第三章 決壊

斉藤刑事との待ち合わせ場所の喫茶店は新宿にあった。駅からは程遠い細い道を進んだ先にある穴場的な店だった。店内は数名いるだけだった。そのうちの一人が僕たちに気が付くと手を挙げた。斉藤刑事だ。

「暑い中ありがとうございます。いや~、電話でいいと思ったら、ちょうど東京へ来ていたということで」

何飲みます?僕らが向かいに座ると彼は言った。僕らはアイスコーヒーを頼んだ。

「久しぶりと言って良いのだろうか」

注文を受けたウエイターが離れていくと斉藤刑事は言った。どうやら、彼にとってもあの事件は過去になっていないようだ。

「あの事件から10年が経つわけだが、何か変わったことはないか?些細なことでも構わない」

マリが口を開く。

「あの…刑事さん剛っていう人知りませんか?岡にりっとうで『剛』です」

「剛?この事件に関わりのある人物の名簿では見たことない。一応、後で署に戻って名簿や資料を確認してみるよ」

ウエイターが来たため斉藤刑事は一旦黙った。僕はウエイターからアイスコーヒーを受け取るとすぐに飲んだ。乾いた喉に潤いが戻る。ウエイターが去るのを見ながら、斉藤刑事は再び口を開いた。

「その剛という人物がどうかしたのか?」

僕は一昨日実家のポストに手紙の入った白い大きな封筒が入っていたこと。それには切手も宛先も書いていなかったこと。そしてその中にはモモが10年後の僕ら三人と剛という人物宛てに書いた手紙が入っていたことを話した。

斉藤刑事はモモから手紙が来たことに驚きながらも、メモを取って話を聞いていた。

「ということは、10年前に柞木田さんが書いた手紙を何者かが西園寺君の実家のポストに一昨日入っていたと」

「そうです」

「剛宛ての手紙もあったんだよね。手紙の内容からなにか分からなかった?」

「すみません。剛宛ての手紙の中身は見てません」

その後いくつか質問されたが僕らは答えることができなかった。

彼はコーヒーを一口飲んだ。

「じゃあ、今度はこちらの話をしよう。実は私の部下が10年前のこと事件について興味を持って調べてみたところ、犯行時刻頃に西園寺家付近の防犯カメラで不審な人物を見つけて」

以降の彼の話をまとめると以下のようになる。

斉藤刑事の部下は事件当時の防犯カメラの映像に映っていた一般人数十名を片っ端から調べて行ったという。

調べると言っても、ほとんどの者は事件直後に警察から事情徴収を受けていたためすぐに身元がわかった。それ以外の者についても数日で身元が分かったという。しかし、一人だけいくら調べても身元が分からない人物が出て来たという。

ここまで話すと彼は鞄からファイルを取り出した。

「で、その防犯カメラに写っていた問題の人物っていうのが…これで」

彼は一枚の紙を机に出した。僕ら三人はのぞき込んだ。写真の右下の時刻は10年前の事件の日、ちょうど僕がコンビニから家に戻ろうとしていたくらいの時刻をさしていた。


で、そこに映っているのは…


えっ、


「じゃあ、剛っていう人物について調べてみるよ。また、何かあったら連絡してね」

そう言い残して斉藤刑事は店を出て行った。僕たちも、残りのアイスコーヒーを飲むとその店を後にした。タッチが口を開く。

「それにしてもあの防犯カメラに写ってた人誰なんだろうね」

「てかよく10年前の映像からから見つけたよね」

マリが空を見上げながらつぶやく。

僕は、ずっと考えていた。なにかの間違えじゃないか。でも、もしかしたら…


実家に着いたのは18時頃だった。

翌日、考えをまとめた僕はある場所へ向かった。やはり、やつは、神様は、そこにいた。



木漏れ日に照らされ輝く鳥居。天気予報では午後からは雨が降るらしい。高吉神社の本殿に寄りイヤホンを付けゲームをしている彼は僕の気配に気づいたのか顔を上げた。

「神様」

「おっ、東京どうだった。楽しかったか?」

「神様はモモのことを初めから知っていたのか?」

「モモ?ああ、君から話は聞いて知ってるけど」

「違う!オレが話す前からだ」

彼はイヤホンを外した。

「なぜ、そう思うんだ?」

「剛って神様のことなんだろ?昨日、東京で当時モモの事件を担当していた斉藤刑事に会ってきた。そして、彼から見せられた防犯カメラの写真に君が映ってた。僕がこの町に帰ってきたあの日、僕の実家のポストにモモからの手紙を入れたのは神様、君だろ?君がわざとあの日にポストに手紙を入れた」

