第3話 リトルクライベイビー part3




『どんなにつらいことがあっても、明るい笑顔を大切にしましょう――――』

「なんだこれ、やっぱりつまんなさそうね、暖炉の薪にもならないわ」


 普段自己啓発に関する本なんてものは買いもしないのに、最近ブームでハマりつつあるラディオ番組のパーソナリティが推奨していたために、物は試しと買ってみたその本、最初の一文。


 これを読んで胡散臭さを感じ取った彼女はあきれて、仕事の書類や、同じように安易なマーケティングに誘われて購入してしまった、まだ手の付けていない未読本であふれかえる机の上に投げ捨ててしまった。


 興味のアンテナを各所に張り巡らし、センサーが反応すれば食いついて味を確かめ、不味いと思えばすぐさま吐き出す。だが時にその感心が意味を持つことがある。食いついたものがとても美味だったこともある。それが人生の甘味……。それをのらりくらり味わっていく。


 彼女……、マリア・ユナの人生はそんなものだった。


 ――――国の名前は『エオリアン王国』。

 世界の北に位置するその島国は、小さな千年王国と言われており、国土こそ小さいが、歴史は周辺国の中ではかなり古く、また経済や文化も世界的にみて繁栄しており、さまざまな種族の人間が集まっている、先進文明的な大国だった。


 ユナは錆びてきしむ窓を、力を込めて開けた。

 エスニック調の、凝視すれば目がちかちかするような色彩の服を身に着けた、細身で高身長の女性が、その窓から姿を現した。

 入ってきた風に、高い位置で縛った黒のポニーテールが揺れる。


 ――――能力者警察組織、<ギルド>の建物がある街、バラキーアも例外ではない。レンガ造りの街並みはとても美しく、観光目当てでやってくる者が国内外含めとても多い。どこからともなく楽しげな民族音楽が聞こえてきたり、人の笑い声があちこちから上がっているその様は、まさしく景気の良さを感じ取れる。


 だが、ふと目を横にやれば、道端でうずくまる浮浪者や、裏路地で固まる若い衆たちがいて、そんな楽しげな雰囲気の景観を崩していた。

 

 やかましい景色と、商店街かどこかで売っているスパイスの匂いが風に乗って書斎の中に入ってきたので、彼女は平和と活気を感じ、少し微笑みを浮かべた。


 書類をまとめる作業をかれこれ二、三時間やっていた彼女はそんな景観を見下ろしながら、ストレッチを始めた。伸びをすると「んー」と情けない声が漏れた。


 突然テーブルの上、山のように積まれた紙々の中からトランペットのけたたましい音が聞こえてきた。驚いた彼女は紙をかき分け音の源を探した。

 冷え切ったブラックコーヒーの入ったティーカップが、紙のなだれに巻き込まれて倒れてしまい、中身がこぼれて周りを汚してしまったが、彼女は気にも留めないでいた。


 彼女はついに音を出すものを紙の中から見つけ出した。


 それは手のひらにちょうど収まるサイズの、革製のブックカバーに包まれた本だった。背表紙が緑色に点滅し、表紙の中にイラストされている天使がラッパを吹いている。彼女はその本の表紙をめくった。


