今のままじゃ到底これを持ち続けることなんて」

『だからこそ『強くなれ』……。それだけだ……』


 響く頭の声がどんどんとこだまして強くなっていき、徐々に頭痛がしてきた。意識もこの声によって引きはがされていく。


 ――――気持ちの悪くなった少年は掘り返された地面の中に転げた。


 視界がかすんでいく中、彼はふと、「今日が『お別れなのでは?』」という嫌な予感を、ここに来るまでの間に感じていたことを思い出し、的中してしまったことを悔やんだ。


「いってきます」の言葉もないまま出かけるのは、頭の中でエコーし続ける声の主である、『この世界での父親』そっくりで、すごく嫌な気分になった。


 そうしていく内に、意識はどんどん奥底へと落ちていった。




 ◇ ◇ ◇


「ふむふむ、素敵なお顔じゃないか。ちょっと泥だらけなのが気になるけど」

「うぅ、すいません…………」

「いいもんさ。子どもは、はしゃいで遊ぶのが一番の仕事だしね。泥だらけになるまで遊ぶ、それは子どもが元気な証拠で、売り上げみたいなもんさ」

「いや、ちょっとだけ都合が違うと言いますか……何と言いますか……」

「泥遊びをしていたんじゃないのかい? こんなに部屋中泥まみれなのに」


 ユナが部屋の中を見渡す。壁、天井、床、家具……。暮らしの空間を、泥がいたる所を汚していた。


「うう、すいません……せっかくユナさんに建ててもらった家なのに……」

「フフッ、なになに気にしないよ。書類とゴミと虫の死骸で通路がふさがっている私の家より断然いい。かれこれ二か月帰ってないけど――――。そうだ、これを機に街へ引っ越しなさいよ。ちゃんといい部屋も探してあげるからさ」


 その提案に対してシンディの顔色は少し悪くなった。今の泥だらけの現状より、越すという未来の方が嫌なようだった。


「い、いえ、私はうるさい街中よりも静かな森の中の方が好きなんです」

「うーん、それも分かるんだけどさ……。そうそう、出勤とかの話だよ。君は

『ギルド』のメンバーになるんだからさ、こーんな辺鄙な山の中で居を構える、なんていうのは変な話じゃないか」

「そんな、ギルドになれるみたいな言い方……! 無理ですよ……、だって私は…………」

「大丈夫さ。君ならいけるって!」


 そう言って弱腰になっているシンディの、丸く柔らかい、立派なお尻を力強くユナは叩いた。「いっ!」と痛がる声と尻の弾む音が部屋に広がった時、眠っていた泥だらけの少年の瞳が、ゆっくりと開き始めた。


「おっと、いい音すぎたかな」

「あ、だ、大丈夫ですか!?」


 シンディは、少年を泥だらけにした自責の念から、慌てて彼の元へと駆け寄り、顔を近づけ心配した。少年の視界はまだ定まっていないのか、顔を覗くシンディの方に目が行っていない。


「目覚めのキスでもすればいいさ」

「き!? キスって……もう! ちゃんと心配してあげてください! 大丈夫ですか!」


 少し耳を赤らめたシンディは、少年に大きな声で呼びかけ体をゆすった。


 その呼びかけが通じたのか、少年は「ヒッ!」と恐れるような声を出しながら猛烈な勢いで起き上がって、顔を覗かせていたシンディと激突した。


「いだぁ!!!」

「あ、食らった」


 頭を強く打ったシンディの眼には星が回っていた。起き上がった少年も、思いきりぶつけた額の部分を抑え、ベッドの上でうずくまった。


「お目覚めかい少年。いやいや、安心してくれ。私たちは君を取って食ったりしない、そう、しない。ああ、だからそんな不安そうな顔をしないで。せっかくいい顔をしてるんだから」


 怯えた顔をする少年に、ユナは優しく語りかける。


「泥だらけだけど……とにかく安心してほしい。――――ただ、君が頭突きを食らわせたその子は、君をここまで連れてきて介抱し、おまけに泥パックまでしてくれた心優しき少女なのさ! ――――礼はその頭突きだけじゃないだろう?」


 ユナは今の状況を楽しんでいるように言った。

 しかし少年はだんだんと眠気と泥が落ちてきた顔をユナに向け、目を点にして呟いた。


「――――ここは……、どこ?」

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