僕は呼吸を整えると続けた。

「なぜ、あの日。事件当日、家のカギを開けた。充が言ってたよ『おかしい。あの時、玄関のドアにはカギがかかっていた』って、でも確かに強盗達は玄関から入っている。警察はカギのかけ忘れだと考えている。本当は君が玄関のカギを開けたんだろ。強盗達を家の中に入れるために」

フフフ、俯きながら話を聞いていた彼が笑った。僕は殴りかかりたい衝動を必死に抑えながら聞いた。

「君は神様なんだろ?なんでカギを外したんだ。強盗達がいることに気づかなかったのか?」

やつは笑いながらこちらへ近づいてくる。

「ハハハ、お前は間違ってる。勘違いしてる」

「何がだ!」

「確かに俺は神だ。でもな、ただの神じゃない。死神だよ。モモを殺したのはお前じゃない。俺だよ」

「ふざけるな、適当なことを言うな!」

「あの日、やつらを家に入れるためにカギを開けたのは俺だ!というか、そもそもあの間抜けな強盗達を巧みに操って事件を起こさせたのは俺だ!俺がモモを殺すためにやったことだ」

一歩一歩近づいてくるやつの胸ぐらを掴む。

「ふざけるな!お前、自分が何言ってるかわかってんのか!」

やつの笑いは止まらない。

「なぜ、俺がお前の前に現れたか知ってるか?」

「知るか!そんなもの」

「俺は死神だ。死神はむやみに自ら人に姿を見せようとはしない。まあ、相手がターゲットなら別だが」

「まさか…」

「ハハハ、そうだよ俺はお前を殺すためにお前の前に現れた!」

彼の手が僕の首に伸びてくる。すごい力だった。

「モモは勘のいい人間だった。だから自分の死期を薄々感じていたらしい。だから、彼女はあの10年後の君たちに向けた手紙を書いたんだ。俺があの手紙をポストに入れたんだ」

やつの足を蹴ったがビクともしなかった。

「俺は彼女を殺すために彼女に接触した。剛としてね。そして彼女と仲良くなった。色々話してくれたさ。もちろんお前のことも」

胸ぐらをつかむ手にも徐々に力が入らなくなっていく。彼はそのまま僕の首を持ちながら下に長く伸びる神社の階段へ引っ張っていった。

「彼女は死ぬ直前まで君の幸せを願っていたよ。そんなに愛された幸せな人間は俺が知る中ではお前が初めてだよ。俺はそんな、お前が憎かった」

気が遠くなってゆく。階段のすぐ近くまで来た。

「でも、お前に会ってみたらどうだ。お前は幸せというものを失っていた。このまま、殺してもつまらない。幸せを思い出させたうえで苦しむ顔を見ながら殺したほうが良い。だから、俺はお前が前を向けるように仕向け、やつらと仲を取り戻せるようにしてやったんだ。初めから俺の計画の上でお前は転がされてたんだよ」

目の前が白いモヤで包まれてゆく。残った力で必死に声を絞り出した。

「なぜ、モモを殺した」

するとやつの顔から笑みが消えた。だがすぐに笑みを取り戻すと、やつは吐き捨てるように言った。

「いいから寝ろ」

やつの手が首から離れたかと思うと、腹を蹴られ階段から落とされた。どこかにつかまろうと手を伸ばしたが何もつかめないまま転げ落ちてゆく。ああ、死ぬのか。下に長く続く階段を落ちながら僕は気を失った。


午後は予報通り雨が降った。予定通り雨が降った。



目を開けると白い天井があった。

「おお!タッキー気がついたか」

ん?タッチか…あれ?

「あぁ、」

僕は体を起こした。

「おいおいタッキー寝てなきゃダメだろ」

周りを見回すと病院の個室でベット横の椅子にタッチが座っていた。

「タッキー、今は寝てなきゃ。足も頭も包帯巻いてるんだから」

言われるまで気が付かなかったが左足と頭に包帯が巻かれていた。

「ちょっと、待ってろ。今、先生呼んでくるから。寝てなきゃだめだぞ」

僕は何でこんなところにいるんだ?確か神社に行って。あれ、…それ以降が思い出せない。頭が痛む。タッチが戻ってきた。彼の後に続いて医師が入ってくる。

「どこか痛みますか?」

「頭が少しだけ痛いです」

「自分の名前が言えますか?」

「はい、西園寺拓明です」

「よかった~タッキー自分の名前を忘れてなくて」

「でも、どうしてこうなってしまったのか思い出せないんだ」

すると医者に注意をされた。

「あまり今は頭を使うことは控えてください。症状が悪化する可能性があります」

その後は医者から左足の骨折と軽い脳震盪があること。また、一日二日様子を見るために入院する必要があることを伝えられた。そして、いろいろ体の状態を聞くと医者は出て行こうとした。その時、マリが病室に飛び込んできた。