 するとそこにまっさらなページが現れた。同時に、けたたましいラッパの音が止んだ。

 その代わりに、少女の声と、荒れた呼吸音がその本から聞こえてきた。


『ゆ、ユナさん! お忙しい中失礼します!』


 まっさらだったページに、連絡の先に居る少女の放った言葉が、文字となって浮かび上がった。


「大丈夫さ、今ちょうどお昼休憩時間でね、シンディが作ってくれた……、そう、ベジタブルサンドウィッチをね、食べようとしていたところだったのさ」

『あ、あの、大変なことが』


 にこやかに連絡に対応していた女性の顔色が急に険しくなった。


「どうしたんだい?」

『とにかく来てください……! 身元の分からない男の子を見つけてしまって。一応ベッドに寝かせているんですけれど……』

「いくつ?」

『いくつ……、十歳? 十二歳ぐらいでしょうか』

「十二歳……、守備範囲内ね」

『え? 何か言いました?』

「ん? 黒い森から電話してるんでしょ? きっと電波が悪いんだわな」


 そういって彼女はわざとらしく本の背表紙を叩いた。


『休憩中に申し訳ないです……、とにかくどうしたらいいか……』

「ちょっと、あと一週間で<ギルド>の試験受けるんだから、そんなおろおろしないの。少しは自分で考えて自分で行動しなさいな」


 相談されている側のユナは、心配なさそうに半笑いでそう答えた。しかし向こうは冗談らしく振舞える余裕がなさそうな声で言葉を返した。


『それが、その子、【愨光】がないんですよ……』


 その言葉にユナは一瞬何も言わなくなった。


「…………死んでるんじゃないの?」

『生きています……! 寝息もたてています……!』

「……そんなやついるわけがない。【愨光】は魂のエネルギーで生命の根源。ないのであれば死人と同じだよ」

『そうなんですよ! でも彼生きています!』

「そんなバカな」


 机に寄りかかり、考え込む表情を見せるユナ。

 そんなことがありえるのか?


『えっ!? キャッ! いやっ!』


 その時、ページの奥からシンディの悲鳴があがった。


「なに!? どうしたのさシンディ!」


 同じくして何かがぶつかり転がる音。

 少女からの連絡は途切れた。


 彼女は本を閉じるとそれを山積み書類の中へ放り投げた。

 すると彼女の肉体から眩い光が漏れ出し始めた。色は薄い赤。その光は四本の直線を宙に描き、部屋の四角い窓枠の、それぞれの角に伸びていった。


 形を成すと、その光は糸に変わった。

 彼女はその糸を胴体にしっかりと巻いて、後ろへ五、六歩下がっていった。下がれば下がるほど、糸が緊張し、窓枠がみしみしと音を鳴らした。


 すると部屋の扉をノックし、メイド服を着たおさげの女性が入ってきた。


「失礼しますユナ様……って何してるんですか!?」

「悪いねハローゲート、出勤してくるわ!」

「いやいや! これから会議……」

「知らない!」


 彼女は床から足を離した。すると彼女の体がパチンコ玉をはじき出すように窓枠から外へ飛んでいった。

 衝撃で部屋中の書類が舞う。その中で茫然とするメイド。朝時間をかけてヘヤーアイロンをした黒の髪がもうボサボサだ。


「ああ……また会議欠席か……、ブライトンさんに怒られても知らないよ……、それに例の誘拐事件の話するのに……」


 彼女は足元に落ちた紙を拾った。それはバラキーア地方紙の一面の印刷だった。そこには『少年少女失踪事件相次ぐ! 犯人は快楽主義者か』と見出しがうってあった。




 ――――


「わ、あわ…………」


 腰を抜かしたシンディの声は震えていた。

 近くでばらばらに広がった電話本……、『連絡帳』が転がっている。


 布団の上で堂々と立つ少年。

 大岩に乗っていた時とは異なり余裕がなく、息が荒く、汗を大量にかいていた。目からも焦りの色が見え、今すぐにでも発狂しそうな面持ちをしていた。


 眠っていた彼からほんの一瞬目を背けた時だった。彼はいつの間にか、急に音もなく起き上がっていた。


 言葉も発さず、辺りを見回すこともしない。それ故に、少年はシンディの存在に気付いているかさえわからなかった。


「あの! すいません! 布団がお気に召しませんでしたか!? すいません、自分の使っていたもので……ッ! 使用済みですいません!」


 彼はまだ息を荒げたまま。何を考えているのか分からない。ただ威嚇状態であるのはなんとなくわかる。


 その一方で通常人類なら見える、憤怒の感情に伴う【愨光】がない。


 やはり異質だ。


「あの、失礼じゃなければお名前は……、どこから来たかとか……」


 瞬間、少年の黒く燃えるような怒りの瞳が、彼女をぎっと睨んだ。


「ひっぃいいッ!」


 血の気が一気に引き、彼女の緊張は限界を迎えた。

 シンディの脳回路は信号を肉体全体に送る。その指示は……。


「ぶっ」


 泥ダンゴの投てき――――。

 緊急の一発は少年の顔色の悪い顔面に、寸分の狂いなく直撃した。


 有無を言わさぬ反撃を前に、彼の泡立っていた怒りの感情はどうやら静まったようで、少年は再びベッドに倒れた。


「あ――――――――――――ッ!? ごめんなさい――――ッ!」


 ――――とても騒がしい光景だった。

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