「タッキー大丈夫!?」

彼女は肩で息をしていた。どうやら僕が搬送されたことを知り東京から来てくれたようだ。

「ああ、大丈夫だよ。わざわざありがとう」

「タッチがずっと見てたんだよタッキーのこと」

「そうなのか。ありがとう。迷惑かけたね」

「気にするなよ、助け合わなきゃ人間生きていけないから」

彼は恥ずかしそうに笑う。

「それにしても、驚いたよ。タッキーが雨の中、神社の階段の途中で血出して倒れてたんだから」

「僕は階段から落ちたのか?」

「ああ、でも医者も驚いてたよ。あんな長い階段から落ちてよくこの程度のケガで済んだなって。本当に奇跡としか言えないって。ついてるよね神様のお陰かな?」

ついてる…、神様…、なんだっけ。なんか大切なことを忘れているような…

「あっ!思い出した。すべて思い出した。神様だ、神様だよ」

僕は神様についてタッチとマリ話し始めた。

昨年、神社で神様に出会ったこと。その、神様が僕たち三人を再び結び付けようとしていたこと。ポストにモモの手紙を入れたのは神様だということ。神様が斉藤刑事の部下に憑りついて当時の防犯カメラを調べさせたこと。また、それによって見つかった謎の人物「剛」は神様自身ことだったこと。神様は過去にモモに会っていたこと。神様は死神だったこと。僕は神様に殺されかけ階段から落とされたこと。そして、モモはその神様によって殺されたこと。

二人がどこまで信じてくれたかどうかはわからないが翌日もその翌日もお見舞いに来てくれた。マリから手鏡を借りてやつに絞められた首を見たが不思議とアザは出来ていなかった。


よく考えてみるとやつがいつ自分を殺しにこの病室入って来てもおかしくなかった。やつが入ってきてもここではどうしようもないだろう。そもそもどんな形で来るかもわからない。しかし、やつは本当に来るのだろうか。

結局退院の日になってもやつは来なかった。


僕は病院での時間を使って思考を巡らせた。幸い、もう頭が痛むことはなかった。やつは強盗に憑りついてモモを殺した。しかし、僕の時は直接自らの手で殺しに来た。なぜモモは自らの手で直接殺そうとしなかったのだろうか。また、モモも僕の時と同様、やつは殺そうとする前にその相手に接触して仲良くなっているのだ。僕に接触したのはやつが言っていた通りタッチやマリ達との仲を取り戻してから殺すためだろう。なら、モモに接触したのも似たような理由からだろうか。いや、どうだろうあの時僕がなぜモモを殺したのか聞いた時、一瞬ではあったがやつの顔から笑みが消えていた。姿を見えなくしたり、人に憑りついて自分の好きなようにさせることのできるやつが、なぜ僕を殺しそびれたのだろうか。


それどころか僕は奇跡的にこの程度のケガで済んだ。これは本当に奇跡なのだろうか。そもそもやつは本当に僕を殺そうとしていたのだろうか。僕はやつを信じるべきだろうか、信じないべきだろうか。どちらの選択肢が正しいのだろうか。やつだったらこの疑問になんて答えるだろう。


きっと「そんなの今のお前に分かるわけない、その選択が正しい選択かどうか正当化できるのは選択を行った後の自分次第だから。どちらを選択してもその後の自分がどう考えどう行動するか、それが最も大切なんだよ」こう言うだろう。まるで憑りつかれていないのに自分の中にやつがいるみたいだ。やつはいつも僕の疑問や相談に答えをくれなかった。僕が気づいていなかっただけで、答えはいつも僕の中にあったのだ。じゃあ、もう迷う必要なんてない。




雲一つない空を見ながら僕はあの階段を登った。

ケガは完治までとはいかずこも松葉杖からは解放された。

階段脇に咲くワレモコウが揺れていた。

立ち止まり振り返ると、故郷は夕日を迎えて輝いていた。

階段を登り切るとやつはそこにいた。

出会った時のように柱に寄りかかっていた。

僕は彼宛てのモモの手紙を渡す。

「死神に殺されに来たのか」

「いや、君に僕は殺せない」

「気づいていたか」

神様につられ僕も笑う。


自分を変えるのは自分自身だけだと思っていた。だが、覆された。前触れもなく突然訪れた、10年後の神様に。


熱を帯びた秋風が僕らを包む。どうやら、まだ夏は終わっていないようだ…

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10年後に神様を… 流僕 @Ryu-boku

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